召喚者猫屋敷花子の試練
日はもうどっぷりと落ち、か細い月明かりと真っ暗な空に針で穴を開けたかのような頼りない星たちが照らす高級住宅地。街灯ばかりが眩しく見えるその場所にある、特に大きな敷地を持つ家。そこに只ならぬ雰囲気が漂っていた。
大理石の床と壁。外に面した箇所はガラス張りで、その向こう側には高級住宅地を切り取る、ささやかな夜景が見える。そんな大広間。大きな長テーブルとそれを囲むようにして置かれた白いモダンなデザインの椅子。長テーブルの上には豪華な料理が一度の食事では食べきれないほど、所狭しと並べられており、召喚された面々…主にオルガと小春、いつの間にか湧いて出たウィンゲルフの目を輝かせていた。
周囲に居るのは鳩と化したフリフオル含め、花子が召喚した使い魔の面々の他に召喚者である花子、その左隣に陣取る花子の父、城一郎。右隣には顎先に白いひげを伸ばした優しそうな着物姿の老爺。対面には右からオルガ、小春、ウィンゲルフ、ベウセット、イグナートの順で座っていた。
「こっ…コレ食べていいんすか…!?」
「こらッ、オルガさんはしたないですよ! まるで急かすみたいに!」
己の胸の前で両手を握りしめ、その瑠璃色の瞳を輝かせていたオルガの視線が、同じようなポーズを取っていた人の事を言えない小春の視線が城一郎、そして花子を挟んで座る老爺の方へと交互に向く。それに対して城一郎は肘を立てて両手を顔の前に組み、渋い顔をして使い魔の中の男性陣の方をただ眺めていて、聞いた風ではなかった。
だが、老爺はきちんとオルガの問いかけを聞いていたようで、間も無く口を開いた。右手をテーブルの上へと出し、それを左から右へと動かしながら。
「どうぞお上がりください」
老爺の発したその一言を合図にオルガと小春は両手を合わせた。
「いただきまっす!」
「いただきます」
それをきっかけに2人はナイフとフォークを取って食事を開始する。今の今まで見せていた食い入った様子からは考えられないほどの、落ち着き、マナーの成った様子で。それと同時にウィンゲルフとイグナートもナイフとフォークを取る。だが、ベウセットはすぐにはナイフとフォークを取ろうとはせず左手で頬杖をついて、対面の3人を値踏みするように、品定めするように眺めている。美しく、妖しく、だが危険な雰囲気な蛇の様な目で。
…毒でも盛られているとでも思っているのだろうか。訝しげな顔をして花子が視線を返した瞬間、ベウセットは懐から1枚の四角い硬い紙のカード。なにかの名刺と思われるそれを花子の方へと、右手掌を上にして人差し指で爪弾いた。それは真直ぐ花子の方へと向かって豪華な食卓の上を飛び、制服姿の花子の胸元に当たって止まる。…行儀がいいとは思えないそれに花子は眉を顰めつつ、その名刺が落ち切る前に片手でそれを抑え、それに目を向けた。
「モデルエージェンシー・フルグレイス?」
花子はその手にある無駄にお洒落な名刺。それに視線を落としつつ呟く。…モデル事務所か何かにスカウトされたのだろう事をすぐに理解した花子は、ベウセットはこれについての説明を求めているのだろうと解釈し、頬杖を突いたままこちらに視線を向けてくるベウセットの方へと視線を戻し、すぐに視線を上へとやる。考え込むように。…説明が難しい。写真、被写体と言っても伝わらないだろうし、雑誌と言っても伝わらなさそうだ。自然と眉間に皺が寄る。
「…服を栄えさせるための人、服を着せる模型と言いますか。そういう仕事やってみないかっていうお誘いですね。これは」
「なるほど…河原乞食みたいなものか。捨て置いて良さそうだな」
伝わるかどうか不安であったが、とりあえずは伝わった。しかし、ベウセットから返ってくる解釈は激烈に辛辣なものだ。酷い言い様だが強ちハズレでもないと花子は思えたため、納得して食事をするべくナイフとフォークを取る。引き攣りに引き攣った苦笑いを浮かべながら。その間、オルガと小春が口にした物の舌触りだとか味だとか風味だとかについて侃々諤々の議論を交わしていて、花子のいつもの日常の一つ。夕食。その時間にしては賑やかなものになっていた。
「君は何というのかな? 前の世界でどんな仕事をしていたんだ?」
