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  作者: 炎華
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5.ご主人様

    まるで、道具だな。


揺れる電車で、猫は思った。

池袋駅で乗り換えた電車は、会社から帰宅するにはまだ早い時間だったので、

今度は座ることができた。

さっきよりだいぶオレンジ色が強くなった日の光が斜めに差し込んでくる。

尖った窓の影が床に落ちて、消えたりまた現れたりしていた。


    子供は、親を選べないと言うけど、

    もし、もしも、生まれて来る前に、親を選べたとしたら、

    猫は、どうしてあの人達を選んだのだろう。


子供の頃、誰かに愛されているという感覚はなかった。

父は、自分が一番大事だった。

母は、家族が生きていけるようにするということが、一番大事だった。

二人とも、『猫の気持ち』はどうでもよかった。

猫に心があるなんて、思ってもみなかっただろう。

万が一、心があるとわかっていたとしても、

ほんの少しでも優先させる、ということはなかった。

いつも『我慢』を強いられた。

我慢するのが当然のことと決められていた。

猫が、思うようなことをして、思うように行動すると、

いつも非難され、怒られた。

母が怒っていれば、父も猫をひどく怒る。

父が怒っているときは、母は黙っている。

味方はいなかった。

父や母に尋ねれば、猫の味方だと、猫を愛していると答えるだろう。

しかし、それは猫が求めているものとかけ離れすぎていた。

父は母がいれば猫なんていなくても良かったに違いない。

どちらにしろ、猫は父にとって道具でしかないのだ。

母は、猫をもうひとりの自分として愛していた。


    そんなの、愛情じゃないよ。

    二人とも『猫』を『猫』としてみてくれていない。

    猫を通して見ていたのは、自分。

    自分のことだけ。


猫は外に自分を愛してくれる人を求めた。

親が与える様な愛に飢えた子供を支える愛なんて、あるわけがなかった。

親が与えられないのに、他人が与えられるわけがなかった。

子供の猫は、それに気がつかなかった。


    みんな、違った。


絶望しながらも、探し続けた。

そして、初めて同じニオイのする人に出会った。

親に愛されないニオイのする人。

それが、ご主人様だった。


しかし。

そのときは気がつかなかった。

ご主人様と猫は、全く同じではないということを。


    間違えたんだ。

    嬉しかったから。

    猫と同じ人を見つけたから。

    その人が猫を見てくれたから。

    有頂天になって、離せなくなった。

    今になって、間違ったと認めたから、

    だから、ご主人様をあんな風に苦しめた。

    間違ったことを、もっと早く認めていれば。



ご主人様とは、中学最後の年に知り合った。

高校は、別だった。

家はバス停一つ分の距離しか離れていなかったが、

ほとんど会うことはなかった。

猫は、学校が違っても、すぐに会えると思っていた。

だが、現実は違っていた。

月に一度会えればいい方だった。

いつも連絡をするのは、猫だった。

電話にでたときの、ご主人様の最初の言葉は、必ず、

「何か用?」

だった。

そう言われたときの、絶望感。

猫は、ご主人様に会いたくて、声が聞きたくて仕方がなかったのに、

ご主人様はそうじゃない。

最初から、ご主人様にとって、猫は必ずしも必要な存在ではなかった。

元々、代わりでしかなかったのだから。

本物があれば、代わりなんていらないじゃないか。

今考えれば、そんな簡単なことにずっと気がつかなかったなんて、

猫は本当に馬鹿だ。


    なのに、会いに行ったんだ。


土曜日だった。

とても天気のいい日だった。

ご主人様とは、もう一ヶ月会ってない。

だから、会いに行く。

授業が終わって、わくわくした気持ちのまま、

『今乗ってるこの電車』に乗った。

猫を見て、どんな顔するだろう?

