9 アルゴナウタイと粉乳
「おぉ、お前……その、大丈夫だったか?」
「ええ、ちょっと頭痛がしただけですので。ご心配お掛けしました。」
グラウコスの妄想からくる心配は、まあ正解だけど言いません。
「そ、そうか……てっきり俺は……」
「頭痛だなんて大丈夫ですか? 明日はハーブも届けましょう。」
キュドーンは紳士だね。ハーブティーもいいかもしれない。
「ありがとうございます。あ、そうだ。余った牛乳で粉乳を作ってみたんです。紅茶にでもコーヒーにでも入れて飲んで下さい。」
「おぉ! 粉の牛乳なのか? あいつはそんなに乳を出さないから、昨日は搾った分を全部瓶に入れたんだけどな。前の日に飲んだミルクコーヒーが恋しくてな。ありがてぇ。」
そうだったんだ。それは悪いことしたな。……でも喜ぶのはまだ早い。
「お礼は飲んでからにしてください。マズいかもしれません。」
「では早速。」
二人ともミルクティーを試すらしい。お味は……好評だ。しかし喜ぶのはまだ早い。
「ではこの後お腹が痛くなったか、ならなかったかを、明日教えて下さい。」
「ん?!」
「何だと?」
「人間初めてのものを摂取したら様子を見ないと。温めた牛乳は平気だったんですよね?」
「はい。」
「ああ。」
迂闊に真似されて食中毒でも出されたら大事だ。日頃から牛と接してる人には菌に耐性があるかもしれないけど、お偉いさんとかは危なそうだし。……そういえば粉乳の作り方を聞かれなくてよかった!
「私は絞る前によーくきれいにしてますし、迷宮の中でも井戸水で冷やしてますから、お二人は安易に真似したり、人に教えたりしないで下さいね。下痢で死ぬこともありますからね。」
「違いねぇ。折角お前に拾ってもらった命だ。大事にしないとな。」
「そうですね。大事にしないと……」
私の命は誰に拾ってもらったんだろう。それともやっぱり滞空時間の夢なのか。現金な奴かもしれないけど、そろそろどっちなのかはっきりして欲しくなってきた。
「あの……女性に対して失礼かもしれませんが、お名前とお年を伺っても?」
「女性ってお前、こんな娘っ子に……。いや、娘っ子に……何をさせようとしてるんだろうな、俺たち。」
急にグラウコスが神妙な顔をし始めた。似合わない。
「その点はお気になさらず。牛、好きですよ、私。この子はよく寝てよく食べるいい子だし、そっちの子たちもお乳を分けてくれるいい子たちでしょ?」
「あなたは……その、具体的に何をしなくちゃいけないのか理解していますか?」
「子作りですか? 理解していますよ、24才ですからね。」
「!?」
「にじゅう……」
わー、お約束。これは異世界転移のお約束じゃなくて、私のお約束。
あだ名は座敷童子。髪型を変えても、何故かそう呼ばれ続ける。陰気な感じだとか、祟られそうだとか……。
「座敷童子って福の神だと思うんですけど」などと、例え事実でも絶対に言い返してはいけない。もっと酷いあだ名を付けられること必至だ。
遠い目をして、二人を通り越したどこかを見ていると、グラウコスが最初に復帰した。
「馬鹿言っちゃいけねえよ。そのなりで24才なんぞありえん。」
「一年は365日、一日は24時間、一時間は60分、一分は60秒、一秒は……大人の平常安静時の最低心拍くらいです。この国と違いますか?」
「心拍数は……今、平常心じゃないので測れませんが、年齢の数え方は同じなようです。」
前向きに捉えよう。……冷静紳士のキュドーンまでも動揺させる私、すごくない?