花子とベウセットの会話が途切れた後、城一郎がウィンゲルフの方へを視線を止め、問いかけた。まるで面接でもするかのような雰囲気で。対するウィンゲルフはフォークを片手に持ち、頬の片方を膨らませながらとぼけた顔で城一郎を見る。…何か言った? そんな風な顔をして。
「…あぁ、俺か。俺は前の世界で魔王をやっていた。富は無限に…その力は世界の彼方まで及んだ。…忌々しい勇者に封印されるまではな」
ウィンゲルフは口内にある物を咀嚼し、飲み込むと嘗てを思い出すように目を伏せ、どこか恰好を付けたように言う。それを聞く城一郎は白けた様子でそれを見るだけで、すぐに何かを言ったりすることはない。だが、視線はやがて料理を小さく頬張る花子の方へと向く。何か思いついたような顔を携えて。
「なら元の世界に帰った方が良い生活が出来そうだ。その勇者とやらに復讐したいだろうしな。花子。送還してあげよう。お父さんはその方が良いと思う」
城一郎は名案を思い付いたかのように、にこやかにに言う。だが、花子はモグモグと口を動かして咀嚼するだけで喋ろうとはしない。…邪魔者、娘を脅かす懸念、可能性の排除。見え透いた己の父の腹積もりを見透かしたジト目で見返すばかりで。
「待てーい! なぜ貴様ら親子はこの俺を何かと送り返したがるのだッ! 魔王だぞ! 凄いんだぞ!」
なぜだかは知らないが、この世界に拘るウィンゲルフは勿論城一郎の提案を拒絶する。…元居た世界よりも快適そうだからだろうか。なんて花子は思いながら食事を続ける。料理の作り方。味。それらを引切り無しに語るオルガと小春の話も小耳に挟みながら。
「いや、嘘くさいんだもの。威厳とかないし。…と言うかなんで私と花子が親子だと解った」
「ずっと花子の傍にいたからな。家の前の話なんかも聞いていた」
魔王という肩書を疑われ、心外そうにするウィンゲルフの一言により、城一郎の目が今から人でも殺すような雰囲気に変わった。…子煩悩。絵にかいたような親バカ。大人げないまでの嫉妬。傍から見る花子の顔に自然と苦笑が浮かぶ。
「ずっと花子の傍に…? はっはっはっ…猫屋敷製作所特製の20mmタングステン弾の味でも教えてやろうか」
「ニジュウミリタングステンダン? なんかこう…食べ応えのありそうな名前だな。この俺の舌に相応しいかどうか確かめてやろうではないか」
なんとなく不穏な雰囲気は感じ取った風ではあるが、言葉でそれが表面化されたとは思っていないようで、ウィンゲルフは余裕のある笑みを口元に言葉を紡ぐ。放っておくと面倒な方向に話がこじれる予感がした花子は、彼らの話に口を挟むことにした。
「ちょっとやめなさいよ。私の使い魔なんだから近くにいるのは当然でしょう」
「ッ…しかしだなァ、花子よ。あいつばっかりズルいぞ。使い魔だからって…お父さんなんて忙しくてお前と過ごせる日は貴重だと言うのに」
嫉妬。やきもち。明らかにそれを表面に出し、城一郎は不平を訴える。父親としての尊厳。そんなもの一切かなぐり捨てた雰囲気で、拗ねたように。まさに娘大好きおじさんと化した城一郎の姿がそこにはあった。
「しょうがないでしょ。そういう立場なんだから」
だが、花子は情に絆されない。地位。立場。それらからの観点からピシャリと無慈悲にも言い切る。それは子離れ出来ていない城一郎に我が娘の成長の喜びと共に、寂しさの様な物を感じさせた。
「ぬぅ…」
城一郎は小さく唸り、黙る。そして彼はシュンとし、食卓に向かい合う。何処か寂しそうに。肩を落として。
会話が途切れたところで花子は周囲の様子を見る余裕が出来た。オルガと小春は相変わらず。鳩の姿のフリフオルは部屋の隅で鎮座していて、ベウセットはゆっくり優雅に食事を摂り、イグナートはホールのショートケーキ丸々一つナイフで切り取り食べている。ウィンゲルフは再び食べることに夢中になった様子で料理の方を注視し、フォークを使って肉料理を口に押し込んでいる。…その光景は何というか使い魔たちの個性。それらが大きく窺えるものだった。
