【A】−3
#息子 #抱擁
週末いつものようにお呼ばれして、聡志さんの家に行くことになった。車で聡志さんに最寄りの駅まで迎えに来てもらい、彼の家に向かう。
「そろそろ、籍を入れようか」
あれってプロポーズの言葉だよね? うふふっ、恥ずかしい〜。助手席に座りながら思い出してにやける私。
私たち、もうすぐ夫婦になるのね。夫婦の「ふ」はうふふのふ♪ なんてね。あははは、寒〜
すっかり私は幸福モードだった。
今日も蒼くんと三人でファミレスでランチかな? と思っていたら、家に入ると聡志さんは私をリビングに通した。
「紅茶でいい?」
「はい」
私はソファで待たされる。あれ? 違和感を覚えていると、聡志さんが戻ってきた。トレイにソーサーに乗せたティーカップが三つ並んでいる。彼はそれをテーブルに並べると
「蒼を呼んでくるから」と言ってリビングからいなくなり、二階から降りてきた蒼くんを連れて戻ってきた。三人揃って紅茶を飲む。誰も腰を上げる気配なし。あれ?
「あのー、出かけないんですか?」
私が尋ねると沈黙を保っていた聡志さんが言った。
「今日は大事な話があるから家で」
私は目を瞠った。胸がそわそわしてくる。“大事な話”って、もしかして“あのこと”を……!? そんな話して蒼くん大丈夫かな? 俺は認めない! とか言って怒って家から出て行っちゃったりしないかな? 不安だよ〜〜……
「あのさぁ」
蒼くんの声が思考を中断させた。私と聡志さんの視線が彼に向けられる。
「話って、結婚のことでしょ?」
私はそう続けた。不穏な空気になって落ち着きなく黒目が泳ぎ、あわあわあわあわ……
「俺のことは気にしなくていいから」
捨て台詞のように言って、蒼くんは腰を上げた。
「蒼……」
聡志さん。先に言われちゃったから話を切り出しずらくなっちゃって次の言葉が出ずらくなってる。蒼くんは「バイト行ってくる」と言っていなくなってしまった。
どうしよ〜!? 気不味くなっちゃった。せっかく仲良くなれそうだったのに……
「聡志さん〜〜!」
(↑心の嘆き)
私は助けを求めて泣きそうな顔で聡志さんの顔を見た。聡志さんが慰めるように私に優しく微笑みかける。
「そんなに心配しなくても大丈夫。あの子は僕たちの結婚に反対してるんじゃなくて、多分遠慮してるんだと思う」
「なんで……わかるんですか?」と私は首を傾げる。
「反対したかったら、こんなに何度も君に会わないだろう」
それに、と聡志さんは言葉を続けた。
「あの子は今まで一度も、君の悪口を言ったことがない」
「!?」
うそ、嬉しい……! ずっと我慢して胸に溜め込んでたものが一気に込み上げてきて、それが涙になって溢れた。よかった。私ずっとずっと心配で、蒼くんがしゃべってくれるようになってからも、本当は嫌われてるんじゃないかって……だからいないところでは悪口とか言われてるのかもって……
「ぅうぅ〜!」
私は感情を抑えられなくなって声を上げて泣き出した。その頭を聡志さんがぽんぽんして慰めてくれた。
私が泣き止んで落ち着いてから聡志さんは言った。
「実は、さっき言おうとしたのは別の話だったんだ」
「!?」
な、なんですと……
じゃあさっきのあの危機迫るような緊迫感は? 私のあの涙はなんだったの? リハーサル?? ああ、頭が混乱する〜。私は頭を抱えた。
「じゃあ、何を言おうとしてたんですか?」
「うん、実はね」と少し声を下げて聡志さんは言った。
「辞令が出て、来週からG阜の本社に転勤になった」
「え……」
(↑心の声)
今何て?
衝撃的すぎて感情が付いてこないんですけど。てん、き、ん。てててて……
「転勤っ!?」
自分の声にはっとして私は口元に手を当てた。
「嘘、じゃあ、じゃあ私は……?」
どうなっちゃうの? ひとりぼっちってこと? 結婚を目前にして離れ離れになっちゃうってこと? そんなの嫌です私、とブンブン首を振る私に「ごめんね」と謝る聡志さん。
「人手が足りないらしくてね、年に一回順番で行かされるんだ。だいたい一月ほどでみんな戻ってくるんだけど」
「一月?」と私は首を傾げる。
「うん、転勤と言っても長期の出張と同じなんだ」
「なんだ、そういうことですか……」
私は安堵して力が抜けた。
「それでお願いがあるんだけど」
「はい」
「僕がいない間、この家の留守番を頼んでもいいかな? 勿論、いやじゃなかったらで構わないから」
「留守番、ですか?」
う〜ん、と唸って私は考え込む。留守番は構わないけど、蒼くんと大丈夫かな。
「やっぱり、蒼と二人じゃ不安かな……」
「いえいえ、そんなこと!」
慌てて否定する私を見て苦笑する聡志さん。
「じゃあ、お願いしてもいいかな?」
「私でよければ任せてください」と私は胸の真ん中に手を当てた。
「ありがとう」
聡志さんはやわらかく微笑した。
「それと、できる範囲でいいから、家事もお願いしてもいいかな? 蒼は来月から中間テストが始まるし、外食ばかりじゃかわいそうだから……」
「ええ、いいですよ。これでも自分のお弁当毎日(←ほぼ)作ってきましたから、ありあわせのものでも料理できますし」
「そう、それはよかった」
私は「えへっ」と舌を出した。
後日聡志さんからメールが届いた。
“28日、AM7:56の新幹線に乗ることになりました”
いよいよだ……。時間をはっきり知らされると実感が湧いてくる。聡志さん、私頑張って起きますからね。起きれるかな……
そして当日、私は――
「聡志さん〜!」
T京駅に来ていた。その新幹線乗り場にいる聡志さんに手を振って駆け寄る。実は朝起きる自信がなかったので、近くのネットカフェに一泊して近道で駅に来たのだ。
「よかった〜、間に合って」
私はとりあえずホッ。
「来てくれてありがとう」
聡志さんはそう言ってやわらかく微笑んだ。気のせいか細めた目が、ちょっと寂しそう。ホームは大きな鞄を持った人やキャリーケースを引きずる人でごった返していた。中には恋人を見送りに来た人もいるんだろうな。私みたいに。そんなことを思っていると出発の時刻が迫って来た。
「じゃあ、気を付けて」
「うん」
「着いたら連絡くださいね」
「うん」
「途中でもメールください」
「うん」
「電話もください」
「うん」
やば……私、泣きそう。
「?」
突然体がぎゅっと何かに包まれた。聡志さんの鼓動を感じる。彼の腕がしっかりと私を包み込んでいた。その手が離れたくないと言ってるみたいに、強く。
苦しいよ……
その圧力を感じるほど胸が苦しくなる。切ない抱擁。
「……」
「……」
寂しい――二人ともそれは口にしなかった。できるわけなかった。言ったら、離れられなくなってしまうから。そして私達は普通に――新幹線に乗車した彼は車内のドアから、私はホームから手を振ってお別れした。
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