第一話. 角二号の茶封筒
ー GAME OVER ー
コントローラーをほうり投げ,現実世界に戻る。
カーテンを閉め切った部屋に私は,いる。
汗で湿ったシーツの上。
使い古した半袖のシャツと、弟のお下がりの短パン。
小さく残った氷と,薄くなったオレンジジュース。グラスの下のぬるい水たまり。
扇風機はカタカタと音を立てて,私の前髪を揺らす。
ふと,テレビ横のカレンダーに目をやる。
「今日、何曜だっけ」
昨日はバイトだったから、多分……水曜? 給料日が結構前にあったような気がするから、ええと。
頭が回らなくなって,スマホを見やる。
『8月10日(水)17:00』
なんだか馬鹿らしくなって、そのままベッドに寝転がった。
今日、わたしは17歳になった。高校には入学していない。
もう何年こうしているのだろう。中3のはじめくらいからだから、あれ、中3って何歳だ? 15か、もう2年ってことか。鈍くなった頭でノロノロと考えて、起き上がった。
弟が学校から帰ってくる前に、わたしは夕食を済ませることにしている。弟は、中学3年生で私立の中学に通っている。弟は、だらしない姉がきっと嫌いだ。だから、顔を合わせないように気を付ける。お父さん、弟、自分の分のご飯をとりあえず作って、自分の分だけ自室に運ぶ。食べ終わったら、食器を洗って,さっとシャワーをあび、帰ってきた弟と入れ違うように自室に籠る。
「あっ、そういえば、今日シフト代わってたんだった。」
そう気づいたのは21時。勤務先のコンビニエンスストアは22時でシフトの入れ替えなので、まだ間に合う。わたしは、マスクをして、長く伸びた髪を束ねて、制服の入った手提げをもち、自転車に鍵を差し込んだ。
だんだんスピードを上げていくと夜風が心地いい。夜だけがわたしの味方だ。
住宅街だから、ほとんどすれ違う人もいない。知り合いもいない。わたしだけの、世界。
夜がずっと続けばいいのに。そしたら、昼間の罪悪感もなくなるのに。
中学3年生の初夏。わたしが密かにネットにあげていた小説がクラスメートに晒された。
特段変な内容でもなかった。過激なものでもなかった。普通のファンタジーで少し恋愛要素が入っていたけど、それは話の本筋じゃない。でも、キスシーンだけがピックアップされて、いつのまにかクラスの間で広まっていた。
【キモイ】【変態】【ブスのくせに恋愛小説を書いている】
たちまちいじめの標的になった。
一体誰が、どうして、こんなことを。
「小説家になりたい」「趣味は小説を書くこと」だと、友人のAには言っていた。でも,Aはそんなひどいことをする人じゃない,と思う。
いじめの主犯格は、クラスの中でもリーダー的な不良のグループだった。Aがスマホで私の小説を読んでいたところを、運悪く見つかったらしい。Aはスマホを取られて、私がその小説を書いていることを知った彼らはその画像をクラスのSNSで送信した。
小説をかくことは、彼らには珍しい行為だったのだろう。そして何より当時のクラスでは、読書とかイラストとかは陰気な暗いイメージがあったことも手伝い、いじめの標的になってしまった。
それから、小説を書かなくなった。書く気になれなかった。Aははじめは庇ってくれはしたが、徐々に私を無視するようになった。しかたがない,私の味方をすればAだって無事ではいられない。
学校は苦痛でしかなくなり、夏休みが開けても学校に行けなかった。そして私は高校進学を諦め、自室に引きこもる生活を始めたのだった。
学校にも行かなければ、就職もしていない。でも、お父さんは仕事で忙しいし、母は幼い頃に他界していたから、弟以外は私が家にいることに反対しなかった。弟は最初の方こそ心配してくれていたようだが、もう呆れているのか,関わってこない。
最初は一日引きこもっていたが、お金も入れずに居座っているのは申し訳なくなってきて、1年前から深夜のコンビニで働き始めた。わたしが外に出るのはこの深夜と、昼間のおそらく同級生が学校に行っているであろう11時から13時にスーパーに行く時ぐらいだ。テレビもゲームもバイト代で買った。
将来どうなるかなんて、今は怖くて考えられない。
自転車で片道20分のコンビニは、わたしの校区と隣の校区のちょうど境目にある。家から一番近いコンビニだと同級生がくる可能性があったから、ここのコンビニで働くことにした。
「お疲れ様です」
バイトの同僚と挨拶をする。多分同い年だけど、必要最低限の言葉しか話さない。健全な彼らは22時までの勤務で、入れ替わりに私と男子大学生が入ることになっている。大学生とも必要最低限の会話しかしないし、すぐにタバコを吸いに行ってしまうので実質一人みたいなものだ。ほとんど人と関わらなくて良いこの職場は、安心できる場所の一つになっていた。
そんなわたしには、唯一楽しみがあった。
時計が12を指す真夜中に、ブラックコーヒーを買う青年が来ることだ。彼は、わたしと同じくらいの年で、100円のブラックコーヒーを買っていく。夏はアイスコーヒー、冬はホットコーヒー。春と秋は半々。
こんな真夜中にコーヒーを買いに来るなんて,どんな生活を送っているのだろう。
わたしに少し残っている想像力がこの時だけは掻き立てられる。夜しか活動できないヴァンパイア,はたまた,裏組織の秘密任務を背負う敏腕スパイ?
脳内にそんなバカバカしい想像を巡らせながら,すました顔でレジを打つ。
「100円です」
彼は小銭入れから100円を取り出し、レシートは受け取らず、
「ありがとうございます」
と少し口の端をあげて笑い、コーヒーの入ったカップをとって颯爽と去っていく。
「ありがとうございましたー」
毎回わたしの『ありがとうございました』を聞いていないと思う。
そんな彼が、今日は、角2号の茶封筒を持ってやってきた。