猫屋敷家と新しい家族
ピカピカに磨かれた高級車のホワイトボディ。流れる夜景を映し出すそれに夜景が流れなくなったとき、空は夜のものへと変わっていた。
魔都東京。その都内にある家の中では比較的に広い敷地を持つもの。それの前にある小さな庭と至る鉄格子の門の前にて、花子とオルガは立っていた。背後には彼女たちが乗ってきた高級車の姿があり、それは間も無く敷地の中の車庫へと向けて進み始める。
「街の中もそうだけど、古そうな建物あんまないんだな」
「21世紀…今年から大体100年前ぐらいの間ね。その間にいろいろあったのよ。内戦紛いなこととか。それで大きい建物とかが壊されちゃって古い建物は残ってないの」
「戦争か。何処の世界も人がやることは変わらんね。良くも悪くも足りないものを求める…だからこそ人なのかもしれんがな」
「自分の生活がままならない人間が多数派になればどこであろうとそうなるって事ね。今は平和だけど、今後はそうならないことを祈るばかりだわ」
オルガは緑の沢山窺える周囲の様子を眺めつつ、己の前を行き、鉄格子の門を開けてその先へと進んで行く花子と会話を交わす。家の前の小さな庭。そこを進んでガラスを多用した白く、モダンなデザインの家の中へと2人は入っていく。
ガラス張りの玄関。黒い金属の扉の向こうには3階までの吹き抜けがあるこじんまりしたエントランスホール。上から吊り下げられたシャンデリアの光を眩しく反射させる白い大理石の床。玄関の扉の前にある段差の向こう側には、白黒の上等なスリッパが横並びに並べられている。そしてその辺りにモノクルを左目に付けた、白髪の立派な口ひげを蓄えたスーツ姿の老紳士が1人いて、花子の方へと左手を腹部に、右手を背に当て頭を下げた。自分の主である花子の瞳の色、髪の色が朝見た時と違っていることに関して気に掛けた風は無い。少なくとも表面上は。
「お帰りなさいませ、お嬢様」
「爺、離れにある使い魔用の居住スペース…あれ増築できないかしら」
「…出来はしますが…この方がお嬢様の使い魔なのでしょう? 改装は必要でしょう。ですが…差し出がましいようですが、この爺にはこの方お1人にそんな大きな住居は必要ないかと…」
「複数居るのよ」
老紳士はその花子の言葉に耳を疑ったような顔をし、その目を細めると咳払いを一つ。その後で次来る花子の言葉に集中するようなそぶりを見せる。その間、花子は靴を脱ぎ、自分専用のスリッパに足を通す。
「申し訳ありません、お嬢様。最近耳が遠くなったようで――」
「聞き間違いなんかじゃないわ。使い魔が複数召喚できてしまったの。コイツ含めて5人と翼竜1匹」
花子は老紳士を流し目で見据えながら、どこか神妙な面持ちで己の傍にいるオルガへと向かって親指を立て指差す。それによって聞き間違いでないことを今一度理解した老紳士はその眉間に皺を寄せ、視線を上方へとやりながら記憶の中を探る。…使い魔の群棲召喚。そんな例が過去にあっただろうかと思い出すように。だが、知る限りそれにあたるようなものは無かった。
「…快挙なのでは? もっと嬉しそうな顔をしてはいかがでしょう? 今朝自分の使い魔は特別な存在だと息巻いておられましたし…宣言通り非凡な成果を上げたのですから」
老紳士はなんだか嬉しそう、どこか花子を誇らしく感じたように優しい笑みをその顔に携えた。だが、花子の表情は曇ったまま。正面右手側に見える階段の方へと進み始める。
「少し疲れたから部屋で休むわ」
「…かしこまりました」
老紳士の花子の背を見送る視線。その視界の中へと突如として宙に浮くオルガが現れる。思わず老紳士は目を見開き、その彼女の顔へと視線を注視させる。服装も相まってなんかランプの魔人っぽいそれに。
