15 キュドーンと補給地
「おい! 何で俺を呼ばない?!」
若干乱れた服で駆け出てきたのはテセウスだ。飛び去る鳥神様の後ろ姿を眩しそうに目を眇めて見ながら、悔しげに言った。
「誰のことも呼んでません。みんな勝手に出て来ただけです。」
「どっかのガキがわんわん泣いたかと思ったら、陽気な曲が流れるし、窓から外を見たらド派手な鳥が飛び去るしで、慌てて上がって来てみれば、皆揃ってるし……。あれは主神か?」
「はい。元の世界に戻さないと言って下さいました。」
「そうか……。よかったな、ゴウ!」
テセウスは、自分より大きな弟の頭をワシャワシャ撫でて、本当に嬉しそうにそう言った。
「僕たちどの島に住めばいい?」
「急に何だ? あー……まあ番を得たら巣は必要だな。うん、兄弟それぞれの本拠地の、間の島にでも住めばいいんじゃないか?」
「分かった。」
「え? どこですか?」
私の目線に気づいたのか、乱れた服を直しながらテセウスが説明してくれる。
「小さすぎて不便だって、ちょうど無人島になってるとこがあるんだ。俺たちが船で色々運んでやるし、水と食料とか、休憩するとこを提供する商売をすればいい。小さいって言ってもひと山分はあるからさ。あの辺りに補給地があると俺たちも助かるんだ。」
なるほど、さすがテセウス。自分の本拠地に誘ってくれる兄弟たちに、補給地が欲しいこの船、そして狩りで生計を立てたいゴウと、実は人に囲まれていたくない私にもWINーWINの場所を選んでる。
「さすがはテセウス。」
「お前、他のやつはさん付けなのに、俺だけ呼び捨てだよな。」
「それは……殺人者だと思ってたし、初夜を覗かれたと思ってたし……」
「覗きたかったけど一歩遅くてな。それに殺さず助けたろ?」
「そうですね。ゴウに嫉妬されるくらいには、評価はうなぎ上りです。」
「ウナギって河にいるやつか? 上るのか? ……それにしても、あのゴウが嫉妬するようになったんだよな。」
なんだか娘を嫁に出す父親のような、複雑な顔をしてゴウの顔を眺め、後ろから私の肩に手を置いて言った。
「おい、兄弟! こいつはゴウの嫁だ! 夫婦になって俺たちのために補給地を作ってくれる! 二人のためにいい島を作ろうぜ!」
「「「「おー!!」」」」
夕暮れ、次の島でアリアドネーはあっさりと船を降りて行った。凄くいい笑顔だった。
クレタ島。神に取り憑かれた人たちとその被害者にとって、あの島自体が迷宮なのかもしれない。……でも、古代ギリシャの名前がついてる島は、どこも同じなのかもね。
魔法は便利だし、権力者じゃなくても欲しがるのは分かる。でも人生を賭けた茶番に巻き込まれる方は堪ったもんじゃないけどね。
バイキングな夕飯の後に、ゴウが背負って来てくれたコーヒーを淹れてみる。持参した麻布(浄化済み)を、衣装室の針と糸で見慣れたあの形に縫って作った、ネルドリップ風のコーヒーだ。だって上澄みだけ飲むの、難しくて。除菌した最後の牛乳と、粉乳と、砂糖でみんなに試してもらう。
「リーカ、これ美味いじゃん。」
「苦くない。」
「喉がイガイガしない。」
魔法で粉砕した豆はグラウコスのよりは細かいから、麻から出ちゃうかと思ったけど平気だったみたい。あー……グラウコスたち、罰とか受けてないと良いな。
みんなの様子を見ていたテセウスが言う。
「島では牛を飼おう。カモフラージュにもなる。これでコーヒー屋をやればいい。」
「無人島でコーヒー屋をやる? 潰れませんか?」
「そっちもカモフラージュだ。俺たち以外にも寄港する船があるかもしれないだろ。略奪されないように、商売として食べ物を振る舞うんだ。ワインじゃなくてコーヒーと一緒にな。」
