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イソギンチャクの恋

 南の海に、大変大きくて、大変美しいイソギンチャクがありました。

 群れをなして泳ぐ小さな魚たちも、悠々(ゆうゆう)と泳ぐ大きなサメも、その美しさにひきつけられずにはいられませんでした。

 たとえ、そのイソギンチャクが毒の触手(しょくしゅ)で魚たちを食べるのだとしても、関係ありませんでした。

 イソギンチャクの周りには、多くの魚たちが常に集まっていました。


 イソギンチャクは、魚に囲まれて過ごすのにあきあきしていました。

 様々な魚たちが泳いでいましたが、自分の方が美しいという事を知っていたからです。

 ある時、ぼんやりと自分の周りを泳ぐ魚を見ていると、突然(とつぜん)きらりと光るものが現れ、魚に()きささりました。

 魚は暴れますが、その身に()きささった光るものから(のが)れる事が出来ません。


 イソギンチャクがよく見てみると、光っていたのは人間の男が放ったモリでした。

 モリを持っている人間の姿を見て、イソギンチャクはおどろきました。

 それは決して、人間がこの辺りに来るのがめずらしいからではありませんでした。

 その男が、あまりにも美しい姿をしていたからです。

 男の美しさに、イソギンチャクはすっかり心をうばわれてしまいました。


 魚を()らえた男は、そのままどこかへ泳ぎ去ってしまいました。

 男の泳いでいった方には、無人島があるようです。

 あの男は、その島で暮らしているのでしょうか。

 いずれにせよ、イソギンチャクはその男の事を想わずにはいられませんでした。

 その姿はどの魚よりも、いや、どの生き物よりも美しく見えたからです。

 あの男こそ、美しい自分に相応しい存在であると考えずにはいられませんでした。 

 

 しかし、そう思ったところで、イソギンチャクにはどうすればよいのか分かりませんでした。

 人間は陸の上で生きるものです。

 海の中で生きる事は出来ないでしょう。

 かといって、自分が陸の上に上がる訳にもいきません。


 イソギンチャクは考えました。

 聞いた話によると、人魚といわれる生き物は、陸の上で暮らす想い人と()()げるために、海の魔女(まじょ)にお願いをして自らの姿を人間のそれに変えてもらったのだそうです。

 しかし、イソギンチャクである自分は、地をはってわずかに動くのがやっとです。

 海の魔女(まじょ)がいる場所がどこかは分かりませんが、そこへたどり着く前に自身の寿命(じゅみょう)()きてしまう事でしょう。


 男は度々、イソギンチャクの近くを訪れては魚を()らえていきます。

 そしてまた、陸の上へと去っていくのでした。

 イソギンチャクの方をちらりと見る事もありましたが、男が他の魚たちのように自分の方に近付いたり、()れたりすることはありませんでした。


 美しい自分に対して、男が興味のあるそぶりを見せない事は、イソギンチャクにとっては辛い事でした。

 しかし、よくよく考えてみれば無理もありません。

 毒のあるイソギンチャクの触手(しょくしゅ)は、獲物(えもの)()らえる事しか知りません。

 ()れ合う事はかなわないでしょう。

 自らの姿を人間のものに変える事も、無理な話です。

 多くの魚たちを魅了(みりょう)する自らの美しさが何の役にも立たないという事実に、イソギンチャクは心を乱されました。

 

 しかし、イソギンチャクはある事に気が付きます。

 自分の毒のせいで、男が自分に近付く事が出来ないというのは事実でしょう。

 ですが、ある魚の言葉を借りるなら、毒にも薬にもならないとか、毒薬変じて薬となるという言い回しも世の中にはあるのだそうです。

 そして、毒というのは実に様々な働きをもっているのを、イソギンチャク自身も知っています。

 自分の身に宿るこの毒を、男を引き寄せる(こい)の薬に変える事が出来るのなら。

 そんな事を、イソギンチャクは考えました。


 男は今日も、モリを持って海へと入っていきました。

 無人島に流れ着いてから何か月も経っていますが、船が通りかかる気配はありません。

 それでも男は、こうして命を永らえる事が出来ています。

 この島の周りには、多くの魚が泳いでいたからです。

 特に、最近見つけたあの大きなイソギンチャクの近くには、常に多くの魚が泳いでおり、食べるものに困る事は無かったからです。


 しかし、(かれ)には最近気になる事がありました。

 身体のだるさを感じたり、頭がもうろうとする時があるのです。

 魚や木の実しか食べられていないせいなのか、それとも何かの病気にかかっているのか。

 そんな事を考えながらも、食べるものを()らない訳にはいかないと、イソギンチャクの方へと泳いでいきました。


 今日はひときわ大きな魚を()らえてから、早めに陸へ上がる事にしました。

 海の中で、左足を何かにさされたような感覚があったからです。

 クラゲか何かにやられたのでしょうか。

 無人島での生活においては、ちょっとしたケガや病気が命取りになりかねません。

 用心のためにも、男は陸へと急ぎました。

 その様子を、イソギンチャクはじっと見守っていました。


 その日の夜の事です。

 男は大量の(あせ)を流して、目を覚ましました。

 自分の身体に何が起きているのか、男には分かりませんでした。

 まるで、ひどく()(ぱら)った時のような体調の悪さを感じます。

 寝床からはい出して、ふらふらと何かに導かれるように海の方へと向かいます。


 男はそこで、おどろくべきものを見ました。

 月夜の海の波打ち際に、美しい女が立っているのです。

 女がまとっている薄手(うすで)のドレスは、あの大きなイソギンチャクと同じ色をしています。

 その女は、男に小さく微笑(ほほえ)むと、手招きをしながら沖の方へと歩いてきます。


 男はふらふらと、その女の後をついていきます。

 声をかけようとしますが、どういうわけだか、うまく声を出すことが出来ません。

 そうこうしている間にも、美しい女は、(かた)まで海の中につかってしまっています。

 危ないと思って、思わず男が手をのばそうとした時、深みに足をとられて海の中に(たお)れこんでしまいました。


 想像した以上の成果に、イソギンチャクは喜びを(かく)せませんでした。

 あの男は、ゆっくりと自分の方に向かってきます。

 もう、男は呼吸をする必要もありません。

 イソギンチャクの毒をまとった魚を食べたり、足から注入された毒の影響(えいきょう)で、男は幻覚(げんかく)を見ていたのです。

 男の目には、イソギンチャクの姿がさぞかし美しく映った事でしょう。

 その事を想うと、イソギンチャクの全身は無上の喜びに包まれました。


 全ての触手(しょくしゅ)を広げて、イソギンチャクは最愛の男を優しく()きとめました。

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― 新着の感想 ―
[一言] これは……なんか思ったのと違うw アンデルセンの逆張り的な導入から、最終的には普通のバッドエンド、メリーバッドエンドかな、という感じです。 イソギンチャクを主人公に据える発想の面白さ。その美…
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