「オルガさんだ。これからよろしくな。爺さん!」
身体を緩く丸め、宙に漂いながら挨拶し、片手を差し伸べるオルガ。…握手と言う文化が彼女の住んでいた世界にもあったのだろうか。老紳士はそんなことを想いながら、白くそして大きなその手に白手袋を嵌めた手を重ね、握手を交わす。
「申し遅れました。私、猫屋敷家の使用人をさせて頂いております、巴川清史郎と申します。これからお嬢様の事をよろしくお願い致します」
「任せたまえ! ご主人を脅かすものは個人だろうと組織だろうと国だろうと実力を持って排除してくれるわッ!」
「それは頼もしい。ではオルガ様。貴女の住む場へと案内いたしますので、この爺について来てください」
「おう、頼んだ!」
いつも以上に賑やかになる家。階段を上り、自室へと向かう花子の背後から聞こえる彼女の執事と使い魔の話し声。それはすぐに玄関の開閉音と共に聞こえなくなる。面倒であろうが、少し楽しくなりそうな気配をそれらから感じた花子はフッ、と鼻を鳴らしてどこか困ったように、だが、楽しそうに静かに笑った。そして、見慣れた自分の部屋へと入っていく。いろいろあって疲れた自分を迎えてくれる、心安らぐ空間へ。
*
人体の一部にデバイスを埋め込み、思った事をコマンドとして入力。視界に結果を出力してくれる真新しい未来の携帯電話端末。…2100年。21世紀と22世紀の狭間。そんな未来の携帯電話は何でも思考を拾ってしまう融通の利かなさ、そして人間の未知の部分である魔法。開発、商品化されたもののそれらを理由に早々に鳴りを潜めることとなった。
四角く、半透明の手のひら一つ分より少し狭い幅の縦長の携帯電話端末。スマートフォン。2100年現在でもその姿を大きく変えることもなく、それは存在していた。
白い家具、壁紙。美しく整った部屋の中、天蓋付きのベッドの上に横たわり、半透明のスマートフォンを仰向けになって眺める少女が1人いた。彼女の手にあるスマートフォンは奥半分真っ黒く、手間半分に映像を映していて、その映像には愛想のよい顔をした、全体的に丸い中年の男が旧式のアサルトライフルを片手に、半透明のスマートフォンを紹介するような内容が映し出されている。
『今日ご紹介する商品はアイロンウォール社製スマートフォン。ドラゴンスケイル! コレ、凄いですよ~、かつて西側諸国が使っていた小銃弾。これで撃たれても――』
スマートフォンを眺める少女。花子にとってはどうでもいい情報だ。画面右端にある広告スキップのボタンをタッチし、花子は今さっき上がった動画を再生する。…その動画のタイトルは驚愕! いきなり街行く人の髪色が変わった件…とかいう寒いものだ。
『どうも~、食べ歩き系動画投稿者のまさひこです。今日は魔都内にあるドラゴンミート専門店に行ってみたいと思いま~す。今後もこういう動画上げていきますので、もしよろしければ高評価とチャンネル登録――』
再生数は20万。だが、チャンネル登録者数は241人。変に自信満々な語り口調。声。今回起きた変化とやらでこの動画だけが異常に再生されることになったのだろうと推測できる。動画内容も垂れ流しに近い物で、編集等は無いに等しい。急いで上げたのだろうと言うことが透けて見える内容。花子はシークバーへと親指を持っていき、そこを突き、画面に大きな変化が起きる瞬間までシークバーを進める。
『あぁ~、すっごい。何事ぉ? 皆髪の色が変わってる…ドラゴンミートの副作用…? いや、そんなんないよな。皆人の頭の方凝視してるし…』
髪色と瞳の色の変化。時刻も花子の毛色、瞳の色が変わった時と同じ。ある一瞬で瞬間的に変化しているのが解る。動画自体にそれ以外見るものは無いため、花子はすぐにそれを閉じ、ニュースサイトなどを眺め始める。
