【B】ー4
◆◆このルートはこれで完結です。
その結末は……?◆◆
#浮気 #二股 #結末
「うるさいなぁ」
私は悪態を吐いて、嫌々電話に出ることにした。通話ボタンを押してケータイを耳に当てる。
「もしもし」
無愛想な声で電話に出ると
《もしもし、ごめん……》
か細い声で雅樹くんは言った。私が何も返さないでいると
《ごめんね》
彼はそう繰り返した。
許さない。電話の向こうで、私は口をへの字に曲げた。
彼が続ける。
《――こんな遅い時間に電話して》
わかってるならかけてこないでよね。私はケータイに向かって動物が威嚇するように歯を剥き出しにしてイーッとした。もう騙されないんだからっ!
《今さ、俺、病院なんだ》
「ぇ……」
思わぬ発言に私は、口と目を開けたまま固まった。
「病、院?」
その単語を聞いて怒りの熱がさーっと冷めていく。病院って……
「何かあったの?」
不安が沸いて来て、全身に悪寒が広がる。雅樹くんは言った。
《原付きで事故っちゃってさ、入院することになっちゃった》
どこか苦笑しているような口ぶりだった。
「嘘……」
私の目に、熱いものが込み上げてきた。
「大丈夫なの?」
声が震える。
《なんとか》
「なんとかって……」
《足の骨に皹入ってたから、ギプスで固定してるけど》
「他は? 頭は打たなかった?」
《うん、足だけ。あとはかすり傷だった》
「そう」
安堵の深いため息が、どっと溢れ出た。
「それで、どこの病院に入院してるの?」
私は引き出しを開けて適当な紙に、言われた病院名と場所を書きなぐった。
「明日、お見舞いに行くね」
《今会いたい》
「はっ!?」
ちょっとドキッとして、私は頬を赤らめた。声を潜めて続ける。
「何言ってんの、こんな時間に。無理に決まってるでしょ?」
《ダメ?》
も〜〜っ! なんだこいつ……
イラッとするけど、同時に可愛いとも思ってしまった。くそ、なんか悔しい。
《ダメ?》
「ダメっ」
甘えられることに、心地よさを覚えている自分がいた。
「明日絶対行くから、今日はもう休んでて」
《ぅーん……》と不満そうに唸る雅樹くん。
「じゃあ、もう遅いから切るよ。おやすみ」
《おやすみ》
私から電話を切った。はい、終了っと。
「〜♪」
私は鼻唄を漏らし、ニヤニヤしながら眠りに着いたのだった。
翌朝、起きて充電器に差し込んでいるケータイを見ると、ランプが点滅していた。メールが届いていたことがわかり、メールボックスを開いてみると
聡志さん……
彼からだった。いつ届いたんだろう。全然気付かなかった。そう思い、日付を見てみると――金曜? 昨日の着信になっていた。
“明日空いてる?”
って、今日のこと? やばい!?
えっとえっと……
慌てて私はメールを打った。
“ごめんなさい。今日は交通事故で入院してる友達のお見舞いに行かないといけないので、明日はどうですか?
送信、と。
「……」
ケータイを部屋に置いて、一階に降りる。洗顔やハミガキを済ませて部屋に戻って来た。ケータイのディスプレイは真っ暗なままだった。まだ返事は来ていないようだ。ボタンを押して画面を明るくしても、やはりメールの着信を報せる手紙の記号は表示されていなかった。私は欺瞞の笑みを浮かべる。
そのうち来るよね?
外出用の服に着替えて、化粧を始める。とまたバイブが鳴った。聡志さんからだった。
“明日は高校の同級生と同窓会だから、今日会いたかったんだけど、お見舞いじゃ仕方ないね。
私の返事――
“ごめんなさい、昨晩メール気づかなくて! いつのまにか寝ちゃってたみたいで…”
てか、“会いたかった”って、すごいうれしいんだけど!
