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赤髪の泥人形

 少女の意識が覚醒した。

 背中の下には砂の感触。瞼の血管が透け、赤みを帯びた光を認識すると同時に体の表面が温かい事に気づく。

 乾いた豆を引きずるような穏やかな波の音が聞こえる。


 ああ、とても心地が良い。体が起きること拒んでいる。


 少女は寝返りを打ち身体を横に向けた。背中の汗に砂がついてくるのが不快だ。

 背中に手を回し砂を払う。思ったより乾いていた。

 同時に異変に気付く。背中と臀部が繋がっているということは……


(寝てる場合じゃない!!)


 血の気が引き心臓が爆ぜたようにポンピングを始める。

 少女は全ての甘えを振り切って身を起こす。風のような速さだった。

 しゃがみ込み両手を交差させ胸部を隠す。

 掌で胸元を確認すると突起に触れた。

 上下とも着衣が無い。

 小動物の如き軽快な動きで首を振り、周りを確認する。

 動きと脳の処理がかみ合わず欲しい情報が入ってこない。


 大きく息を吸い込み、しゃがみ込んだままつま先と踵を器用に動かし落ち着いて全方位を確認する。

 周囲に人影はなく透き通った海と真白な砂浜と小高い丘に生い茂る緑が太陽の光を受け鮮やかなコントラストを描いていた。


 間髪入れず砂を蹴り駆け出す。

 少女のすらりと長い手足が風を切る。

 乾いた砂に足を取られながらも岩場の陰へ駆け込み身を隠す。

 羞恥と困惑で頭が変になりそうだ。

 岩の隙間からはジワリと水が染み出していて足の裏が泥で真っ黒に汚れたが、どうでもよかった。

 己の置かれた状況を整理する。

 名前はルージュ年齢は16歳になったばかり、魔法使いで…… ええと。


 何も思い出せない。過去も未来を示唆する情報の欠片すら頭の片隅にも残っていない。


(なんなのよ、どうすればいいの……)


 膝が震え力が抜ける。岩を背にずり落ちるようにへたり込むと何かが太ももと臀部を撫でるようにくすぐる感触に「きゃ」っと小さな悲鳴を上げ反射的に飛び跳ねた。

 着地した足場が滑る。


「ぐえっ」


 前のめりに転倒し胸と腹を強打した。息が詰まる。


「むぐぐぐ」


 愛らしさの欠片もない呻き声を漏らしながらみぞおちを押さえ足をばたつかせる。


 歯ぎしりしながら振り向いて確認すると岩場の隙間から力強く伸びた雑草だった。怒りが込み上げてきたがもう雑草に八つ当たりする気力すらなかった。


「なんなのよ、もうーーーーー!!」


 当てどころのない怒りは悲しみという名で呼ばれる。

 涙が出るだけマシだった。

 涙を堪えるとストレスが蓄積されいずれ人格を破壊するのだ。

 ルージュはうつ伏せのまま地面に張り付き声をあげて泣いた。

 突拍子もなく現れた絶望と己の無力さに押しつぶされないよう力いっぱい泣いた。


 気持ちが落ち着くまで涙を流すと顔が涙と鼻水で滅茶苦茶になっていた。

 グズグズと鼻を啜り両手をついて体を起こす。

 乳房の下側から膝にかけて臍の中まで隙間なく泥にまみれていた。

 両膝をついたままその様子をうつろに眺め、泥の上に座り込んだ。

 ペチャリと泥が跳ね腰下まで伸ばしている赤みがかった髪の毛先に泥が纏わりついた。

 臀部から伝わる冷気に身震いしながらゆっくりと倒れ込み背中を泥につける。

 腹筋がピリリと熱を帯び己の肉体が健康であることを脳が感じ取る。


「地の神よ我に力を」


 そう呟くと泥浴びする獣のように転がりながら全身に泥を塗りたくった。

 塗りきれない部分は手で掬って塗った。

 頬、首筋、鎖骨、肩甲骨、乳房、脇の下、脚部の内側、膝の裏まで丁寧に塗り込む。


 一見気が狂ったようなこの行動もルージュの考えによるものだった。

 一度汚れてしまったことで心理的なブレーキが外れ泥のコートを一枚纏うことが出来たのだ。

 白くて健康的な素肌を日の下にさらし続ける事ができる程の度胸があればこんな悲惨な目にあうこともなかっただろうが、彼女にとっては最善の結果となった。

 身体の凹凸や肌の色素のグラデーションを他人に見られるくらいなら泥人形になった方が幾分マシだという判断からの行動だった。

 事前に一言呟いたのは、万が一誰かに見られていた場合、魔法使いの修行として押し通すためだ。少女の小さなプライドを守る予防線。

 計画は完ぺきだった。


 臀部を触った助平な雑草に両手いっぱいの泥を投げつけ罰を与えた後、赤髪の泥人形は力強く歩きだした。


(とりあえず、身を隠すものと水場を探そう……)

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