…ニュースでも大々的に髪色、瞳の色の変色について取り上げられていて、全面がほぼそれの事について埋まっている。海外の記事なども散見出来、全人類に影響があったことがそこから見て取れた。それが確認できた後、花子はスマートフォンをベッドの上へと放り、片手の甲を額に当てると息を深く吐きながら瞳を閉じる。脳裏に浮かぶのは己の使い魔であるオルガと学年主任、もとい淫乱ピンクとの会話だ。
――まぁ、いいか。暫く己の使い魔や今日起きたこと。それらを考えて花子の中から出てきた言葉がそれだった。彼女は早々に考えるのを止め、ベットから起き上がるとブレザーのポケットにスマートフォンを突っ込んでベッドから降り、スリッパを履く。きっと今日はお祝いか何か開いてくれて普段より少しいいものが食べられるはず。そんな期待と共に、やや空腹を感じる腹部に手を当てて花子は自室の外へと出た。…変化した毛色も目の色も。そう悪くは思えないものであったし、大して気にすることもなく。
家の物としては広い白を基調とした廊下を行き、花子は1階へと降り始める。鼻に届く夕餉の香り。忙しそうにする使用人たち。それらが彼女を出迎えた。いつも以上に忙しそうにする使用人たちの姿は、今日は特に腕を振るった夕食が用意されていることを花子に伝える。そしてその刹那、今さっきまで居はしなかったそれは、気配すらなく小さな足音と共に花子の隣へと立った。
「凄いですねぇ。ご両親はどんなお仕事をなさっているんですか?」
朱色の袴姿。淡い赤色の髪。花子よりも小さく、幼そうなそれはどこかから湧いて出たかのように、いつの間にかそこにいて、エントランスホールを通り過ぎる使用人たちを眺めている。気配もなく、前兆もなく、前触れもなく現れたそれに、花子は軽く目を見開いて驚いた風にした後、軽く咳払いを一つしてその少女、落霜紅小春の方へと顔を向けて口を開いた。
「…猫屋敷製作所って言う軍需企業を経営をしています」
「軍需企業…。どんな武器を作っているんですか?」
花子の話に興味深そうにしつつ食い入るように小春は問いかける。…彼女たちを召喚してからというもの小春とはあまり喋る機会がなかったが、何と言うか徳。そんなものを花子は彼女からは感じた。
「主に火器やそれに付属するもの…火薬を使って金属を発射する装置といいますか、そんな武器を主に作っています」
「…ふむ」
剣や弓。それなら恐らくある程度の文明レベルを持った世界からやってきた者ならば理解はしてくれるだろうが、火器。これに関してはそのまま言っても通じるとは思えない。故に花子は言葉の途中で言い方を変え、噛み砕いて説明し、小春はそれに視線を斜にし、顎に片手を当てて小さく声を発する。興味深そうに…どことなくそれの存在を知っているかのような雰囲気で。
「夕ご飯食べ終わったら見てみますか? 地下に射撃場があるので、試射も出来ますよ」
「是非お願いします。…いやー、ご飯の他に新しい楽しみが増えました。ありがとうございます。花子ちゃん」
謙虚で丁寧でまさに物腰柔らかといった言葉を体現したかのような受け答えで小春は言葉を返してくる。顎から手を退け、その顔に柔らかい笑みを浮かべ、花子の方へと笑いかけて。…その雰囲気は大凡小娘が醸し出せるようなものではない。いうなれば老婆。優しいおばあちゃんの様な雰囲気。そんなものを花子は感じていた。その視線の先にある小春の口元。そこから微かに覗く鋭く発達した犬歯を時入りチラチラと眺めながら。
