【C】―3 ー6
朝になっても、昨晩のことがずっと頭の中に残っていた。蒼くんに腕を捕まれたこと。ぎゅっと。
「行かないで」と言われた気がした。
「長倉ちゃん、ぼーっとしちゃって。またトマト落っことすよ」
「?」
みんなでお弁当を広げて昼食を摂っていた私は、鈴木さんの声にはっとして視線を箸の先端に移した。その二本の棒の間に、ミニトマトは無事挟まれていた。ほっ。それをあ〜んと口に持っていく。パクリ。
「?」
の予定だったが、トマトはポロッと箸の間から逃げてしまった。また。
「ほら〜」と鈴木さん。
「ッ」
しかしそれをパシッと私の掌がキャッチした。やたッと私はドヤ顔。そしてトマトを今度こそ口の中に入れることに成功した。が
「……」
その代わりに二本の箸が床に散らばった。オーアールゼット……
「だから言ったのに」と言う鈴木さんの冷ややかな声を背に、苦笑いで箸を洗いに行く私だった。
バイトを終えて帰る途中、電車の中でケータイが鳴った。バッグの中からケータイを取り出すとメールが来ていた。
“今、T駅です。”
聡志さんからだった。私が返信する。
“もうすぐ着きますね!”
聡志さんからのメール――
“近くに来たら、またメールします。”
“了解です”
そのメールを返信すると、私はケータイをバッグの中にしまった。
「ただいま〜」
私は息を切らして玄関のドアを開けた。今日は聡志さんが帰って来ることがわかっていたので、帰りにお寿司を買ってきた。他にも必要な食材をいくつか買ったので、それらを持って帰ってくるのが結構きつかった。指にはレジ袋が食い込んだ痛々しい跡が。もう、駄目。手がっ、指がっ、ちぎれる〜〜! 寿司が入ったレジ袋を傾かないように上り框に置くと、ドサッと頽れるように、私はその横に座り込んだ。玄関にはきちんと揃えて置かれた蒼くんの靴があったが、やけに鎮まり返っていて、奥から出て来る気配はない。彼が出て来て手を貸してくれることをちょっと期待していた私は、諦めて少しよろつきながらキッチンへ向かった。
キッチンの床に荷物を置いて「ふー……」と一息吐く。何気なくリビングも覗いてみると、蒼くんがいた。制服のワイシャツを脱いで、Tシャツとズボン姿だった。テーブルの上に置いたワイシャツとにらめっこしている。
「どうしたの?」
そう問い掛けると蒼くんは振り向いて、お帰りなさいと言ってから続けた。
「ワイシャツのボタンを女子が付けてくれたんですけど、なんかきつくなっちゃったんで、自分で付け直そうかと思って」
「ふ〜ん」
そんなことしてくれる子がいるんだ? やっぱモテるんだね。と心の中でこっそり呟く。
「ちょっと見せて」と言って近付くと、蒼くんはその場所がわかるように持ち上げた。
「これなんですけど」
「うわ、本当だ」
見せてもらうとボタンの裏側が糸でぐるぐる巻きになっていた。なにこれ、きっつきつッ! 慣れない子がやったんだなぁとすぐにわかった。蒼くんは困ったように無言でそれを眺めている。よっしゃ、ここで私の出番っ!
「付け直してあげよっか?」
ふふん、たまには頼りになるとこ見せたいもんね。蒼くんはこくんと頷き、さっそく私はその横でお直しを始める。百均のソーイングセットを蒼くんに借りて、ちくちくそれを縫い直していると
「ただいま」と低い声がした。お帰りなさい、と見上げて言う蒼くん。
「あ、聡さんお帰りなさい」と私も振り向くと
「痛っ」
ちくっと針先を指に刺してしまった。
「大丈夫ですか?」と蒼くん。
「へへ、刺しちゃった」と苦笑する私。そんな私たちを見て聡志さんは
「……」
慌てて私は言った。
「ごめんなさい、これ終わったらごはん出しますね」
「いいよ、慌てなくて」
聡志さんは気を遣うように笑って、リビングから出て行った。
「はい、できましたっと」
私は玉止めした糸をハサミで切って、ワイシャツを蒼くんに渡した。
「ありがとうございました」
受け取って蒼くんは微笑した。
うわっ!? び、美笑……。
その笑顔のギャップにぎゃふんっ。ツンツンボーイ、おそるべしっ! オーアールゼット。
キッチンに戻り、買ってきたお寿司をリビングのテーブルに運んだ。
「お寿司か、おいしそうだね」
聡志さんが部屋着に着替えて一階に降りてきた。
「ごめんなさい、出来合いのもので」
「構わないよ。お寿司は好きだから」
「明日はちゃんと作りますから」
「楽しみにしてるよ」
それから蒼くんも着替えを済ませて二階から降りてくると、私たちは久しぶりに三人で食卓を囲んで談笑した。




