【B】―2
#カラオケ #酷白
二度目の呼び出しがあったのは、一週間後のことだった。また夜。ケータイが鳴り出してディスプレイを見ると、発信者名“雅樹”――彼からかかってきた電話だった。
《カラオケ行きてぇ〜》
バイト先のナントカ先輩とかいう人のおもしろ話を聞かされ、そのネタが尽きた頃、いきなり雅樹くんがけだるい声でそう叫んだ。私は「う〜ん、行きたいね」と適当に相槌を打つ。すると
《じゃあ、行く?》と彼が軽い調子で誘ってきた。今から? ありえない。その時、時間は既に夜の7時を回っていた。突然こんな時間に呼び出されても来ると思われてるのかな。この前行っちゃったけど……。よし、断っちゃえ。私はきっぱりと断ることにした。
「今からだと帰りが遅くなっちゃうから、また今度ね」
《……》
彼は沈黙し、諦めたかのように思えたが
《じゃあ、明日は?》とすぐに食い下がってきた。
「明日もちょっと無理」とこちらも対抗。
《じゃあ、明後日》
「明後日も無理。平日はずっと仕事で朝早いから」
《そっか〜、じゃあ日曜会おうよ?》
「日曜?」
《うん、日曜なら休みだから平気でしょ?》
「日曜はちょっと……」
《何か予定あるの?》
聡志さんと……ないけど……あるかも。
「う〜ん」
なんか悪いことしてるみたいな気分だけど……ま、いっか、遊ぶだけだから。たまには若い者同士で遊んでもいいよね?
で、結局私たちは会うことになるのだった。
そして日曜当日。私と雅樹くんは昼前に駅で待ち合わせした。相変わらずラフな格好で現れた雅樹くん。その日はニット帽を被ってなくて、ちょっと古臭い感じのする茶髪のウルフレイヤー。あの頃とあんまり変わってないなぁ。ビジュアル系っぽい。彼だからありなんだろうな、こういうのも。とても三十代には見えない。もっとオシャレすればいいのに。イケメンなんだから……。
私たちは近くのカラオケボックスに入った。そこでお昼を済ませ、延長延長を繰り返してたらいつのまにか夕方。雅樹くんはやっぱ歌上手いなぁ。前よりビブラートが利いててかなりいい。顔もいいのに、なんでこれでプロになれなかったんだろう。わかんないなぁ……。
「長倉さんて下の名前何ていうんだっけ?」
歌い終わって、ジュースの入ったコップを口に運びながら雅樹くんが聞いてきた。
「え? 乃々だけど」
少しキレ気味に私は答えた。今更? てか最初から知らなかったんじゃ……最悪ッ。
すっかり彼に興醒めして私がむすっとしていると、取り繕うように彼は言った。
「嘘嘘、知ってるよ。“乃々”ちゃんだよね?」
「今聞いて分かったんでしょ」
「違うよ。前から知ってたって」
「……」
まぁ、いいけどね知らなくても。私に興味がなかったってことでしょう。
すっかりテンションが下がってしまった私は、お皿に入ったスナック盛りのポテトチップスをバリバリとやけ食いした。
「長倉さん」
「何?」
「今から“乃々”って呼んでもいい?」
は? 何いきなり。てかなんで呼び捨て……
私が不可解そうに見ていると
「駄目?」
そう言って私の顔を見詰めてくる雅樹くん。うわ……っ、なんのつもり?
向かい側に座っている私のほうへ、ソファの上を座ったまま滑るようにずいずい近寄ってくる雅樹くん。接近してくる彼に焦る私。すると
「これ、入れといて」と言って彼は、歌の番号を指で押さえた歌本を私に預け、トイレに行くと言っていなくなった。ふっ、と私の口から失笑が漏れる。なんにもないならないほうがいいんだけどね。そうだ、先に入れちゃおっと。私は自分が歌いたい歌の次に彼の分を予約した。
「やめてSo You態度が紛らわしいのよ〜……」
中学時代に流行った懐メロを歌っていると、ドアが開いて雅樹くんが戻ってきた。
「ただいまっ」
ぴょんと跳ねるような語尾。……なんだこいつかわいいな、男のくせに。とちょっと嫉妬しながら「おかえり」と返してあげる私。とりあえず歌っていた歌を終了させ、マイクを置いて一休み。間もなく画面が切り替わり、次に予約していた歌のタイトルが出た。私は前奏を聞きながらアップルソーダをストローで飲む。ぼんやり。
「……」
前奏が終わって歌に入る。
“不意のキスが時を止めた”
その文字が白からカラーに染められていく。その歌詞と同じように私の時も止まった。“不意のキス”――タイトルと同じ演出。普段なら吹き出してしまいそうなシチュエーションだけど、ちっとも笑えなかった。“彼”のキスが熱い。唇から溶けてしまいそう。ガイドメロディと演奏だけになったBGMというには騒騒しいボリュームのサウンドが、この空気に構わず鳴り続ける。
「……」
雅樹くんが唇を離すと、私は閉じていた瞼を開けた。彼と目が合った。私は目で問い掛ける。なんでキスしたの? と。
「しないほうがよかった?」
――え?