短い会話が途切れた後、小春は階段を下りて玄関の方へと向かっていく。その足にはスリッパが履かれていて、自分が自室でのんびりしている間に清史郎が使い魔の分を用意してくれたのだと花子は理解する。食事の用意が整うまで退屈な事もあり、そして、自分がこれから一緒に生活していくこととなる使い魔たちの事を良く知っておきたく、言っておかねばならないこともあるため、花子は小春の横へと付く。こちら側の不備。それを今言い出さんと少しばかり緊張した面持ちで、軽く深呼吸して。
「あの、すごく言い辛いんですけど…まだ貴女方一人一人に割り当てられる部屋がまだ出来ていないなく…と言うか人が住む様な構造していなくてですね…」
「気にしないでくださいな。雨風しのげるなら何処だってかまいませんよ」
小春はにこやかに笑いかける。内心どう思っているのか解らないが、全てを包み込むような笑みで。…異性と一緒というのは嫌なものだと思うのだが、どうなのだろう。彼女たちとイグナートは仲間内であるらしいし、それは除外するとしても…ウィンゲルフは赤の他人と言う話だ。結構気になるのでは。花子は気を揉まずにはいられない。
「一応その基準はクリアしていますけど…見に行きます?」
「えぇ。お願いします」
気遣う花子と微笑んだままの小春。二人は玄関の前へと差し掛かり、スリッパを脱いで花子は黒く磨き抜かれた革靴に、小春は草履を履いて黒い金属の扉を開けてその先、外へと進む。
空はすっかり真っ暗で、夜の顔となっている。花子にとって見慣れた日常風景の一部であるが、今日この世界に召喚されたばかりの小春にはとても新鮮な物なようで、その深い赤の瞳にその星空を存分に映し出す。記憶の一ページに焼き付けるようにしながら、花子の隣を歩いて。…彼女からすれば未知の世界。異世界一日目の夜空。無理もない反応だ。
「小春さんの仲間ってどういう人たちなんですか?」
「そうですねぇ、誰から聞きたいですか?」
「それじゃあ…オルガは?」
「滅茶苦茶やるようでフェアで秩序だとか道理守ることに固執する人です。ただ、不条理や理不尽に対しては断固として反抗するので注意した方が良いです」
「秩序を重んじる…か。…今日の夕方この世界の在り方捻じ曲げたみたいですけど」
「何か理不尽なことを言われたのかもしれませんね。大して人に迷惑がかからないと思うことに関しては軽々しくやってしまうのが彼女の悪いところです」
家の正面玄関の庭を左に逸れ、魔都内の中の一つの家。それが持つにはやや広く見える、芝生だけが敷かれた殺風景な庭の中に建つ建物。外装は立派で古風な、赤レンガを使った大正時代的な雰囲気を感じさせる、石造りのその建物へと向けて2人は向かっていく。
「なるほど…ベウセットさんはどういう人なんです? 結構気難しそうでしたけど」
「出会った時は結構尖ってて、力ある者が正義と言わんばかりでしたけど…私たちと一緒に行動するようになって大分丸くなりましたね。少なくとも自分を慕う人には優しいですよ。彼女は」
「結構癖のある性格みたいですね…機嫌損なわないように気を付けないと…」
「ふふっ、困ったら頼ってくれていいですからね。私は花子ちゃんの味方ですから」
そうこうしているうちに取って付けられたように建てられた赤レンガの建物の前へと行き着いた。その入り口の扉はどんな使い魔が召喚できても良いようにと想定してか、とても大きいものだ。間も無くその片側を小春が片手で押して開いて行き、花子と小春はその中へと足を進める。…その間、中からは何者かの話し声が聞こえていた。
…中は干し草が敷き詰められた広い空間で、その上部には丸太が突き出た止まり木の様な物、隅にはステンレス製の大きなエサ皿も窺える。光源は天井から吊り下げられた裸電球が一つ。頼りない暖色の明かりで室内をぼんやりと照らし出していた。それらは花子がいったいどういう使い魔を欲していたのか、その片鱗が窺い知れるものだった。
