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1 タナトスと青い空


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「Today is a very good day to die. 」


 プエブロインディアンのような前向きな気持ちではなく、ただそう思ったのでそうした。




 みんなが面白いといって読んでいる本を、つまらないと感じながら私もなんとか読み進めていたけど、ふと「もういいか」と思ってページを閉じた。そんな感じ。







 地面につく前に気を失ったと思う。長い時間じゃない、ほんの一瞬。目を開けた時に見えたのは、予想していたビルの谷間ではなく……。


 いや、目を開けることは予想してなかったけど。とにかく目を開けた時に見たのは、暗闇ではなく、広くて青い空だった。背中に感じたのは痛みや衝撃、硬いアスファルトではなく、芝生の感触だった。




 どれくらいそうしていたのか……。うとうとしていたのかもしれない。もう一度目を開けたら、青い空が男のシルエットに遮られていた。……元々厚くて長い前髪の隙間から見ていた空だったけど。ぼんやり見ているとまた青空が戻った。




 今度はちゃんと目を開けて横たわっていると、複数の足音が聞こえた。両腕を左右から掴まれて起こされる。立たされたがうつむいて座り込んだ。


「人か?」


 男に聞かれた。人以外のなんだというのか。答えれば放っておいてもらえるだろうか。項垂れたまま頭を上下させる。掴まれていた片手が離された。もう一方の手を掴んでいる男がかがみ込んできた。汗臭い。抱き上げられても顔は上げなかった。そのままどこかへ運ばれている。




 男たちの足音が響く。一段と響くところまで来て、私を抱えた男は立ち止まった。


「お妃様、連れて参りました。」


 声も響く。広いのかもしれない。


「それが庭に落ちていた娘? 意識が無いの?」


 あの芝生が庭? お妃さま? 若い女性の声が答えた。


「意識はあるようですが……。脱力しており、足腰も立たぬようです。」


 私を抱えてない方の男が答えた。


「王よ。これこそ天からの授かり物かもしれません。神与の牛に供えましょう。」


 若い女の声に、新たな年配の男の声が応える。


「……預言のためとはいえ、そこまでの必要があるのかのう?」


 年配の男はあまり乗り気ではなさそうだ。


「娘が子を孕めば、また座が一歩近づきます。足腰が立たぬなら抵抗もできないでしょう。ちょうど良い。」


 孕む? 縁のない言葉だ。それにしても、抵抗できないのがちょうど良いとは嫌な言い方だ。


「そなたのお陰で王位にも就けたからのう。……まあ、パーシパエの良きに計らえ。」




 え? ……聞いたことのある名前に、ゆっくりと顔を上げる。そこには金髪の欧米人がいた。


「……ダプネ。」


 聞こえてきた名前、パーシパエの、本で読んだ別名を呟く。


「っ!」


 他の人には意味のある言葉に聞こえなかったのか、反応しない。息を飲んだ王妃パーシパエは、すぐに態勢を立て直し、私を抱えた男に告げる。


「娘の身支度を整えます。わたくしの部屋の侍女に引き渡しなさい。」


「はっ。」


 男は謁見の間のような広間から、私を抱えて出ていった。







 前髪の隙間から見てみると、響く廊下は石造りだった。壁も石。扉は木。どうやってつないでいるのだろう。


「お前……逃げないのか?」


 私を抱えた男が、唐突に声を発した。私は……もう逃げた。今は地面に着地するまでの束の間の夢だ。何もしなくてもすぐに終わる。


 黙っていると溜め息をつかれた。いつものことだ。大丈夫。もう気にしない。




 部屋に着くと内側から扉が開いた。話がついているのか、目配せなのか、無言でそのまま浴室に連れて行かれる。私を床に置くと、男は「その……頑張れよ」と言って去って行った。私は最後まで男の顔を見なかった。


 侍女たちに服を脱がされそのまま洗われる。前開きのゆるゆるロングワンピだから簡単だ。アマゾネスみたいなマッチョな女の人に、抱え上げられて体を拭かれ、白いピラピラでだぼだぼの服を着せられる。自前の服と代わり映えがしない。




 髪を布で拭いてもらっている時に、パーシパエが部屋に入って来た。彼女が手をかざすと風がおこり、髪が乾く……まではいかなかった。風でかき混ぜられてボサボサになった。そこは温風でしょうよ。寒い。


「下がりなさい。」


 パーシパエが命令すると、床の敷物の上に私を置いて、侍女たちは音もなく去って行った。




 目の前のソファに寝そべったパーシパエが、頭上から私に問う。


「あなた……どうしてわたくしの前の名前を知っているの?」


 どうやら図星だったらしい。怒られないので、ボサボサ髪で床にへたりこんで、俯いたまま顔も見ずに答える。


「本で読みました。」


「本? わたくしのことが本になっているの?」


 私は占い、特に星占いにハマって、星座に関わる神話を沢山調べたことがあった。その中の一冊に、パーシパエがダプネ説が載っていたのだ。(*注)


「ダプネがアポロンから逃げて、月桂樹に変身した振りでパーシパエになったと……」


「本の題名は?」


「ギリシャ神話。」


「はっ! なんてこと! このままこの役をやれば、わたくしも神になれるのね。」




 ここは古代のギリシャなんだろうか。私の願望から出た夢にしては、微妙なキャストだ。それにしても……


「役? あなたはパーシパエではない?」


「ええ。わたくし、今世は別の名前の、ただの町娘だったのよ。でも神に神性を示せれば、輪廻から逃れて神籍に入れるの。前世で男から逃れた後は、パーシパエ様の侍女をしていたから、あの方が何をしてきたかは分かっているしね。だからここでパーシパエ様役になったの。まあ美貌を見出されて頼まれたのもあるけど。利害の一致よ。」


「……前世がダプネ?」


「そうよ。前世でも下級女神のニュムペではあったの。今世でも男に追いかけられてる時にそれを思い出して……。でも今回は月桂樹に変身する振りもせずに、さっさと撃退したわ。今回の相手は神じゃなくて、しつこいただの男だったし。」


「……ここはギリシャではない?」


「違うわ。でもとても似ているの。だからわたくし、このクレタ島のミノスに嫁いで、記憶の通りに王にしてやったのよ。」


 ギリシャじゃないけど、とても似てる? 古代の、ギリシャ神話の時代の人が、生まれ変わってここに生まれた?


「ここは……どこ?」


「ここは悲しみの輪廻の世界よ。神になれなかった者がやり直しをして、この拷問の環から魂を解放するための世界なの。」







+ + + + + + + +



タナトス……死の神






明日からは毎朝一話ずつ投稿になります。


(*注)

以下の2冊が今作においての参考文献です。


『ギリシャ神話 新版』 Robert Graves 著

 高杉一郎 訳(紀伊國屋書店)1998年 第1刷


『オルフェウス教』レナル・ソレル 著

 脇本由佳 訳(白水社)2003年



(*冒頭文)

『今日は死ぬのにもってこいの日』ナンシー・ウッド 著

 金関 寿夫 訳(めるくまーる)1995年 P.R13 L.2





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