【A】―4-2
「9月ってこんなに暑かったっけ……?」
窓を開けた途端、押し寄せてきた熱気にむせ返るように、私は心の中で悲鳴を上げた。土曜はバイトが休みなので、朝の涼しいうちに家のそうじでもしようかなとはりきってみたけど、一瞬にして気持ちが萎えてしまった。G阜もこんなに暑いのかな? あとで聡志さんにメールで聞いてみよっと。ちなみに蒼くんはお出かけ中。
私はダラダラした足取りで他の部屋の窓も開け、とりあえずそうじを始めることにした。散らかってないから、掃除機かけるだけでいいよね。ルンルン♪ 鼻唄を歌いながら掃除機をかけていく。
ん? 電話が鳴り出して私は手を止めた。掃除機の電源を切ってノズルを床に置く。
「はい、桜庭です」
はぁ、ドキドキ。“桜庭です”って言っちゃった。言っちゃった言っちゃった〜〜イヒッ。 すっかり一人で舞い上がっていると、電話口から困惑したような声がした。
《もしもし?》
「あ、すいません。えっと、どちら様で……」
電話の相手は言った。
《蒼です》
「新井さん?」
《蒼です》
「青井さん…?」
と訊き返すと
《“息子の蒼”です》と相手は答えた。あ……
「蒼くん!? やだぁ、誰かと思った。どうしたの?」
私が困惑して、「何かあったの?」と尋ねると彼は、落ち着いて淡々とした口調で言った。
《友達と勉強会やろうって話になって、これから家に連れてってもいいですか?》
「え、お友達? て何人?」
《二人です》
「二人、二人かぁ〜……」
腕組みして考え込む私。
「どんな子?」
それにもよる。うるさい子は苦手だ。一拍間を置いてから蒼くんは答えた。
《ふつうですよ》
「そっか、だったらいいですよ」
それなら、と私は承諾した。
「おじゃましま〜す」
やって来た。若い男の子の声。何を出そうか考えていた私は、キッチンでその声を聴いた。
「蒼ん家懐かしい〜」
「すっげー片付いてる。ちょー綺麗!」
それを聴いて私は、そうじしといてよかった〜と心から思った。ついでに化粧して、服もちょっとオシャレな物に着替えていた。
二階に上がる足音が響く。蒼くんの部屋に行ったみたい。さてと、おやつは紅茶と缶に入ってたクッキーでいいかな。私はそれをお皿に盛り付けした。これでよし、と。あ〜、なんか緊張しちゃうなぁ……
それをお盆に乗せ、ドキドキしながら二階に上がった。
「おやつ持ってきたから、ちょっと開けて〜」
部屋の前で言うとドアが開いた。
「……」
開けてくれたのが蒼くんではなかったので少し戸惑った。しかもイケメンだし。身長高くて爽やかな運動部系。私は少し頬に熱を帯びた顔で、あ、どうもとぺこり。もう一人の子が傍らからこっちを見ていて、「ちーす」と挨拶された。こちらにも私はぺこり。うわ、こっちもイケメン……細身で蒼くんみたいに頭良さそう。
「ありがとうございまーす」
「いいえー」
私はイケメンだらけの室内で一人ドキドキしながら、ぎこちない手付きで盆に乗せた紅茶やお菓子をテーブルに並べた。無事並べ終えると
「ごゆっくり」と言ってそそくさと俯き加減で部屋を後にした。
彼らが二階で勉強会をしている間、私は一階のリビングにいることにした。久々に土曜の昼、ゆっくりテレビを見る。たまに見ると面白いな。でも土曜の昼間っから一日中ソファに座ってテレビを見てる女って……嗚呼、なんかさみしい〜。
せめて映画でも見たいな。そうだ、DVDでも借りてこよう! そう決心した私は重たい腰を上げ
「ちょっと出かけてきまーす」と二階にも聴こえるように言い残して、徒歩でレンタルDVD屋さんへ向かった。お店でのんびりDVDを選び、数本レンタルして帰路に着く。