そんな使い魔用の建物の中、その中心にて胡坐をかき、宙に浮いたオルガと花子の執事である老紳士、清史郎が何やら話し込んでいる様子があった。
「ご主人の父ちゃんってそんな凄い人なの?」
「えぇ、旦那様は今や日本の銃器メーカーのトップでありますからな。今やこの国を守る日本国防軍の使う銃器の大部分は猫屋敷製作所からのものです。この爺も誇らしいのなんの…!」
「へぇ、すっごいんだな。でもそんな凄いのに家柄で馬鹿にされるもんなんだなぁ。世知辛いなぁ!」
「言わせておけばよいのです。先祖や親の七光りしか誇れない取るに足らない者の戯言など! そういった傲慢さ、選民思想が一度この国を分かちかけた事実が――」
オルガが聞き上手なのか、それとも己の身分を考えずに話し込める相手だったからか。その両方なのか。解らないが、身振り手振りし、随分と白熱した様子で清史郎はオルガに語っていたが、花子と小春の姿をその視界端に捕らえたところで固まると、握りこぶしを口元に当てて咳払い一つし、花子の方へと身体を向けた。大人げない様子を見せたこと。それに少しばかり決まりが悪そうにしながら、何事もなかったように装って。
「これはお嬢様。…こんな時間にお友達ですかな?」
先ほどの態度について追求されたくが無いためになんとか捻り出したと思われる言葉。…こんな時間に友人を家に連れてくるかとジト目で花子は清史郎の方を見据えつつ、その細い腰に片手を当てる。その隣では、ぺこりと深々と頭を下げる小春の姿がある。
「花子ちゃんの使い魔になりました、落霜紅小春です。これからよろしくお願いしますね」
「あぁ…これは失敬。使い魔の方でしたか。私、猫屋敷家で使用人をさせて頂いております、巴川清史郎と申します。以後、お見知りおきを」
清史郎はそれに少しばかり困惑した様子で挨拶を返す。花子より明らかに幼い少女の姿。そんな姿を見、きっと思うことがあったのだろう。左手を腹部に、右手を背に当て頭を下げつつ少しばかりその表情を曇らせる。…こんな小さい子すらも召喚し、使役する召喚魔法。それについて腹の中で疑問に思いながら。
清史郎が頭を下げたところで半開きになった出入り口の向こう側から、車が止まる音が聞こえてきた。直後に怒鳴り声が聞こえてくる。不法侵入者でも発見したような、とても緊迫した雰囲気の。
「なんだこのでっかいおっさん!?」
「おいッ、ここが天下の猫屋敷邸と知っての狼藉かッ!?」
花子はその声に一瞬何かを悟ったような渋い顔を一つすると、踵を返してその怒鳴り声の方へと速足で進む。
「待て。俺はここの家の子の使い魔で…」
「吐くならもっとマシな嘘を吐くんだな! 怪しい外国人めッ! つか日本語上手いなオイ!」
半開きの扉の向こう。自分の住む家の前の門の前にて、白塗りの高級車とそれの傍で拳銃を構える黒スーツの男たち。その複数の銃口の先には頭の上に鳩を乗せた白いスキンヘッドの巨漢が1人見える。…それは人相は良いとは言えないし、威圧感満点の体格、姿だ。銃口を向けられても平静としたまま、己の立場を釈明するそれは変な勘違いをされても仕方がないと思えるものだった。黒いスーツの男たちは彼の言うことなどまともに取り合う様子はない。
「ちょっと待ったぁッ!」
今にでも引き金に掛けた人差し指を引き絞りそうな黒スーツの男たちへと向かって花子は走りつつ、声を張り上げる。それによって黒スーツの男たちの視線は鉄格子の塀越しに見える花子の方へと向き、彼らはその手に持った拳銃を下げた。
「それは私の使い魔なの、侵入者なんかじゃないわ」