そしてそれらは放っておいてもそのまま食事を続けそうなノリだ。故に花子は危機感を覚える。これから末永くかかわる使い魔たち。召喚者として彼らの事を知っておかなくてはならない。打ち解けねば。…しかし、一番話しやすいオルガや優しい小春。それらは互いに料理談義に夢中で、こちらに気を掛けた風すらない。…今、そこからこの牙城を崩すのは不可能。若干険しくなった花子の目はベウセット、イグナート、ウィンゲルフへと流れる。
ベウセットは優雅に、文句のつけようのない綺麗な食べ方で食事をしていて、周囲の様子を気に掛けた様子は一切ない。美人ではあるが、抜身の刃の様な雰囲気。それも相まって見てくれも相まって話しかけ辛い。まだ満足そうにホールケーキを抱え、ナイフを使ってそれを味わうイグナートの方が話しやすそうだ。だが、今のベウセットと比べてと言うだけの話で難易度は依然高いまま。少なくとも普段ならベウセット以上に話しかけ辛いのがイグナートなのだ。故に花子。彼女の目に止まったのは、ソースを口元に付け、肉料理を口いっぱいに頬張る男。ウィンゲルフだった。
「勇者に封印されたって言ってたけど何やったのよ。アンタ1人どうにかするために刺客送られるとか…なんか悪いことやってたんじゃないでしょうね」
大凡半日。ウィンゲルフと居てみて思ったが、彼は悪い人間ではない。バカかもしれないが。だからこそ花子は何か気負うことなく、何の気なしに質問する。ただの世間話の話題程度に。ウィンゲルフの過去についてを。肉料理の添え付けであるブロッコリーをフォークに刺して。
花子の問いかけ。それにすぐさまウィンゲルフは反応を示そうとする。口をもごもごさせて。だが、それは花子の顔を顰めさせ――
「口の中にある物を飲み込んでから喋りなさいよ。野蛮人。口の横にソース付いてるわよ」
彼が喋り出す前に言いつける。眉間に皺を寄せてしかめっ面をし、ナイフを置いて相手の手元にあるナプキンを指差しながら。
ウィンゲルフはその花子の指図。それに不服そうな顔をしてはいたが、素直に言うことを聞き、口の中にある物を飲み込むと手元にあるナプキンで己の口元についたソースを拭う。…プライドは高いようだが本当に素直だ。なかなか御しやすく、使い魔としては打って付けなのかもしれない。頭の片隅で、花子は思った。
「…実はもともとの勇者がこの俺で…魔王倒した後に凱旋式に出席。その晩に殺されかけた。命辛々逃げ出したわけだが、いつの間にか魔王扱いされていて…いろいろあって金に目が眩んだかつての仲間や新しい勇者のパーティーに袋叩きにされて封印されたのだ」
どうやら魔王と言う肩書は一応本物らしかった。それでも本当の魔王とやらを倒す程度の腕っぷしはあったらしいことが発覚する。だが、その話の内容は余りにも人間の負の部分が凝縮された様な物で、胸糞悪く、思わず顔を顰めてしまいそうなものだ。権力、欲。それらの狭間で擂り潰されたのが今己の目の前にいる哀れな男、ウィンゲルフなのだと花子は理解して、若干哀れみに満ちた目で彼の顔を見据える。
「悪いことはしなかったけど、魔王討伐の後は王権を脅かす存在として消されかけ…挙句の果てには昔の仲間に売られたわけね。…大した人望の持ち主だこと」
「ぐうっ…! …花子ッ…今のは効いたぞ…お前の言葉はこの俺をも殺せる魔力があるようだなッ…」
花子の最後の一言。それによってウィンゲルフは相当堪えたようにくぐもった声を上げ、その後で空元気であることが容易に見透かせる、安い余裕ぶった笑み。それを浮かべた。別に彼を傷つけるつもりはなかったが、図らずともそうなってしまったことに花子は悪いことをしたような心境になる。
「いや、そんなのないから。でも表現がストレート過ぎたわね。ごめんなさい。とりあえず悪いことしたわけではないようで安心したわ」
冷静な突っ込みと共に、花子は謝罪の意を表明する。素っ気ない顔をしながら、ちょっとしたミスを謝罪する風に。ウィンゲルフはそれに対し、なんとも思っていないようで、ナイフとフォークを使って肉を切り分けながら口を開く。
「あぁ。逃亡中飢えに耐えかねて魔物の集落の農作物を無断で頂いたことが一度だけあったが…それ以外は潔白だ。神々に誓って」