こんな状況だけど、初めてそんなことを言われてうれしかった私は、困ったような複雑な表情で微笑った。
ここかぁ。
私は、病院名を表す文字が書かれた建物を見上げた。その病室に雅樹くんが入院している。誰かのお見舞いに来たのは、本当に小さい頃、母親に連れられて来た時以来だったので、緊張していた。入口は手前とさらにその奥が自動ドアになっていて、そこを通って院内に入った。来る途中に駅中のケーキ屋さんでケーキを買った。箱入りのそれが入った袋を片手にエレベータ乗り場へ向かう。雅樹くんがメールで教えてくれたので、病室はわかっていた。乗ったエレベータが指定した階で停まると、開いたドアから出て病室へ向かう。静かな廊下に、自分が履いているパンプスの靴音が鮮明に響いた。
307号室。私はその病室の前で足を止めた。壁に患者さんの名前を書いたネームプレートがかかっている。佐藤、樫井、光井、吾妻……あった!
その中に彼の名前――“吾妻”を見付けた。さっそく私は、空いていたドアから室内に入った。
入ってすぐ、右脇のベッドで仰向けになっていたおじさんと目があった。うわ、なんか恐い。その奥にはテレビを付けたまま、目を閉じてベッドで寝ているおじいさんがいた。その奥にもう一台ベッドがあって、窓際を向いて横になっている人の姿が見える。左側を見ると、手前にまだ若そうな男の人がいた。ベッドの上にあぐらをかきながら、キャスター付きのサイドテーブルの上に広げたノートパソコンを打っている。その隣のベッドで、寝ながらケータイをいじっているのは……
「雅樹くん、お見舞い来たよ」
「おお、乃々“ちゃん”!」
雅樹くんだった。一瞬こちらを向いた顔はすぐにケータイの画面に戻る。
「足、大丈夫?」
「んー、なんとか」
包帯でぐるぐる巻きにされた足が痛々しかったが、それ以外はいつもと変わらないし、元気そう。そう見えた。
「これ、お見舞いにケーキ買ってきたから」
「ありがとぉ」
と言って、まだケータイをいじっている雅樹くん。私が来た意味あるのかな……
「あのさぁ」
「んー?」
「誰か、お見舞いに来た?」
「来てないー」
軽く答える雅樹くん。
「そうなんだ……はは」と私は苦笑い。
実家暮らしなので、着替えとかは後でお母さんが持ってきてくれるらしい。
「昨日はびっくりしたよ。いきなり夜、電話かかってきて、事故ったって言うから」
「あははは」
「事故って、交通事故?」
「うん」
「どうやってぶつかっちゃったの?」
彼の話によると、夕方バイト先に行く途中、彼はレンタルショップに寄ってレンタルしていたCDを返却した。その後駐車場から車道に出ようとすると丁度そこへ乗用車が一台やって来て、原付きバイクの彼は悠々とその車と擦れ違い左折した。するとその乗用車を追い抜くように後ろから別の乗用車が走ってきて、彼の原付きバイクに接触した。その時の衝撃で、彼は転倒しかけた車体を支えようとして、咄嗟に地面に足を突いたらそこに強い力がかかってしまい、足を骨折してしまったということだった。
「最悪だね。でも頭とか打たなくてよかったよ」
「うん」
雅樹くんは苦笑いした。なんか軽い反応。大事には至らなかったからいいけど。こっちは昨晩、本気で心配したんだからね。もうっ、またケータイいじってるし!
「ねぇ、ケーキどうする。食べるならお皿に取るけど」
「じゃあ、食べる」
私は箱の中からショートケーキを取り出して買ってきた紙皿に乗せた。もしものことも考えてケーキ屋さんに付けてもらったプラスチックのフォークを添えて、サイドテーブルに乗せる。それを雅樹くんが食べやすい位置まで、キャスターを転がして動かしてあげた。
「私、飲み物買ってくる。何がいい?」
「飲みかけのやつがあるから、俺はいい」
私は病室を出てエレベータで一階まで降り、売店でペットボトル入りの紅茶を二本買った。一本は自分の用。もう一本は彼にあげようと思った。またいらないって言われたら持って帰ればいいもんね。
「ただいま」
「おお、おかえり」
病室に戻ると雅樹くんはまだケータイをいじっていた。
「ケーキ食べない?」
「うん」
返事はでかいが、なかなかケータイを手放そうとしない雅樹くんにイラッとする。
「ねーえ?」
「うーん、あとちょっと……あっ、あぁーくそ、やられた!」
雅樹くんはケータイを持っている腕をだらーんと降ろすと、ようやくそれを傍らに置いた。
「食べよ」
「うん」
そこでやっと揃って食べ始める。本当に私、ここに来た意味あるのかな……?
