14 オルペウスと孔雀
「あの……私、忘れられてません?」
振り向くとアリアドネがいた。
「ああ、ごめんなさい。テセウス、次の島まではどのくらい?」
「あ、そうだった。今日の日暮れ前には着くよ。じゃあ俺の船室へどうぞ。」
テセウスが好青年風の笑顔でエスコートするけど、手の位置が下過ぎる。神話ではあの二人の間には子供は出来ないはずなんだけどな。
「ゴウ、ありがとう。もう降ろしてね。」
「……嫌だ。」
ぎゅぎゅっとまたゴウの腕に包まれる。
「もうタロースは来ないよ?」
「……ピア取られる。」
「リーカだよ。誰も取らないよ。じゃあ手を繋いでおこう。……それにオルペウスさんは奥さんを亡くしてるから、女遊びはしないと思うよ。」
「分かった。」
ようやくゴウは私を降ろして、大きな手でガッチリ手を繋いだ。
「ゴウは船に乗ったことある?」
「連れて来られた時。」
「そっか。……自分がどこの島出身かも判らない?」
「分からない。拾われた時、赤子と子牛を行き来してた。拾われた島、聞いてない。」
「そっか……。私たちは、これからどこの島に住む?」
「どこでもいい。」
「大陸の西にはいくつ島があるの?」
「沢山。」
本当にギリシャ周辺みたいな大小の島々なのかもしれない。好きなとこに住んでもいいのかな。
「捕まる前は、ゴウはどうやって生活してた?」
「カイロンの言う通りに。」
うん。カイロンさんにべったりだったんだね。……逆に別れてすぐに迷宮に捕まってよかったのかも。衣食住には困らなかったし、あの二人なら、ゴウに乱暴はしてないはずだ。
「例えば?」
「獲物を取る。」
「何を使って?」
「追い掛けて殴る。石を当てる。首を……。」
「分かった分かった! じゃあ獲物が取れる所に住む方が良いってことだね。ご飯が取れて、寝られる所を探そう。」
「だったらみんなでアテナイに行こう。」
「いや、スパルタが良い。」
「そこはテーバイでしょう。」
何だか船員のみなさんがすごい誘ってくれる。
「兄弟子様に相談しましょう。みなさん、お誘いありがとうございました。」
ゴウの手を引いて衣装室に戻る。
私……急に怖くなった。沢山の人に囲まれて、定住して、逃げられない……。頑張って、からまわって、溜め息を付かれて……。
私は別にコミュ障じゃない。自分では社交的なつもり。だけど何か上手くいかない。間が悪い? 空気読めない? 梨花ちゃんてちょっと?
別にイジメられてたわけでも、仲間外れにされてたわけでもないけど。……あれ? 私、気づいてなかっただけ??
座敷わらし呼びは別にいい。陰気扱いもまあいい。見た目のせいだし。お洒落は面倒だったし興味は無かった。だけど……顔が可愛かったら庇ってもらえた? それとも性格に可愛げが無かった?
