10 ヘラクレスと舞台衣装
散々な前評判によらず、テセウスの見た目は好青年風だった。役かもしれないけど、実際に巨石でも持ち上げられそうな体格をしてる。
「お! 準備いいね。じゃあお嫁さんだけ今晩のうちに脱出ね。ゴウは昼のルーチンをこなしてから明日の夜に脱出な。」
「嫌だ! ピア、テセウスに取られる。僕も一緒に行く。」
「お前……。我が父、我が師匠、賢者ケイローンの名において誓う。ゴウの嫁には手を出さないし、他の男にも触れさせない。」
「本当か?」
「本当だ。お前が残れば、姿を変えられないピアが逃げ切れる確率が上がるんだ。そのためにも、バレない様に普段通りにしろよ。」
そんな気はしてたけど、やっぱりこのまま行くんだ。準備しておいて良かった。
「じゃあ、ゴウは牛になって。今のうちに、この前と同じ様に瓶と籠を結ぶね。伏せてれば重くはないと思うから。」
首にカラ瓶一本を風呂敷で包み、ゴウの首に付けて結び目にキスマークを付ける。籠に少しの粉乳を入れ、この前のようにくくる。準備してあったリュックと、テセウスが持ってきたゴウの脱出用の服と、目立つ髪を隠すための布を一纏めにベンチに置く。
その他、ゴウの食事や、浴室での多少の小細工などの準備を済ませ、ゴウの顔を撫でる。
「ちゃんと服を来て、頭に布を巻いて来てね。」
「ピア、寂しい。ピアが泣いてた気持ちがわかった。行かないで……」
ゴウが黒い瞳から涙を零した。
「ゴウ……」
「はいはーい! ラブシーンの続きは船でやってね。」
「船?! 私たちもアルゴー船に乗るの??」
「そうだよ。その方が安全だからね。じゃあ行こう!」
中庭の木を登って塀に移る。私にも登れるって迷宮の意味なくない?!しかも閉じ込めるための部屋が、外壁沿いって。さてはダイタロス、部屋に荷物を運びやすいようにこうしたんじゃ……。目印の木まで植えて、メンテナンス対策も完璧じゃん。
塀からぶら下がって手を離すと、先に降りたテセウスがキャッチしてくれた。……のは良いけど、そのまま抱えて超速で走り出した。結構揺れるし早いしで、私は悲鳴を堪えるのに必死だ。まあまあの距離をあっという間に走り抜けて港に着いた。
そのまま大きな船、アルゴー船に乗船して、暗い船室に入れられる。
「ここから出ないでね。」
私にそう言いおいて、テセウスは出て行った。……出て行ったよ? 「他の男にも手を触れさせない」はどうなったの??
取りあえず、うろたえててもしょうがない。ドアにつっかえ棒をしたいけど、引き戸じゃないから上手くできない。
暗視の魔法は成功だ。暗い部屋を物色する。ここは衣装部屋らしい。……ダメじゃない? 他の人も来ちゃうよ?? ここにいるのがバレたらどうしよう。
とりあえず、ロングのだぼたぼワンピースから着替えよう。見つけた質素な男物、多分少年用の服を浄化して着ることにする。持参の布でサラシっぽく巻いて、シャツとベストを着てズボンを履く。
私は今まで、どんな髪型にしても陰気だと言われていた。だからどうせと思って、厚くて長めの前髪あり、黒髪セミロング、パーマなしにしている。それを私はいつも一つに括ってた。最近は伸びっ放しでさらに前髪が長かった。
ヘアゴムは、向こうの世界の靴の中に入れてきちゃったから、ここ数日はひどいザンバラ頭だったはず。鏡が無かったから自分では分からなかったけど。……あ、あったわ。あったけどパーシパエが映ってたから見られなかった。
衣装部屋の鏡台の前に座り、紐で前髪あたりを編み込み、ポンパドールにして後ろは首元で括る。そこにあった舞台用の化粧品でうすーい自眉をキリリと濃く書く。アイシャドウはさすがに少年服には似合わないから泣きぼくろをプラス。
アイテープをしてないからくっきり一重。ザ、没個性のアジア人少年の完成だ。印象に残らない、それでいてどこにでもいる顔。
変装に満足していたところで、ドアがガチャガチャしたと思ったら、バンと勢いよく開いた。とっさに暗視を切って立ち上がる。
「何だお前?」
普通サイズのドアを、屈むようにして入って来た大男が低い声で言った。
「あ、あの……テセウスに連れて来られて……ここを片付けるまで部屋から出るなって。」
しどろもどろにそう告げると、ふっと笑った気配がして、打って変わって優しい声で言う。
「明かりも付けずに何やってんだよ。」
ぽぽぽっと部屋の照明に火が入る。魔法か。
「ありがとうございます。」
「あいつさっき、酒場で武勇伝を語りまくってたからな……お前も戦利品か?」
なるほど。テセウスも一応お仕事してるんだ。私の設定は……まだ口裏合わせもして無いのに……。
「僕は、テセウスの弟弟子の……弟。」
「なんだ、じゃあ家族みたいなもんだな。もう遅いからその辺の布被って寝ろ!」
そう言って、窓側の照明だけ小さく残して後は消された。再び屈んでドアから出ようとした男に慌てて尋ねる。
「あ、あの! あなたのお名前は?」
「あー……ヘラクレスだ。船の外では名乗らない。お前は?」
「僕は……僕は、リーカ。」
「おう! じゃあお休み、リーカ!」
とんだ邂逅だった。ヘラクレス……。まんまと会っちゃった。でもアルゴー船だけの役かもしれないし。
私は慌ててほぼ本名を名乗ってしまった。嫌いな名前だったけど……。ピアという名前は、結局ゴウにしか名乗ってない二人だけの名前だから。とっさに教えたくないと思ってしまった。
眉とほくろに固定の魔法を掛けて、仮眠のために部屋の壁に寄り掛かる。明日の昼、グラウコスたち相手に、ゴウは上手くやれるのだろうか……。
ん!? ちょっと待った! ゴウは明日の夜まで迷宮に居る。テセウスは今、一体何の武勇伝を喋ってるんだ??
私がゲットしたての戦利品に間違われるって事は、この辺りでの出来事を話してるってことだよね。……やっぱり牛退治の武勇伝じゃない?? ……それともパーシパエの娘をモノにしたとかそういう……?
考えても仕方ない。テセウスが戻って来るまで、ちょっと寝よう……。衣装の上着を浄化してお腹に掛けて、暗い部屋の隅で目をつぶった。
いくらも経たないうちに、ふと気配を感じて目を開く。そこには至近距離で私を見つめるテセウスがいた。驚いて声を上げようとしたら、口を押さえられた。ギラギラする眼で私を睨みつける。怖くなって離れようとしたら両手を手錠みたいに前で持たれた。
「お前は一体何者だ?」
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ヘラクレス……柱を造りタナトスに勝ちオリンピックを始めた男