「なるほど。酔っぱらいは面倒ですもんね。」
テセウスは、顎に手をやり私のことを上から下まで眺めながら言う。
「あー、だがその折れそうな少年っぽい人妻はちょっと不味いな。あらゆる需要を満たしている。」
「……少年の需要は多いんですか?」
「ギリシャ神話カブレが多いからな。」
「ヒアシンスとか? そういえばヘラクレスさんの従者は……」
「それは神話だ。問題ない。」
ちらっとヘラクレスを見ながら、テセウスが答えた。
「だから……もっと女っぽく出来ないか?」
縛ってた髪の紐をほどかれた。そんなことをしても黒髪は流れない。縛りクセのついた、ボサボサの髪があるだけだ。
「そっちの需要はないんですか??」
「無いことはないが……か弱くて、どうこうできそうな女だと思われるよりは、あしらって済まされる手慣れた酒場の女みたいな方が安全だろう。」
ハードルが高い……。色気は皆無だ。贅肉しかない。船乗りは荒くれ者ってイメージだし、心配になってきた。
「僕がずっと一緒にいる。」
「それじゃあ駄目だ。狩りにこいつを連れて行くのか? ゴウが居る時も居ない時も大丈夫なように対策をしておくんだ。」
「……分かった。」
ゴウって素直。きっと兄弟みんなに可愛がられたんだろうな。……だけど私は、酒場の女案は素直に頷けない。陰気扱いされても座敷わらしをやめられなかったくらいだし……。もうゴウの嫁ってバレたから、ホクロも眉毛も消したところだ。
「取り敢えず次の島は大きいから女物の服を買おう。」
「お金、持ってません。」
「結婚祝いに買ってやるよ。それに補給地のための必要経費だ。」
結婚祝いとか必要経費とか、なんだか日本にいるみたい。
「テセウスって現代人みたいね。」
「現代人だぜ。古代ギリシャなんて、よその世界の昔話だ。」
「あ……うん。そうだね。」
「よし、じゃあ明日の朝も早いから寝るぞ〜」
「あ、コーヒー飲んだから、しばらく眠くないかも。」
「は? どういうことだ……まさか精力剤?」
「違います! 私の世界のコーヒーは、紅茶と同じで目が冴える成分が入ってたんです。」
「おぉ。それは要検証だな。本当なら見張り当番に飲ませるようにしよう。皆! すぐに寝られたかどうか、明日教えてくれ。」
「「「おー」」」
片付けは食事当番に任せて部屋に戻る。毎回手伝えないなら、不公平になるから手伝わない方がいいんだそうだ。
もちろんコーヒーセットは持って帰ってきた。麻布についたコーヒー油は、ここの石鹸じゃ落ちないだろうしね。
ちゃんと片付けたら広くなった衣装部屋が、私たち二人の部屋だ。浄化したので匂いもない。
「ピア……預かった分。」
「まだ駄目。船の人みんな我慢してるんだよね。本当はこの船、今は女人禁制だし。」
「今日はみんな船降りた。」
「あー……そうですか。でも出港するまではね。何だか嫌な予感がするんだよね。」
「……分かった。船出たらすぐ。」
「すぐ? すぐはどうかな……。みんなに迷惑が掛からないようにしようね。」
「……分かった。」
絶対部屋の外に人がいるしね。壁薄いし。防音が……魔法で出来るかも? まあいいや。今日は寝よう。色々あって、クタクタだ。
翌朝、日の出前。出港にはまだ早いはずなのに、上の方が慌ただしくなった。既視感だ。
「ゴウ! 起きて! 兄弟の危機かもよ。」
「ん、起きる。」
目が開いた後のゴウは早かった。私を抱えて、一気に甲板に出る。扉を開けると、顔に吹き付ける潮風と共に目に入ったのは、甲板に押し付けられたキュドーンだった。
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キュドーン……ヘルメスの子でクレタ王家の子っぽい