理由が見当たらない、誰のせいでとも言えない、そういうよく分からない理不尽な目にあうのは、いつもいつも私だった。要領が悪いって言われればそれまでだけど……。
梨花はしっかりしてるから自分で出来るでしょ? 人の分まで? 自分で自分を手伝うのは大変とはよく言ったもんだ。
疑われるようなことをするのが悪い? 冤罪掛けといて? 自分で自分を助けるのも大変だ。
そんな人生だった。そして……もう、疲れた。決定的な理由があったわけじゃない。その日じゃなくちゃいけなかったわけでもない。ただ、そう……
「ピア。……ピア! どうした?」
こうやって、気に掛けてくれる人がいれば、向こうでも頑張れたかな。……ううん。きっと心配の振りで、拒否する元気がないと見るや、ここぞとばかりに色々押し付けられたに違いない。周囲には気づかれないうちに、いつの間にか私の……
「ピア! どこか痛い? 眠い? 腹減った?」
「……ふふ。私、赤ちゃんみたいね。抱っこされて心配されて。でも、うれしい……」
私はゴウにしがみついてわんわん泣いた。こんなの初めてかもしれない。記憶にある中で、こんな泣き方するのは。
「ピア、怖かった? 大丈夫、僕がいる。みんなもいる。もう怖くない。」
私の背中を撫でながらゴウが言う。きっとあの乏しい表情で、目を泳がせながら言ってるのだろう。そういう想像をしているうちに、だんだん涙がおさまってきた。
ようやく私が落ち着いた頃に、外でどたっと音がした。ゴウが「ヘラクレス、入って来て」と言うと、ドアが開いて沢山の人たちが顔を出した。兄弟たちも、他の乗組員も。
大泣きを聞かれたと思うと恥ずかしかったけど、こんなに心配してくれる人たちがいるなんて……。私は、思わず口に出して言った。
「この世界にいたい。帰りたくない。誰にお願いすればここにいられるかな?」
「そりゃこの世界の主神、鳥神様にだろうね。」
竪琴をかき鳴らしながらオルペウスが言った。
「どうすればいい? 神殿に行けばいい?」
「まずは願ってごらん。そうだな……。空が見えるところで。」
「はい。」
ゴウと一緒に甲板に出る。高く昇った太陽に向かって、私は目をつぶり、手を組んで祈る。
〈鳥神様、どうか元の世界に戻さないで下さい。このままずっとゴウと居させて下さい!〉
何度か同じお願いをして目を開けると、ゴウとオルペウスが顔に手をかざして上を見ていた。太陽の方から何か来るらしい。
少しして、空飛ぶ孔雀みたいな赤銅っぽいド派手な鳥が、青銅っぽいちょっとシンプルな鳥と一緒に手すりに降り立った。……え? 主神様ってこんな簡単に降りてきてくれるの??
『そうだぞ。真剣に祈れば降り立つとも。』
赤っぽい鳥が言った。二重音声みたいに日本語で頭に、耳にはピチチチ聞こえる。
『この姿少し派手じゃありませんか? これでは他の鳥に紛れられません。』
青っぽい鳥が、翼を広げて左右を見ながら言った。
『次は孔雀は止めて海鳥にするか。』
『微調整が大事ですよ。』
ちゃんと顔を向け合いながら夫婦で会話している。みんなにも聞こえているのか不安になって、オルペウスに目を向け耳を指差すと、首を振られた。私にしか聞こえてない?
『ああ、梨花にしか聞こえてないよ。』
どう答えていいか分からず、口をパクパクさせてしまった。
『そうね、祈る形で心で思えば私たちに伝わるわ。』
慌ててまたお祈りスタイルを取る。目は……開けておく。
〈鳥神様、私を地球に戻さないで下さい。〉
『いいよ。』
あっさりだった。
『だってその子とラブラブなのでしょ?』
〈は、はい。〉
『番は一緒に居ないとな。戻っても良いことないし。』
〈着地して壊れるだけですね。〉
『あなたは幸運でした。ここではもうしちゃだめよ。』
〈はい。〉
『そうだ! オルペウスに景気のいい曲を頼んでくれ。結婚の祝福をやろう。』
『まあ良いですね。明るい曲を頼みますよ。』
手を解いて周りを見ると、船中のみんながこちらを見ていた。
「オルペウスさん、鳥神様が明るくて景気のいい曲を聞きたいそうです。」
オルペウスは嬉しそうに手をクルクル回して鳥神様にお辞儀をした。
「ご指名、光栄の至り。では!」
オルペウスは甲板の床に座って、テンポの早い曲を両手でかき鳴らす。他のみんなも床に座って、立っているのは私とゴウだけになった。
『梨花、あなたを今後も見守ってあげましょう。』
『異世界からの客人を、尊き我らが息子殿を、幸せにしてくれる乙女に加護を与えよう。』
そう言うと曲に乗るように羽ばたいて飛び立ち、私とゴウの周りを2羽で飛んで、キラキラの光を落としながら、空高く、太陽の中に飛び去って行った。
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オルペウス……奇跡の竪琴奏者