「信心深い魔王…悪のレベルがあまりにもしょっぱい。と言うかアンタの身の上話は聞いてるこっちが悲しくなってくるわ」
「ふふ…そうかもしれん。今話した内容ではな…。だが、逃亡した先で魔王として返り咲く話を聞いてそんな可愛そうなものを見る目をしていられるかな…?」
「いや、でも最終的に袋叩きにされたのでしょう? かつての仲間と新勇者とか…とりあえず人間に。そんな結末が見えてる時点で変わんないわよ」
花子の言葉にウィンゲルフがバツの悪そうな顔をし、言葉を詰まらせたその一瞬、その肩にベウセットが片手を置いた。その口元には嘲笑交じりの妖笑が浮かべられていて、酷くウィンゲルフの話を楽しく聞いていた風であった。そして間もなく、ウィンゲルフの顔が横目で己を見るベウセットの方へと向く。
「明日があるさ」
ベウセットはたった一言だけ言う。余裕たっぷりな邪悪な笑い交じりに。苦しい自己弁護を為さんとするウィンゲルフに。悦楽、愉悦。人間が蜜の味とする薄暗い楽しみ。嘲りにも似たそれは、確かにそのたった一言に込められていた。
その彼女の考え、悪意に満ちた悪ふざけと言っていいそれはウィンゲルフにも、花子にも伝わった。言葉以上に物事を伝えてくれるベウセットの嘲笑で。だが、ウィンゲルフは言葉を返そうとしない。ポカンとした顔をした後、徐々にその視線は斜に落ちていき、やるせない顔になって行って、やがて萎れた花のように肩を落とすばかりで。そんな彼の肩からベウセットの手はゆっくりと離れ、ベウセットは何事もなかったかのように食事を再開する。少しばかり気分を良さそうにして。
…とりあえずウィンゲルフがどういう奴なのかは良く解った。御しやすい事も。だが、ベウセット。これはなかなかの曲者、脅威であることを今ので花子は理解する。自分に彼女を従わせることが出来るだろうか。やや弱気になりながらも。召喚者権限は自分の使い魔たちにとって絶対的な命令に成りえぬものであるとウィンゲルフが証明した事もあって。
せっかくのご馳走の味を曇らせる不安。召喚者としての気負い。腹の中でそんなものを渦巻かせつつ、花子は己の目の前の食卓に視線を落とす。自分の様な小娘が御せるのだろうかと、悶々と考えて。
「花子や」
そんな中、今まで大して喋りもせず、花子の召喚した使い魔たちを眺めていた老爺が花子の名を呼んだ。その老爺、花子の祖父である猫屋敷鉄男へと花子の顔が向く。
「…その…がんばれ」
「…はぁ」
何か年長者として深いこと、役立つことを言ってくれるかと思えば、視線を左右に忙しなく動かした後、花子の方へと親指を立てて鉄男はにこやかに一言言うだけ。なんかいいことを言おうとしたが、思い浮かばず途中で投げ出し、匙を投げたようにすら思えるそれに花子は引き攣った笑みを浮かべ、冴えない相槌を返すしかできなかった。
いつもより遥かに賑やかで、困難の多い夕食。期待していた豪勢な料理はこれからの事を考えすぎたためか、砂の味に。花子は眉間に皺を寄せつつ、食事を再開する。オルガと小春は終始料理談義。フリフオルは鳩の姿で部屋の隅で座り込み、ウィンゲルフはなんだか少し自信を失ったようにしおらしくなって、その加害者のベウセットは優雅に食事を楽しみ、イグナートは淡々と、豪快に甘い物ばかりを味わう。そんな一日を締めくくる夕食時。それはゆっくりと流れゆく。大きな苦みと少しばかり楽しくなりそうな雰囲気と共に。
*
猫屋敷家の地下。そこに存在する精々20メートルほどの奥行の射撃場。コンクリートの壁に覆われた、硬く冷たく重々しい灰色の空間。自社で作った物の研究、テストを名目に作られたそこは、たくさんの銃器、付属品が並べられた場所だった。
黒く、大きなイヤーマフ。それを頭にかぶり、黒く、コンパクトで角ばったデザインの、ポリマーフレームのブルパップ式のアサルトライフルを構える制服姿の少女の姿。銃口の先には人の上半身を黒く象ったマンターゲットがある。間も無く、その少女の伸ばされた人差し指は引き金に掛けられ、ゆっくりと引き絞られ――