頭の上に鳩を乗せるスキンヘッドの男。己の使い魔の一人であるイグナートの隣へと立ち、花子は言う。良く見知った猫屋敷家の私兵部隊。それである彼ら黒スーツの男たちは毛色と瞳の色が変わった己の主人の令嬢の発言を聞き届け、スーツ下、腹のサイドに取り付けられたホルスターに拳銃を収めた。なんだか決まりが悪そうにしながら。
…その間、イグナートは淡々とした顔をしていて、ただ目の前にいる黒いスーツの男たちを見下している。得体の知れない雰囲気ではあるものの、彼の頭の上にのる鳩のお陰でややおかしくもある姿で。どうやら誤解が解けたらその後の事に関しては関心がないようで、黒スーツの男たちに何か言ったりすることもない。
「花子の使い魔がこれか…最近じゃあ人に見える種族の異性は間違いが起きないうちに送還する学校もあると聞いていたが…」
黒いスーツの男たちが道を開け、開く高級車のドア。それは間も無く降り立つ。低い声で言いながら、イグナートの姿を頭の先の鳩から爪先まで値踏みするように眺めて。
深緑色の髪のサイドバック、良く整えられた短く、三角形の口ひげ。ライトグレーの上質なスーツと黒いインナー、ズボンを身に纏う170センチ半ばほどの身長、細身の男。深緑色の瞳で、あまり歓迎していなさそうな雰囲気、いや、敵意。それを携え座った目つきでイグナートを見据え、その前に歩み寄る。
「はぁ…」
花子はその対立姿勢を示す己の父、猫屋敷城一郎を見て思わずため息を吐き、肩を竦める。…父の悪いところだ。娘の自分を大切に思うがゆえに害になりそうな物はとりあえず排除する。お嬢様学校に進むよう言われたのも変な虫が付かないようにするためだったのでは? という当時抱いた推測は、花子の中で真実味を増しつつあった。
「ないから。歳だって親子ほど離れていそうだし」
花子は父城一郎の懸念、危惧していることについてピシャリと否定する。呆れたような顔をし、ジト目で己の父のその顔を見据えながら。だが、城一郎は納得した様子はなく、視線をイグナートと花子。交互にやり、最終的に花子の顔へと視線を止めるとやっと口を開く。なんだか落ち着かない表情をして。
「…本当か? お父さんは心配だぞ? 中高生はやれ大学生の彼氏だの社会人の彼氏だの…ただ年上なだけの馬の骨と付き合ってマウントをとったりするものなんじゃないのかッ…!?」
「心外ね。アクセサリー感覚で恋愛相手選ぶ様な頭の緩い娘とでも思ってるのかしら。と言うかどういう情報よ。余りにも局所的な例だと思うわよ。それ」
「あっ…ちっ、違うぞ! そんなつもりは…花子! お父さんはな…!」
箱入り娘とそれを想う父の言い争い。見ていて微笑ましく思えるそれが繰り広げられる家の正面門。そこへと近づく一つの足音。舗装された道路をカッカッと踏むそれに、イグナートは視線をやる。間も無くその足音の主は黒いスーツの男たちと城一郎が犇めき、通ることのできない小さな門の前へと立った。
「邪魔だ。道を開けろ」
一切の億面のない、歯切れのよい言葉。傲慢なその物言いはその場に居る、イグナート以外の耳を疑わせ、そちらの方に各々視線を向けさせる。
「…誰? この人」
城一郎はその視線の先にいる、スリットの入ったドレス状の衣服に身を包んだ、一糸乱れぬ艶やかで長い黒髪の美女を瞳に映して呟く。周囲の黒スーツの男たちは警戒したようにそれを見据え、その場の空気はやや張り詰めたが、すぐさま花子が前へと出る。何が起きても傍観に徹し、微動だにしないイグナートを差し置いて。
「それも私の使い魔。この場にいる2人の他に3人。あと1匹翼竜が居るわ」