思いもよらない返事が返ってきて、私は呆然とした。
「なんで?」
「不安そうな顔してるから」
「え? そんな顔してる?」
やっぱり私、彼のことを気にしてるのかな。そうだよね、結婚を約束した人がいるのにこんなことして、罪悪感も湧くよね……それが顔に出ちゃったのかも。
「やっぱしないほうがよかったね。もうすぐ乃々、結婚するのに。こんなことしちゃまずいよね」
彼は疑問符なしで、淡淡と独り言のようにそう呟いた。気力が失せた目でソファに寄り掛かり、諦めたように苦笑いしながら。
「誰から聞いたの?」
「静香さんから」
やっぱ静香ちゃんかぁ。口止めしなかったけど、まさかそんなに早く伝わってるとは……
私も幸せいっぱいで浮かれてたから仕方ないんだけど。今度はちゃんと言っとこう。と私は肝に銘じた。
「やさしい人なんでしょ? 年上で」
「う、うん」
「そっかぁ、そうなんだぁ……」と半笑いで雅樹くんは言った。
「ごめん。俺、おめでとうって言えない」
「?」
「卒業してから気付いたんだけど俺、乃々のこと好きだったみたい」
え……今更!? それってもしかしたら付き合ってたかもしれないってこと? 学生の頃は、全然そんな態度見せなかったのに……
「だからこの前いきなり電話しちゃったんだ。会いたいな、と思って」
私だって好きだったよ。でも雅樹くんは、いつも音楽以外のことで話しかけてくれなかったし、私のことライブに誘う以外相手にしてくれなかった。それなのにずるいよ、今更。今更そんなこと言われたって、私はもう結婚するんだからっ……
ぶわっと涙が目に込み上げてきた。ずるいよ。ぎゅっと一文字に引き結んだ唇がだんだん歪んでへの字になって震え出す。
「なんで泣くの?」
「わかんないんだったらいい!」
ずっと片思いだと思ってたのに……
仲良くなりたくていっぱい話しかけたり、ライブ見に行ったり。女の子としてかわいいと思われたくて雑誌で研究してオシャレしたり。彼女になりたくていろいろがんばったよ。一緒に下校する日を夢見て、いつか告白されたらいいなと思ってたけど、されないまま卒業しちゃった。やっぱり私は音楽を語り合う話し相手でしかなかったんだなって、それで諦めたよ。でも本当はずっと両思いだったなんて、そんなの残酷すぎるよ! なんで今言うの?
いくら叫んでも、その声は雅樹くんには届かない。
「なんで? 俺が好きだったって言ったから?」
「……」
「やっぱ迷惑だった? もうすぐ結婚するのに」
「……」
「乃々、何か答えてよ?」
「……」
「そんなに泣くなら、なんで俺とキスしたんだよ……」
雅樹くんの声が震えていた。泣くの? 私は理不尽な彼の言動に怒りを覚えた。
「そんなのこっちが聞きたいよ、なんでキスなんかしたの?」と強い口調で言い放つ。
「そんなの好きだからに決まってるじゃん。好きじゃなかったら、こんなことしないよ」
震えて弱気な声で彼は言った。ぐすっと鼻を啜る。
もっと早く言ってほしかった。そしたらあの頃の私は、もっと青春を謳歌できたのに……
?――私ははっとして素早く携帯を掴んだ。
「今何時?」
サブディスプレイの時計を見て慌てる。
「やばい、もう帰らないと!」
急いで帰り支度を始める。上着、バッグ、そして伝票。いくらいくらと計算してバッグから財布を取り出す。
「あ、いいよだいたいで」と雅樹くんが言って私は割り勘を雅樹くんに預けた。じゃあ出るか、と二人で部屋を出てレジに向かった。
※選択肢はありません。そのままB-3へお進みください。