炸裂音と共に銃口から発火炎と硝煙が上がった。そして瞬く間にボルトキャリアーと遊底が後退、薬室から底、抽筒板が金属。ケースが樹脂で出来た薬莢が排出されて硬いコンクリートの床に落ちる。金属の薬きょうとはまた違う、カラコロと軽く心地よい音を立てて。それを皮切りに残り29発、花子は立て続けに発砲する。良く狙いを定め、慣れた様子で、その碧い瞳でマンターゲットをしっかり見つめて。
けたたましい発砲音が止んだとき、花子が狙っていたマンターゲットの頭部。そこにだけ穴が開いていた。…距離は20メートルなのだからすごくも何ともないが。だが、それを見た小春となぜかついてきたオルガはパチパチと軽く拍手をする。
「この世界の人たちは魔法の他に金属のドングリを飛ばして戦うんだな!」
弾丸を打ち切り、排莢口が開いたままとなったアサルトライフルの樹脂製の半透明のマガジンを抜き、銃本体を目の前の台の上に置いた花子は、マンターゲットの方からオルガの方へと顔を向けた。平静とした顔のまま、発射された弾丸の形状を把握できていたらしいオルガの形容の仕方に納得しつつ。
「金属のドングリ…確かにそう見えるだろうけど…良く見えたわね。肉眼で」
「オルガさんは凄いヤツだからな」
「あぁ、そうだったわ。人間のように見えてそうではないんだったわね。便宜上人間とか言ってるけど」
オルガと短く会話をし、使い魔が異世界から召喚された人外であることを思い出したようにさらっと言うと花子は台の前から退き、今さっき自分がいたブースへと片手を広げ、オルガと小春。それの顔を交互に見遣る。誰が先に撃つ? そう言った感じで。
それに対し、オルガと小春は少しの間お互いの瞳を見合わせた後、小春が前に出て花子が今さっき居たブースの前に立ち、頭に嵌めたイヤーマフの位置を調整するように少し弄ってから、アサルトライフルを手に取った。
「マガジン…そう、さっき銃床の下部に付いていた箱ですね。それをセットすれば撃てます」
「丁寧にありがとうございます。花子ちゃん」
小春は花子が打ち始める前にしていたことを注意深く観察していたためか、淀みのない手つきでマガジンをアサルトライフルにセットすると、それを構えた。そして射撃場の向こうにあるマンターゲット。それに狙いが定まったところで人差し指を引き金に掛ける。
火薬の爆ぜる音と共に上がる硝煙。発火炎。直後に漂う焼けた火薬の匂い。1発撃った小春は、グリップ上部にあるセレクターレバーを右手の親指で操作し、フルオートに切り替えるとそのまま引き金を引き絞る。花子より薄く、小さく頼りない身体の小春であるが、それの腕の中にある、弾丸を高速で発射するアサルトライフルは機材に固定されたかの如くビクともしない。…やっぱり人外。少なくとも筋力。膂力に関しては人間を超越していることを花子は理解した。
アサルトライフルは間も無く30発の弾丸を発射し終えて、静かになった。それを確認した小春は銃床の前部へと手をやり、マガジンリリースを押して空になったマガジンを抜く。その後でブースの上にマガジンと銃を置き、花子の方へと振り返った。
「面白いですね。これ。弾や本体自体に種類があるようですけど…何か違った特徴とかあるんですか?」
小春はそう言ってブースの後方へと視線を移し、メタルラックに掛けられた大小さまざまな銃、その前に置かれた背の低いテーブルの上に置かれた銃弾等を眺める。ハンドガンからサブマシンガン、アサルトライフルやスナイパーライフル。果てはライトマシンガンまでそろったそこに。花子もそちらの方へと視線を移し、並べられた銃器を見遣った。
「銃本体では撃てる弾が違ったり、用途が違いますね。狙撃に向く物、護身用、牽制目的に弾をばら撒く物…。弾は…軍隊で使うようなものだと今撃っていた6.8×43mm。他には6.5×49mmの弾とか。後者は狙撃なんかに使います」
自分の持ち得る知識の一部を言い淀むことなく、花子は小春へと説明する。説明する物、それに合わせて見る銃器、弾丸に視線を移しながら。
「さすがは軍需企業の令嬢さんですね。きちんと家の家業について把握できていて立派です」
薄く頼りない胸の前で小春は両手を合わせて花子を褒める。…なんだか子供扱いされている。花子はそう感じた。事実そうではあるのだが、背伸びしたい年頃。少しばかり気に入らなく思う。
