第六話. 『こころ』
「本当にありがとうございました!」
古本屋のある通りを抜けて、シャッターの降りている店の前にきて立ち止まってすぐ、わたしはお礼を言った。
「いえいえ、大丈夫ですよ」
親切に笑った彼は、高校の夏服を着ていた。同い年くらいだったんだ。
「コンビニの、店員さんですよね? 深夜の」
認識されていた……!ちょっと嬉しい自分に気づく。
「そうです……! この前の茶封筒の方ですよね?」
「覚えててくれました?! 毎回ヘロヘロで買い物に行っていたところを見られてたと思うと、恥ずかしいなあ」
口元に手を当てて、彼は、少し恥ずかしそうにしていた。
「実は、あれが初めて賞に応募したやつで。書留郵便の送り方もよく分からなかったもんで。ありがとうございました。あと、これさっきの」
彼は、さっきわたしが持っていた『こころ』の文庫本を差し出した。
「あ、ありがとうございます。ええと、50円……」
「いや、いいですよ、本好きなんですね」
「いや、そういうわけには……」
彼はわたしのトートバッグに本を滑り込ませた。
「俺が小説にハマったのは『こころ』を去年、学校の課題で読まされた時なんです。最初は面倒だなって思ってたんだけど、読んでみると面白くて。そこから、俺もこんな本がかけたらなあ、って思って。だから、50円だし、良いですよ」
ニコニコとそう言われたら、もうこれ以上は断るのも野暮だと思って、わたしは大人しく本を受け取った。わたしが本を受け取ったのを確認してから、彼は言った。
「古本屋にはよく行くんですか?」
「はい、最近通い始めて……。いつもは昼間にきてるんですけどね……」
「そうなんですか。俺もたまに行くんですよ、学校帰りに。また会えたら良いですね!」
じゃあ、と、彼は行こうとした。でもわたしはなんだかまだ喋っていたくて、思い切って、言った。
「あの、その、わたしも、小説書くんです!」
突然の話題転換に、彼は驚いたのか、一瞬目を丸くしたけど、またわたしに向き直ってくれた。
「そうなの?」
「はい! 今はあんまり書けないんですけど、何も思いつかなくて、でも」
そのさきを言うのは一瞬ためらった。でも。
「でも、あなたが茶封筒を持ってきた時、また書きたいと思って。それで本を読んでるんです」
ほとんど何も知らない人に、何を言っているんだろうと思われただろうか。そっと彼の方をみると、彼は真剣な顔をして、
「そうなんですね。頑張って!」
と言ってくれた。
「それだけなんです。ありがとうございました。じゃあ、また!」
恥ずかしくなって,背をむけて歩いて行こうとしたわたしを、今度は彼が呼び止めた。
「なんか、良い友達になれそうな気がする。これ、俺の番号。また、話せたら良いなと思って」
ノートの切れ端に走り書きだけど、きれいな字に見惚れているうちに、彼は行ってしまった。
家についた時に、自転車を忘れてきたことに気づくぐらい、わたしの頭の中は、今日のことでいっぱいだった。
そういえばまだ、彼の名前をわたしは知らない。
夏目漱石の『こころ』は学校の課題で読まされがちですね。(と思っているのはわたしだけか……?)
最初読んだときは、なんだこれは。と、難解な文学に頭を捻ったものですが、何度も読むうちにだんだん惹かれていく感じがします。でも、ぶっちゃけ、作者が言うのもなんですが、『こころ』を読んで「俺も小説書きたい」と思ったブラックコーヒーの彼は、間違いなく、少し変わった人だと思います。