14:血の雨
「どうしよう、また電車の外に押し出すしかないか!?」
「無理だ、今は扉が閉まってる。それにあんなの、二度も上手くいくとは思えない……!」
電車はすでに走り出しているのだ。ここは動く密室の中で、逃げ道は開かない扉がひとつだけ。
次の駅への到着を待つとしても、同じ手が通用するかはわからない。
なにより、それまでみんなが生き延びられるかもわからないのだから。
僕たちに残されている手段は、どうにかして隣の車両に移動することだけだ。
「ヒィッ!? ぎゃああああっ!! やめ、やめろおおおおッ!!」
次の行動を考えている間も、化け物は待ってくれない。
大きな手に自分の腕を掴まれた店長は、絶叫しながらジタバタと藻掻いている。
「店長……! クソッ、梨本さん! 手伝ってください!!」
「えっ……」
「早く! そっち側持って!!」
このままでは、店長まで化け物に殺されてしまうことになる。嫌な男ではあるが、目の前で死にそうなところを黙って見ていることなどできない。
最初に化け物と対峙した時、上半身を押さえていたロングシートは、怪物と共に消えてしまった。
けれど、下半身を押さえていた方のシートはまだ床に落ちている。
僕はそれに目をつけると、端を持ち上げつつ梨本さんに声を掛けた。
本来であれば喜多川に協力を頼むのだが、背負った桧野さんが恐怖でしがみついていて、すぐに動くことはできそうにないと判断する。
「梨本さん、お願いします!!」
「っ……なんでぼくが……」
危険な状況であるとはいえ、助けようとしている相手は横暴ばかりを働いてきた店長だ。
この電車に乗ってからも嫌な思いをさせられているし、梨本さんは実害だって被っている。
それでも、梨本さんは僕の呼び掛けに応えてくれた。二人でロングシートを持ち上げると、店長を掴む腕を思いきり叩きつける。
「ダメだ、もっと強く……!」
一度では足りない。僕は諦めずに、腕に目掛けて何度もシートを叩きつけていく。
始めは息の合わなかった梨本さんも、徐々に力を強めて打撃を加える。衝撃で黒い飛沫が飛び散り、手や頬に痛みを感じた。
「ぎええええええッ!!!!」
ひと際大きな悲鳴を上げたかと思うと、店長が弾かれたように床に転がっていく。
見れば、店長を掴んでいた化け物の腕は離れている。痛みなど感じないのだろうと思っていたが、効果はあったらしい。
どうにか戦うことができるのかもしれないと考えたのだが、僕はすぐにそれが間違いであったことに気がつく。
「ひぎっ……うで、っ……腕が……!! わたしの腕がァ……っ!!!!」
「そんな……っ、店長……」
僕たちの攻撃を受けて、化け物が腕を離したのではない。
掴まれたことで液体に溶かされていた店長の腕が、二の腕の辺りからもげてしまったのだ。
噴水のように噴き出していく血液が、僕たちの服や車内を汚していく。
「ダメだ……戦うことなんてできない……」
「おごっ……!?」
「? 梨本さ……」
店長の姿に気を取られていた僕は、ロングシートが急に重さを増したことに疑問を感じる。
隣へ顔を向けてみるが、そこに梨本さんの姿はない。彼が手を離したことで、シートは支えを失っていたのだ。
では、梨本さんはどこに行ったのだろうか?
その答えは、僕のすぐ近くで這いつくばっている化け物が知っていた。
「がッ……だ、ずげ……で……」
「な、梨本さんッ!?」
化け物の両腕に全身をがっちりと掴まれた梨本さんは、あまりの締め付けに思うように声を出すことができないらしい。
彼の巨体をいとも簡単に持ち上げた化け物は、そのまま梨本さんの身体を捻り上げていく。
まるで濡れた雑巾でも絞るみたいに、梨本さんの身体は不自然な方向に捻じ曲げられてしまう。
ブチブチッ……ゴキン、バキン、といくつもの不快な音が聞こえたかと思うと、梨本さんの胴体は真っ二つに分かれてしまった。
周囲におびただしい血の雨が降る。その光景を目の当たりにした瞬間、全員が言葉にならない悲鳴を発しながら5両目の貫通扉に群がった。
「は、早くっ!! 開けろよ何やってんだ!?」
「開かないんだってば! ちょっと押さないで!!」
「早く開けてくれっ!! このままじゃ全員殺される……!!」
高月さんが扉を開けようと試みているが、やはり開けることができないらしい。
喜多川や福村も必死にどうにかしようとしているものの、結果が変わることはない。僕たちはここで死んでしまうのか。
「うわっ!?」
「きゃあッ!!」
そう思った瞬間、福村と高月さんの姿が視界から消える。
顔を上げると、びくともしなかったはずの貫通扉が開いているのが見えた。二人は5両目の方に倒れ込んでしまったのだろう。
理由はわからないが、扉が開いたのであればやることはひとつだ。
「い、急げ急げ……ッ!!」
倒れた二人を助け起こす、というよりも押し込んでいくような形で、喜多川が車両の奥へと駆け込んでいく。
人を一人背負っているとは思えない速さだが、火事場の馬鹿力というやつかもしれない。
怪我のために動きが鈍くなっている店長に続いて、ロングシートを床に放ると僕もすぐに走り出していく。
けれど、足元に水溜まりのようになっていた店長の血の跡を踏んでしまい、僕はその場に転んで強かに胸を打ち付けてしまう。
「ッ、て……」
痛みと衝撃で上手く息を吸うことができないが、今はそんなことを気にかけている場合ではない。
すぐに立ち上がろうと顔を上げた時、目の前に黒い影が浮遊しているのが見えた。
「え……?」
それは、たった今僕の前方を移動していたはずの店長の身体で、後ろ向きに宙を舞っている。
まるでスローモーションのように飛んでいくその身体は、背後から伸びてきた巨大な腕によって、引き寄せられているのだとわかった。
「て……店長!!」
「きよ、せ……っ」
痛みと恐怖に歪んだ店長の瞳と目が合う。
咄嗟に伸ばそうとした腕は空を掴んで、店長は化け物によってその形を失ってしまった。
生温かい血しぶきが、僕の顔面を濡らしていく。
「て……ッ、店長……!!」
「清瀬っ、早く来い!!」
「清瀬くん!!」
あの腕が掴まえようとしていたのは、店長ではない。最後尾を行こうとしていた、僕の身体だった。
僕の代わりに、その前を行っていた店長が犠牲になったのだ。
気づいたところで、起こった出来事が変化するわけではない。このまま留まっていれば、化け物が次に狙うのは間違いなく僕なのだろうから。
貫通扉の向こうで、高月さんと喜多川が僕のことを呼んでいる。
赤く滲む視界を袖口で拭いながら立ち上がると、僕は二人のもとへと駆け出していく。
後ろから化け物が追ってきているかどうかはわからない。ただ、それを振り向いて確かめる気にもなれず、僕は5両目に続く貫通扉を潜った。
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