城一郎と黒いスーツの男たちはその花子の言葉を聞き、耳を疑ったような顔をする。…どんな人間でも使役できる使い魔は一体だけ。使い魔を召喚する魔法、紋章術というものはそういうもの。使い魔を送還せずに次を召喚しようとしても術は作動しない。そういうものだと理解しているから。…そんな中、自分の進行方向から退いた黒いスーツの男たちの前を通り、ベウセットは正面玄関から家の中へと入っていく。
「使い魔召喚で複数体召喚…? そんなの有得んだろう」
閉まり行く黒い金属の扉。その向こう側に見えるスリッパに履き替えるベウセットの姿を見遣りながら、城一郎は腕を組み、次に花子の方へと視線を移す。…紋章術の権威である野々村先生も今日の例を残すため、人として、大人として大切なプライドを投げ捨ててまでして送還しようとする自分を引き留めようとしていたのだ。その反応も無理はない。と、花子は思いながら己の父の反応に理解を示す。だが、もうここでそれについて話すつもりは毛頭なかった。
「出来たんだからしょうがないでしょ。と言うかお腹減ったわ。ごはんの時にでも話しましょう」
「あぁ…うん。そうだな」
いろいろ話したいところであったが、娘にさらっと流される城一郎。彼はどことなくやるせないような顔をして、冴えない返事をすると黒いスーツの男たちと共に家の玄関の扉へと向かっていき、門の外に止まっていた白い高級車は敷地内の車庫へと向かう。それを見届けた後、花子はイグナートを見上げた。
「フリフオルはどうしたんですか?」
花子の一声にイグナートは反応を示し、その冷めきった感情の読めぬ瞳が花子の方へと向いた。…本当に寡黙な奴だ。感情は読めないし喋らないし。今まで関わってきた人間とは違うそれの姿を見、花子は若干やり辛そうにする。そんな彼女の目の前でイグナートは右手を頭の上にやり、その上に止まっている鳩を指で軽く叩いた。
鳩はそれによって飛び上がり、少し開けた空間にまで羽ばたけばその姿を黄色い翼竜へと変えた。…花子はその光景に目を点にする。水の魔法を使うとは聞いてはいたが、姿そのものを変える能力…魔法を使えたのかと。だが、その姿になったのは一瞬で、すぐに鳩の姿に戻り、ちょこちょこと足を交互に動かして花子の元まで歩み寄る。
「花子。お前は先に家の中に入っていろ。その方がお前のお父さんも落ち着くだろう。オルガたちは俺が呼んでくる」
鳩の姿をしたフリフオルを見下していると、特に低い声。見た目通りというかなんというか。そんな感じの。だが、聞いていてどこか落ち着けるような声でイグナートは言った。…見てくれでかなり身構えていたが、不思議と落ち着くその雰囲気に、彼が子供や野生動物に好かれる理由がなんとなくわかった気がする。…ストックホルム症候群的な心理なのかもしれないとも思いもするが。
「解りました。では、お願いしますね」
「あぁ」
イグナートと短い会話を交わした花子は無意識に強張らせていた表情を若干柔らかいものにし、返事を返すと踵を返して家の中へと続く扉へ。その後ろに鳩の姿のフリフオルが続く。それを見届けたイグナートは家の正面から左手へと曲がり、見てもいないのにオルガと小春が居る赤レンガの建物へと向かい始めた。居場所が解っているかのように、迷った風なく。
猫屋敷家と5人と1匹の使い魔たち。1人夕方以降その姿を現しては居ないが、とりあえず始まる使い魔たちを家族に加えた猫屋敷家の新しい生活。お互いの理解はまだまだ浅く、どういう奴らなのか把握すらできてはいない。だが、時計の針は止まらない。良くも悪くも賑やかになりそうな今日の夕食。その気配を噛みしめながら花子は赴く。家の中の大広間。そこへと向かって。
実際召喚魔法があったとして、異世界から動物等を軽々しく召喚するだろうか? 否、それはない。なぜなら未知の細菌とかが怖いからだ!…それ抜きにしたら資源の確保に使えそう。肉とか。