雅樹くんの病室を後にすると、私はバッグの中からケータイを取り出した。
あ、メールが来てる。
聡志さんからだった。
“今新幹線で移動中です”
“え、もう乗ってるんですか?
地元ってどこなんですか?” と私がメールする。
聡志さんの返事――
“E媛だよ”
私の返事――
“そうなんですか?
E媛って柑橘系で有名なとこですよね?
いいな〜同窓会、ゆっくり楽しんで来て下さいねw
” 聡志さんの返事――
“ありがとう”
それを読んだ私は、ケータイを握ったままぼんやりと虚空を仰いだ。
電車に乗って帰路に着く。土曜ってもっと混んでるのかと思ったけど、以外とそうでもないんだなぁ……
混雑していない電車に乗るのは久しぶりだった。揺られながら思考に浸っていく。ふと鼻から溜め息が零れた。無意識だったけど、なんとなく零れた意味はわかっていた。そして眠るように瞼を下ろす。
わたしの心はさ迷っていた。どっちに行けばいいんだろうってうろうろと。雅樹くんの存在が聡志さんの存在を隠してしまう。もう泣かされたりするのが嫌で、聡志さんに安堵と安らぎを求めていたはずなのに、雅樹くんのことが頭の中から離れない。本当は誰かに守ってほしかったはずなのに、彼のことをほうっておけない気持ちが押し寄せてくる。いつものパターンだってわかってる。わかってるけど、彼のような危なっかしい人は、ほうっておけなくて……
きっとまた呼び出されたら、会いに行っちゃうんだろうな。
そんな予感がしていた。
電車の揺れに身を委ねているうちに、私は本当に眠ってしまっていた。そこへ突然膝の上で鳴り出した音と振動が、乱暴に私を起こした。びくっとしてすかさずバッグからケータイを取り出すと、メールが来ていた。聡志さんからだった。
“O山に着きました。これから特急に乗り換えて、M山に向かいます。”
日曜の夜、聡志さんから私のケータイに電話がかかってきた。なんだろう。こんな時間にかけてくるなんて珍しいなと思って、私は電話に出た。
「もしもし」
《もしもし、こんな時間に電話してごめんね》
「いえ、全然大丈夫ですけど、どうしたんですか?」
私は軽い口調でそう問い返す。でも不思議に思って首を傾げていると、静かな声で聡志さんが言った。
《こんなこと電話でいうのはよくないってわかってるんだけど、会うと辛くなるから》
「え?……」
《ごめん、君と結婚できなくなってしまった》
「!?」
ショックのあまり、私の思考は飛んだ。放心した目で虚空を見詰めながら、彼の声を聴く。
《昨日の同窓会で昔の彼女と再会したんだ。そしたら彼女は夫を病気で亡くしていて、その夫が残した借金と家のローンを返済するために働き詰めで体を壊してしまったらしいんだ。それで今は、病気を患いながら仕事を続けている。それにまだ小学生の子供が二人もいる。僕はそんな彼女を支えてあげたいんだ》
「……」
私は放心を続けていた。相槌なんか打てなかった。
《君はまだ若いからやり直せる。だが彼女はもう……》
涙が目から流れたのは、電話が切れてからだった。
終わっちゃった……
それから聡志さんと私は恋人ではなくなった。それ以外は何も変わらず、翌朝私はいつも通り起きて出勤した。同じ電車に乗って。
彼もまた同じ時間帯に乗って来るだろう。でももう私達は、“ただの顔見知り”。 あれから私を惑わせた雅樹くんとは会っていなかった。後で友達の静香ちゃんから聞いた話だと、バイト先の女の子と付き合い始めたらしい。
「ふーん、そうなんだ」
それを聞いてもなんとも思わなかった。失って気付いた。私にとって本当に大切な人は“あの人”だったということに。でも離れて行ってしまった。彼は――
私の運命の人ではなかったのかな。
それとも……
答えを求めるように私は、車窓の奥に見える蒼穹を仰いだ。
――Bad end――
◆◆運命の神様が、どこかで見ていたのかもしれませんね。◆◆