【C】―3 ー1
#恋人の息子
バイトが終わると私は、荷物を取りに一旦家に戻った。父は外出中で、家には母だけがいた。
「じゃあ、行ってきます」
「しっかりね」
やけに嬉しそうな顔で送り出す母を見て、その胸中を悟った私は苦笑した。娘がいよいよ結婚間近だから嬉しいんだろう。相変わらずわかりやすい人だな。でもこっちとしてはちょっと複雑なんだよね。ははは……
母親の期待か、何か目に見えないものを背負って私は家を後にした。
だって、“二人っきり”なんだよ?
外に出ると私は、複雑な思いを空にぶつけた。そして拗ねたように唇を尖らせてバス停を目指すのだった。
電車とバスを乗り継いで聡志さんの家に向かった。バス停から距離にしてそれほど遠くはないんだろうけど、荷物が多いせいか息が切れる。涼しくなってからでよかったと心から思った。辺りは秋の宵に暮れて人通りもなく、静けさが広がっていた。蒼くんもう帰ってきてるかなぁ。
家の前まで来るとフェンスは閉まっていて、玄関の横に自転車は一台しか停まっていなかった。あれって多分、聡志さんのだよね。色が似てるからわかんないけど。一応インターホンを鳴らしてみるが、ピンポーン、ピンポーン、ピンポーン。
「……」
ドアの向こうから人が出てくる気配はなし。嗚呼……。私は重たい荷物を地面に置いてげんなりした。やっぱりまだ帰ってきてないのかぁ。どうしよっかな〜荷物を持ってもう歩き周りたくないし。でも蒼くんのケータイの番号知らないから連絡取れないし。
「はあぁ……」と盛大なため息を吐いてへたりこむ。
「リリン」
とそこにベルの音が響いて私が顔を向けると
「蒼くん?」がいた。制服姿ってことは今学校から帰ってきたのかな。グッドタイミングっ! ではないか……とにかく私は喜んで立ち上がった。
「待ちました?」
「ちょっとだけ」と私は遠慮気味に言って苦笑した。
蒼くんは自転車を停めてフェンスのドアを開けると、私を中へ促した。それから自転車をすいーっと走らせて、聡志さんの自転車の隣に停めた。足を後ろから回すようにして自転車から降りる。
足長っ!? 華麗〜。
その姿に惚れ惚れとしていると、蒼くんが歩いてきて、玄関の前で待っていた私の横に並んだ。
うわ、背ぇ高っ!?
聡志さんより上にある彼の頭部を仰いで私は驚嘆した。こうやって眺めるのもなんか新鮮だな。背高いし、イケメンだし、きっとモテるんだろうなぁ。 彼は、背負っていたリュックの中から鍵を取り出してドアを開けた。
「どうぞ」と言って私を促し、上がり框の上にスリッパを置く。彼はスニーカーを脱いで自分用のスリッパを履き、私は彼が用意してくれたスリッパに履き換えて家に上がった。
「じゃあ、空いてる部屋を案内しますね」
彼はリュックを下ろして玄関に置き、私も荷物を玄関に置いて、彼の後に続いた。
「ここの和室と」
先に案内されたのはリビングの隣にある和室だった。彼が二階に上がり、私も付いていく。
「ここです」
二階には部屋が三つ並んでいた。階段を上がってすぐ右手に一つ、その隣に一つ。さらにその向かい側にもう一つ。彼は右奥の部屋を私に案内して、少し気まずそうな顔をして言った。
「俺の部屋の隣になりますけど」
て……
あ、蒼くんの部屋の隣!?
いけませんわ、そんなこと!
あ〜〜れ〜〜……(?) 危ない妄想をして、一人慌てる〇ラサー。 そんなことは知らないピュア男子校生蒼くんは、付け足すように言った。
「でも布団で寝るよりベッドのほうが良ければ、こっちのほうがいいと思いますけど」
あ、そっか。こっちはベッドがあるんだもんね。て、え、もしかして聡志さんが私用に? なわけないか。気が早すぎるよね……
「あのベッドって」とさりげなく尋ねてみると
「母親が使ってた部屋です」
蒼くんは、感情が読み取れない淡々とした口調でそう言った。
「そう、なんですか」
うわぁ、そんな大事な部屋を私なんかが使っていいのかな。私はすごく申し訳ない気持ちになってしまった。
「いいんですか、私なんかに貸して」と訊いてみると
「全然、構いませんよ」と蒼くん。
「親父も、いいって言ってるんで」て
そう言われても……やっぱ気にしちゃうよ。だって亡くなった奥さんの部屋なんだよ? と考え込んでいると
「そんなに深く考えなくてもいいですよ。ベッドがあるかないかの違いだと思って、選んでもらえれば」
「は、はあ」
そうは言われましてもね。気を遣うよ。でもそしたらさらに彼にも気を遣わせてしまうような。う〜〜ん、どうしよう……どうしよう……っっええぃ! どっちにするんだ私っ? この優柔不断ーーーー……っっ。頭の中で一人葛藤を続ける私と
「……」
答えが出るのを待っている蒼くん。
どっちだどっちだーー!?