帰宅して玄関のドアを開けると、丁度階段から降りて来る蒼くんに出会した。
「ただいま〜」と一応言ってみる。と私を見て彼は、少しキョトンとした顔をした。
「どっか行ってたんですか?」
「うん、TUDAYA」
「そうですか」
彼はキッチンの方へ足を向け、私も何か飲みたかったので同じ方向へ。
「あ、飲み物無くなっちゃった?」
彼が重ねた食器を持っていたことにはっとして、じゃあまた……と言いかけると
「大丈夫です。俺が持っていきますから」と彼は断った。冷蔵庫から1・5リットルの炭酸飲料の入ったペットボトルを取り出し、それと合わせて空のコップを三つ指で挟むようにして持つ。
「ゆっくりDVD見ててください」と言って彼は背を向けた。
「あ、ねえ」
「……?」
私の声に蒼くんは、足を止めて振り向いた。
「私のこと、なんか言ってなかった?」
ついつい気になって尋ねてしまったが、俯き加減になる私。目だけ上を向いて背の高い蒼くんの表情を窺った。少し間を置いてから蒼くんが言う。
「誰? って訊かれたんで」
私は目をしばたたかせて答えを促す。
「“親父と付き合ってる人”って答えました」
「そっ、か……」と私は力無く笑った。
「なんか、ごめんね。厄介な奴が家にいて」と半笑いする。
結局私って彼にたいしたこともしてあげられてないし、その上いきなりこんな姉弟にも母親にも見えない女が現れたら、お友達も困惑するよね。誰、この人? ってなっちゃうよね。それを説明する蒼くんも気の毒だわ。本当、申し訳ない。そんな気持ちでいっぱいになり、く〜ん、と鳴く子犬のような顔をすると蒼くんが呆れたような顔をした。へ? なんかまずいこと言っちゃった、私? 見えない汗がツーっと額を流れる。
「そんなに気を遣わないでください」
蒼くんが不機嫌そうに眉間に皺を寄せ、きつい語気でそう切り出した。私は思わず畏縮して、その場で固まった。
「あなたが来てくれて、こっちはいろいろ助かってるし、厄介だなんて思ってませんから」
感謝されてるんだよね? でも、怒ってるように見える……でも、怒ってないよね? 蒼く〜ん。
あ、眉間の皺が消えた。
「もっと自信持ってください」
さりげない一言を残して蒼くんはキッチンから去って行った。
その晩、夕飯もその片付けも終えてソファでくつろいでいると携帯が鳴った。
「聡志さんっ!?」
彼用に個別設定にしている着信音が鳴ったので驚いて卓上にあった携帯を手に取ると、ディスプレイに“聡志さん”の文字が。いつもメールばかりでずっと声を聴いていなかったので、嬉しくてつい叫んでしまった。やばっ、と両手で覆った口元から、喜びが溢れ出して顔が緩む。あ、出なくっちゃ。ふふ……
「もしもし」
ニヤニヤしながら電話に出た。
《寝てた?》
なかなか電話に出ないからそう思ったのだろう。私は笑い混じりで「起きてましたよ」と答えた。
悟志さんが言う。
《どう、蒼とは。うまくやってる?》
「はい、“とても”」
私は含むように言って微笑した。
《ん? なんかうれしそうだね。何かいいことでもあったのかな?》
ばれちゃった。私は嬉しそうに焦らしてみる。
「ふふ……“ちょっと”」
《気になるなあ》
「帰ってきたら教えてあげますね」
《わかった》
聡志さんは、ちょっと拗ねたように言った。かわいい〜……
《じゃあ、もう遅いから切るね。おやすみ》
「おやすみなさい」
チュっ。愛してます。通話を終えると私は携帯に向かって、唇から愛を送った。