「父や祖父にちょっと釣りに行くみたいなノリでちょくちょく射撃場に連れて来られていたので…それの賜物です」
小春との話がひと段落した後、花子の視線はオルガの方へと向く。
オルガはこちらに背を向け腕を組み、メタルラックの方を眺めていて、弾丸や銃器、その付属品などを興味深そうに眺めている。…今日一緒に過ごしてみて思ったことであるが、オルガは何か興味のある物を見つけると途端に静かになる。知的好奇心が旺盛な性格なのだろうか。そんな事を思いながら花子は口を開いた。
「オルガ、撃たないの?」
「ん? あぁ、オルガさんはいいよ。どんなものか見れたし。満足」
拍子抜けするほどのあっさりした返答。それを言い終えるとオルガは振り返る。小春と花子の方へと。
「そういやさ、ご主人。君の母上はどうしたのだね? 見なかったが。夕食後に君の父上とじいちゃんには挨拶できていたが、母上はまだだ」
そしてオルガは花子へと間を置かずに問いかける。その顔に親しみやすいフランクな笑みを浮かべて。その瞬間、花子の隣に居た小春の目じりが上がる。非難がましく、どこか呆れた風に。
「オルガさん、そういうところですよ」
小春はなんとなく花子の家庭環境を察し、あえて尋ねていなかったようで何がとは言わないが、オルガを非難する。とても曖昧な言い方。表現で。
だが、花子は鼻で笑い、困ったような微笑を浮かべると瞳を閉じ、顔を横へと振った。気にしちゃいない。そんな風に。
「お母さんは私が5つの時に亡くなったわ」
同情だとか哀れみだとか。そう言った感情を向けられるような雰囲気。空気。それが嫌いな花子は視線を逸らしつつ、一言だけ言う。そして笑い顔で誤魔化していた心内が顔に現れる。決まりが悪そうな、居心地悪そうなその表情が。
「…オルガさんに甘えていいぞ。ご主人」
「いや、間に合ってます」
ウインクをし、キメ顔で親指を立てるオルガにピシャリと素っ気なく言う花子。ふざけているんだか、本気なんだか。まあ前者であろうそれに同情的で湿っぽくなりつつあった雰囲気から脱せた花子は、射撃場の隅にある柄付きの磁石棒を掴み、それを使って今射撃を行ったブースの周囲に散らばる空薬莢を集め始める。
「片付けかね? ここは使い魔のオルガさんと小春ちゃんの出番では?」
「すぐ済むから気にしないでいいわよ。使い魔は小間使いではなくて、召喚者を守る護衛なんだから」
60個の空薬莢。それを柄付きの磁石棒で集めた花子は射撃場の隅にある、金属製の缶の中へとそれを落とす。それから柄付きの磁石棒を部屋の隅に戻し、イヤーマフを取るとメタルラックのテーブルの上にそれを置いた。オルガと小春は物珍しそうにいろんな空薬莢の入った缶の中を覗き込んだ後でイヤーマフを外し、メタルラック前のテーブルの上に置くと、地上階に続く階段の方へと向かい始めた花子の後へと続く。
新しい出会いに満ち溢れた一日。その終わり際。あとは入浴して少し勉強して…その後での自由時間。それが終われば寝るだけとなった時。花子はふと思い出す。使い魔たちの寝場所についてを。…男性陣は父と一緒に寝て貰うことにして、女性陣。それはこちらの部屋で受け入れようと考えつつ、階段を上る。
これから先どうなるかは予想すらつかない。少なくとも退屈はしないだろう。まだまだ課題は山積してはいるが、本格的な授業が始まらない4月。それが終わってしまう前に使い魔たちと打ち解ける。花子はそんな指針を胸に秘める。背後から聞こえるオルガと小春のセンサーで消える照明についての他愛ない話をその耳にしながら。
勇者が魔王を倒しに行く…みたいな話しってよくあると思いますが、その後の話の方が人間の本質が現れそうで楽しそうに思える。囲い込むのか脅威として排除するのか。私が王様の立場であれば、王子なり姫なりを勇者にくっ付けて血縁と言う形で自分の側に置いておきたい…! とも思うけど、権力闘争で親族同士殺し合うなんて珍しい話じゃないし、王権派以外の派閥に取り込まれても厄介だし、軍事力としては凄く魅力的なんだけれども。成功するなら暗殺が一番後腐れなくていいのかもしれませんな。…人間と言うのはあさましいなァ!