葛藤する私と
「……」
待っている蒼くん。
「あの」
彼が先に口を開いた。
「好きなほうを使ってもらって構わないんで」とあっさり告げて踵を返す。
「あのっ!」
私はちょっと待って、と慌てて叫んだ。振り向いた彼にこう告げる。
「ここにします」とその部屋を指差した。
こうして私は蒼くんの隣の部屋を使わせてもらうことにした。やっぱベッドがあるほうがいいもんね。それに一階だとなんとな〜く落ち着いて眠れなそうだし。うん、そうだそうだ! と自分に言い訳して頷く私。その顔はちょっと引き攣っていた。
その日の晩ごはんは、有り合わせのものでいいと蒼くんが言ってくれたので、残っていた玉葱とウインナーを使ってナポリタンを作った。それにスライスしたゆで卵を盛り付けて出来上がりっと。でも、これだと野菜が足りてないよね。よし、明日はサラダを作ろう。帰りに野菜を買ってこなくっちゃね。
できた料理を並べて食卓に着いた。蒼くんと二人っきりで食事するのは始めてなので緊張する。これで大丈夫、かな? 無難なのを作ってはみたけど、正直不安だった。今まで家族や彼氏以外の人に料理なんて振る舞ったことないし、普段料理してて、そんなにまずいものを作っているつもりはないけど、そう思われちゃったらどうしよう〜。蒼くんてまずかったとしても口に出さなそうだし……
「いただきます」
言って食べ始める蒼くんに続いて小さく「いただきま〜す」と言う私。会話はなく、食器の音だけが響く。私はパスタをクルクルとフォークに巻き付けながら、落ち着かない気持ちで蒼くんの様子を尻目に観察する。チラリ。蒼くんて、食べ方もきちんとしてるなぁ。猫背とかになってないし。あ、唇の端にケチャップ付いた。かわいい〜!
ペロッとそれを舌先で拭い取る蒼くん。きゃっわいい〜。あ、やばい。あんまり見てると怪しまれちゃう。
「……」
「……」
それからも蒼くんは美味しいもまずいも言わず、ただ黙々と食べ続ける二人――“沈黙の食卓”……て、重っ!。はははは、と私は心で苦笑い。は。渇いたその笑いはすぐに止んだ。てか蒼くんは高校生。私はアラサー。私はアラサー、“一女子”。蒼くんは高校生、“一男子”。何も起こるはずないのはわかってるけど……蒼くんは意識しないかもしれないけど……私は意識しちゃいそうですよ〜〜とくにあんな整った顔した男の子と一つ屋根の下なんて。にへっ。だめだめ、私には聡志さんていう大事な人がいるんだからっ! にへにへっ。おかしな行動を起こしたら天誅が下るわよ! にへにへにへにへにへにへっにへにへっ……
「どうかしました?」
「え?」
いかんいかん、へらへらしてるから蒼くんがキョトンとしちゃってるじゃん。
「別に」と笑ってごまかす私。蒼くんは腑に落ちない顔で首を傾げると、食事を再開した。
ふー、危ない危ない。追求されなくてよかったと額に汗を浮かべる私だった。にしても蒼くんてイケメンだな。顔ちっちゃいし、お肌すべっすべ。思春期なのにニキビなくて透明感がある。かわいいなぁ〜。にへっ。あ、また……
そうこう考えているうちに
「ごちそうさま」
そう言って蒼くんが立ち上がった。皿を持ち上げようとしたのを見て
「あ、いいよ、そのままで。私がやるから」と私が叫ぶ。
「じゃあ、流しのほうに置いとくんで、後はよろしくお願いします」
「うん、はーい」
ありがとう、と言って私は微笑し、蒼くんは食器を流しに運んでからいなくなった。
なんかちょっとイイ感じじゃない私達? ちょっとずつだけどコミュニケーション取れてきてるし。このまま順調にいけばいいなぁ。
あ、ナポリタンおいしかったか訊くの忘れちゃった。ま、いっかそれは。とりあえず明日はもっとがんばろーってことで。
そしてこの日は何事もなく、平穏無事に一日を終えたのだった。