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  作者: 炎華
1/6

1.見上げたところには

ふわり。


若草色のカーテンが風に舞う。

そして波がひくように、また元の位置に戻っていく。

物が少なくなった部屋の真ん中で、猫は、じっとそれを見ていた。


若草色のカーテンは、もう長いことその窓に掛けられていたので、

だいぶ色が褪せていた。


    前は、もっと緑が濃かったよね。


猫は思う。


    生地も、もっとしっかりしてた。


窓辺に寄り、薄くなったカーテンの手触りを確かめる。

南向きの三階のこの部屋の、太陽の光を遮るものは何もない。

カーテンは、多少光を遮り、大いに人の目を遮る役割でしかなかった。


ふわり。


手を離すと、再び、カーテンが舞った。

猫はその下をくぐってベランダに出た。


眩しい光が猫を包む。

猫は目を細めた。


このベランダから見えるのは、広大な東京の街並みだった。

狭い道路を挟んだ向こう側から、二階建ての家の屋根がずっと続いていて、

遠くなるにつれて、背の高いマンションやビルが増えていく。

そして、正面には新宿の高層ビル群が小さく見えていた。

その少し左側に目を転じると、

オレンジと白の東京タワーが更に小さく見えている。

空気が澄んでいれば、羽田から離陸した飛行機が飛んで行くのが、

豆粒より小さくだが、見えることもあった。


目をこらして、東京タワーの左側を見ていると、

白く光る小さな小さな粒が、斜めに飛び上がってくる。

光る粒は、そのまま真っ直ぐ右の方へ、または、ぐるっとまわって左側へ、

青い空の中、それぞれの目的地を目指して、ひたすら進んでいくのだ。


小さすぎて、すぐ見失いそうになる粒を目で追いながら、

猫はその行き先に思いを馳せた。

どこへ行くのだろう、と。

九州だろうか。

もっと近場かもしれない。

その姿が見えなくなるまで見送るのが、猫はとても好きだった。


しばらく猫は、東京タワーの左側をじっと見ていた。

光る粒が、飛び上がってくるのを待った。

今日が、最後になるから、飛行機が飛んでいくのを見たかった。

今までしてきたように、一機でもいいから、見送りたかった。

しかし。

今日は、飛んで行く飛行機は見えないようだった。


    風向きが、逆なのかな。


呟いて、ため息をつく。

そして、今度は左にめいっぱい目を転じる。

そこには、池袋のビルが新宿より大きくそびえていた。


夜はもっと綺麗だった。

新宿の高層ビルや東京タワー方面に至る夜景は、とても素晴らしかった。

白や青、そして赤い光がゆっくり点滅している。

それがずっと真横に続いているのだ。

そして、0時に東京タワーのライトが消えるのを、わくわくしながら待つ。


しかし、その風景も右半分が今は見えなくなってしまった。

猫がご主人様とここに来た何年か後に、

一区画先に同じ三階建ての公営住宅ができたからだ。

嘆く筋合いはないけれど、と猫は思う。


    それでも、あのときはとても悲しかった。

    だんだん建物ができてきて、景色が少しずつ見えなくなっていって。


半分だけしか見えなくなってしまったことが、

なんだか、自分の半分も無くなってしまったかのような気さえしていた。

好きだったから、と猫は思った。

この景色がとても好きだったから。

いつか、見られなくなるのはわかっていた。

それは当たり前のことなのもわかっていた。

そして、それがあと何分か後に、現実となる。


猫はこの部屋を出て行く。


後に残るご主人様のことを、思った。

悲しげに歪むその顔を思った。


「なんでいるの?」


「・・・俺は、お前と別れても、家族をとる!」


「いけば。」


「猫は死んだんだ!俺の愛した猫は死んだ!俺が殺したんだ!」


叫んだご主人様の声が聞こえてくるようだった。

猫はその声に抑えつけられる様に項垂れる。


    なんで?なんでって

    だって、家族じゃないって、猫は家族じゃないって

    代わりだって!

    何もしてやらなくても、ずっと傍にいるだろうって!

    いけばいいって、行きたいところにいけばって!


歯を食いしばり、固く目を閉じて、

聞こえてきたご主人様の声に、抵抗する様に猫は心の中で叫んだ。

しかし、必ずその後に、決まって罪悪感に苛まれた。


    ご主人様を悲しませたくなかった。

    ずっと守ると思ってたのに。

    あんな風に泣かせるつもりじゃなかった。

    あんな風に苦しませるつもりじゃなかった。

    あんな風に!猫が!!


罪悪感にしめつけられるようだ。

体がこわばる。


    ごめん、なさい ごめんなさい ごめんなさい


ご主人様の悲しげな顔。


    ごめんなさい ごめんなさい



「・・・どうしたいの?」


立ちすくみ、硬直する猫の耳に響いた声があった。

正確には頭の中に、もっと正確には記憶の中に、だ。


    『光』?


  

「ねえ、猫。

猫は他人のことばかり気にしてるけど、猫自身は、本当はどうしたいの?」


それは、悩み、苦しむ猫に、『光』が訊ねた言葉だった。


    猫、猫は・・


固く閉じた目を開き、体の力を抜く。

俯いた顔をゆっくり上げると、そこには変わらない広い空があった。


    行く。

    行くよ。

    ここを、出て行く。

    そして、行くんだ。

    あの、見えなくなった右側へ。

    そう決めたんだ、あのときに。



挿絵(By みてみん)

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