「私は大人です。状況を理解してここに居ます。捕まえた罪悪感を覚えるなら、協力してください。」
「おう! 命の恩人だしな。何でも言ってくれ。」
「グラウコスさん殺人事件未遂に続いて新たな殺人者、いえ、その役を与えられた人間が、迷宮に来るかもしれません。名前はヘラクレス。ご存知ありませんか?」
「聞いたことありませんね。」
「じゃあ……アルゴー船、アルゴナウタイは知りませんか?」
「……そういえば、あの芸能集団の名前はそんなんだったよな?」
「クレタ島で公演中の、アルゴな50ですか?」
「なんじゃあそりゃ??」
「?!」
「お前!?」
余りに余りなネーミングだったせいで、前髪が一瞬浮くくらいの勢いで顔を上げてしまった。
「あ、失礼しました。つい大きな声が……。何ですか一体それ?」
「全島中の勇士が50人集まり、剣舞や歌、踊りに曲芸などをアルゴー船という船の上で繰り広げる芸能集団です。」
「えっ……。あ、あの、お宝を取りに行くとか、何かを倒しに行くとか、そのために勇士が集まるんじゃないんですか?」
「ああ……最初はそんな募集だったような気もするが、集まったら美丈夫ばかりだってんで、芸能集団に転身したんじゃなかったか?」
「そうなんですか……」
「興味があるのですか? 見に行きたいのですか?」
「まあ、ある意味。……でも、そのメンバーたちがここに来ても、絶対迷宮に入れないでくださいね。」
「もしかして……かつて言い寄られて困っていたのですか? 彼らは女癖が悪いと聞きます。」
「あぁ……なんかそうみたいですね。とりあえず私は会いたくないので、追い返してくださいね。」
「おう! 任せとけ!」
「はい! 必ず!」
これは……西の島側にも確実に日本からの転生者転移者がいるとみた。アルゴナウタイが、アルゴな50だなんて……。
もしかしたらそこに、アスクレピオスもヘラクレスもテセウスもいるのかもしれない。……役の人かもしれないけど。そうするとアスクレピオス役の人、ここの医者と被っちゃわない?
……実は結構、同じ役の人があちこちにいるのかもね。それが私たちにとって、吉と出るか凶と出るか。
「じゃあ帰ります。感想よろしくです。」
どっと疲れた感じで部屋に着く。
「ゴウはテセウスが今、何してるか知ってる?」
「歌い手。」
「やっぱりか……」
「昔から歌は上手かった。」
「……。取り敢えず、アルゴー船でヘラクレスも来てるかもしれないけど、牛の生け捕りのためでも、お宝を取る手伝いに行くのでもなさそうだということだよね。しかも牛とミノタウロスを殺すテセウスがゴウの兄弟であると……。
これは危機脱出かも?? あ……でも、役の人が被ってる可能性もあるんだから、兄弟じゃないテセウスが殺しに来る可能性もあるんだ……。もちろん別のヘラクレスも。……やっぱ早めに脱出する?」
「いつでもいい。」
「……一度テセウスとお話を詰めた方がいいかもしれないね。協力してもらうんだし。」
「嫌だ。取られる。会わせたくない。」
「それは……余程に日頃の行いが悪い人なんだね。でも、あれ? ……アルゴな50の講演のためにクレタ島に来てるのに、どうやって牛ハム担いで帰るの?」
「船じゃないと本島へは行けない。」
「あ、うん。そうだよね。……ただ、アルゴな50のメンバーなのに、私用で講演を抜けられるのかなと思って。」
「テセウスは抜けない。50人、全員一緒に船で本島に移動する。」
「ああ! ちょうど千秋楽なのか。じゃあいつが最後の講演の日か聞いて来てね。その日に合わせて脱出しよう。」
「ハムが買えた日、僕たちが逃げる日、船が出向。」
「は?! ……そう、なんだ。聞いてなかったな。」
「今言った。」
「うん。今初めて聞いた。次からは聞いたらすぐに報告してね。準備ってものがあるから。」
雑に夕飯を済ませ、コーヒーを全部魔法で粉にして、魔法で牛乳を全て脱脂粉乳とバターにして、レース編みを糸がある分だけ魔法で完成させる。ショールくらいにはなったかな。野菜もレモンも収穫して、苗と木を粉末肥料にする。壁に開けた穴は、ゴウにレンガを積んでもらった後、再接着。
後は見落としないかな?? シーツで風呂敷リュックを作って、もろもろ入れる。指差し確認しながら見て回る。うん、オッケー。
時間まで正しく休憩していると、案の定、テセウスが中庭に来た。
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アルゴナウタイ……やんちゃくれな男たち