「どうしたの?びっくりした。」

って笑ってくれるかな。

「昼飯食べたの?まだなら一緒に食べに行こうか。」

って、言ってくれるかな。


ご主人様の学校の最寄りの駅について、電車を降りる。

ここからバスでも行けるのだが、今日は天気がいいから歩いて行こう。

ご主人様はバスで通っているので、

いつも使うバス停で待っていれば、きっと会える。


ご主人様が通う高校は、猫が子供の頃に住んでいた街にあった。

まだ、そこには友人もいる。

かつて知った道を、懐かしい思いとともに歩く。

広い道路に沿って、高いビルが建ち並ぶ。

土曜日ともなれば、人も車もいっぱいだ。

沢山の明るい笑顔の親子連れ、カップルに混じって、

一人足早に歩くスーツ姿の人々もいる。

同じように制服を着た女の子達が、明るい笑い声をたてて、

ビルの中の店に入っていった。


   可愛い物、沢山みて、

   お昼ご飯食べながら、お喋りするのかな。


駅のそばのビルには店がぎっしり詰まっていて、

ビルの壁面には、デジタル画面の広告が煌めいている。


   今日は、ご主人様とここで少しだけでも過ごせるかもしれない。


そう思うと、心が弾んだ。


駅を離れても、高いビルは続いている。

だが、中は店は減り、オフィスが多くなる。

更に離れると、マンションが加わってくる。

公園の脇を通り過ぎると、もうすぐご主人様の高校だ。

時計を見ると、1時半だった。

少しのんびり歩きすぎたようだ。

ふと不安がよぎる。


   ご主人様、まだ学校にいるんだろうか。


もし、もう帰ってしまっていたら?

今日に限って、友達と駅まで出たら?

ありえないことではなかった。

足を早めて、バス停まで急ぐ。

バス停には、誰もいなかった。


近くで待っていると、バスの運転士さんや乗客の方々にご迷惑がかかるので、

乗客じゃありませんよ、を装い、

それでいて、バス停が見えるくらいの位置に立った。


一本目、誰も乗る人はいない。バス通り過ぎる。

二本目、女性が一人乗る。

三本目、通り過ぎる。

四本目・・・

五本目・・・


時計は、二時をとっくにまわっている。


    あと、一本待って来なかったら、次のバスに乗ろう。


駅の近くですれ違った女の子達の姿が浮かんだ。


    土曜日だもんな。

    友達と街に出てもおかしくないよね。


1本だけ待とう。あと1本だけ。

そう思ったときに、バス停に向かって歩いてくる人影に気がついた。


    あっ


白いスポーツバックを肩にかけて、白いシャツの第一ボタンをはずし、

インディゴのジーンズ。

ご主人様だった。

髪が少し長くなっていた。


    待っててよかった。


自然に笑みがこぼれる。

だが、ご主人様は猫に気がつくと、少し驚いた顔をしたあと、言った。

「なんでここにいるの?」

あんなに聞きたかった声。

ちっとも嬉しそうじゃなかった。

むしろ、迷惑そうだった。

表情もとても冷たい。

「会いたかったから。」

言葉をふり絞るように猫が言う。

その言葉を聞いても、ご主人様の表情も態度も変わらなかった。

「俺がバスで帰らなかったら、どうする気だったの?」

「次のバスで帰るつもりだった。」

「ふん。」

ご主人様は、それ以上何も言わなかった。

猫のわくわくした気持ちはみるみる萎んでいった。

バスを待っている間、ご主人様は猫の方を少しも見なかった。

猫も話しかけることはしなかった。

バスが来て、乗り込むと、ご主人様はそのまま腕を組んで目を閉じた。

猫は、仕方なくその横に座った。

一時間後、バスが猫の降りる停留所に停まったときも、

ご主人様はそのままだった。

猫は黙ってそこで降りた。



あのとき、わくわくした気持ちで降りた駅に着くと、アナウンスが告げた。

猫は我に返った。

今日もこの駅で降りる。

しかし、今日は、西行きの電車に乗り換える。


     あのとき。


猫は思う。


     無理にでも離れればよかった。

     そうすれば、今こんなに苦しむことはなかったのに。

     間違いに気がついたのに、気がつかなかったことにしてしまった。


猫の乗った電車は、ホームに滑り込んだ。

ドアが開き、猫はやはり乗客の一番後ろから電車を降りた。


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