盛大に何も始まらない灰咲家の夕ご飯
灰咲さんが使い魔たちとただ晩御飯を食べるだけのお話です。特に意味はない。
暗い空。見上げても貧しい星々の明かりと、小さく見える月が顔を覗かせる夜空。見ていても綺麗とは言えないであろうその空の下に広がるは、夜空の明かりなど目ではない眩い街並み。
その中の一角。街灯の明かりぐらいしか光源のない、比較的に暗い場所。小さな堀と屋敷塀に囲われたそれは大きな土地の武家屋敷の一室にて、少し遅めの夕飯の時間が訪れる。
漆塗りの派手さはない、しかし最上品の物であろう雅な御膳に乗るはご飯、汁物、主菜と三つの副菜。最期に漬物が一皿。幾つかの善には徳利とぐいのみのセット。和食の基本形を行く献立を、桜子とその使い魔たちは各々前に。
「さーて、お待ちかねの酒だァ、ふぅふぅ!」
ある一か所から重苦しい空気漂う和室の中、声を弾ませたのはウツシロ。マナーもクソもなく、徳利とぐいのみを手に取ると、酒を注ぎ始める。
けれど彼だけだ。いつも通りなのは。この部屋にいる大多数の視線は、頭を抱え、部屋の隅で頭を抱えて体育座りする、重い空気の発生源へと向けられていた。
「……何事ですの?」
奇怪な物でも見るかのような桜色の瞳に、ライムグリーンの髪色のそれを映しながら、桜子は切り出した。その異変についてを漠然と……事情を知るであろう者どもに。
「お嬢、余り触れてやらねえでくだせえ。アイツにも色々あるんです」
現在できる最大限の心遣いと共にグラークはただ重々しく口を開く。視線を茶碗に。口元を渋め、美味しくは飲めないであろう酒には手を付けず、フォークを右手に、ご飯の盛られた茶碗を左手に持って。
「いつも淡々としてる教会騎士様の初めて見る一面。僕としては気になる」
「余計な好奇心を持つ暇があるなら、いつも通りその辺の女のケツでも追い掛け回してろ」
死線を潜り抜けてきた仲間の新たな一面。それに強く興味を引かれた風にティチェルは口元に柔らかな笑みを作る。目を細め、流し目でリチアを見つつ。
そんな彼に顔を渋めつつ、雑に吐き捨てるのはグラークで、言い終えた後に食事を口に運び、そんな彼の方にティチェルの視線が向く。
「うふふっ、そうしたいんだけど僕だって無尽蔵って訳じゃなくて。休憩中の暇つぶしくらいには――」
「おいおい~、すっげえなぁ。弾切れ起こす程宜しくやってたのかよ。尻尾と翼の生えた気の強そうな女か? 角の生えたボインのねーちゃんか? どの子が一番良かったんだよぉ、色男さん」
「黒い肌に青い鱗のスレンダーな子。ドルムツリーちゃんって言うんだけど、主導権取るつもりが逆に取られちゃってさあ大変」
「おぉ~、亜人っぽい子かぁ。いつも喰う側だから新鮮だったみたいな?」
返すティチェルに割り込むウツシロ。下世話な話に花を咲かせる二人に匙を投げたかのようにため息を一つ付いたグラークは、今己の御膳の上にプロジェクターリモコンを表示し、テレビをつけた己の主へと視線を向けた。
「すみませんねえ、馬鹿な連中で」
「ふふふ…産まれながらの支配者としてこの世に生を受けたこの灰咲桜子…。王として、まだ見ぬ世界、見識の広がる話はドンと来いですのよ。出来たらもっと詳しく、詳細にお願いしますわ。なにがどう良かったのかを!」
「そんなもん聞きながら夕飯囲むつもりですか、お嬢」
片手を胸に、対の手を広げる桜子は語気を強める。ここまで恥じらいのなく、声高々な要求のノリはまるでお調子者な男子中学生のそれであり――グラークは突っ込まざるを得なかった。半目になり、呆れも何もない渋い顔で。
そんなふとした時、グラークの目に空中ディスプレイに映る、テレビの様子が触れる。
身なりの良い、壮年の男たちがテーブルに着いたスタジオの様子が画面には映っていて、何やら議論をしているようだ。
『第三次世界大戦を経てABC兵器による汚染が原因で大量に発生した遺伝障害。放射線、化学兵器の汚染の進んだ環境下で生き残った女性の方が子供を作った時、死産だったり、障害を持ったお子さんが産まれてくる事が多くなったんですねぇ』
『放射線は遺伝子を損傷させるなんて聞きますね。それが原因で障害が出て来てしまう。しかし、それがどうして昨今の問題、多くの人々に禁忌とも言われるデザイナーベイビーの誕生に繋がるのでしょうか』
『それはですねぇ、この遺伝障害を化学の力で克服しようとした結果そうなったんですね。人間を対象としたゲノム編集技術は当初、汚染によって健常児の出産が難しい女性から産まれてくる新しい命を、健康な形で誕生させることを目的としていたものだったんですけど、その過程で頭脳や身体能力、外見なんかも編集する技術も獲得――』
『ちがあうん、大戦前から兵器研究として人間のゲノム編集は行われてきたの。表向きには人権だとか倫理的にまずいとか言ってたけど。当時の米帝…アメリカとか嘗てあった中国とかは魔術を兵器として量産するためにぃ、弾手を人工的に作る試みを――』
『あー韮澤さんは黙ってて! 今オカルトとか陰謀論じゃなくてヒストリーの話してんの!』
『いやいや、僕はとある金星人からこの話を聞いたんです。あれは2085年6月12日のじめじめした日の夜でした』
『あぁ~、また始まった』
仰々しいテロップと共に映し出される複数の学者と、賑やかしに呼ばれたのであろう好々爺っぽい半笑いの、オカルトライターというテロップの付いた壮年の男性。進行役の聞き手。そんな構成で進む話は知識をつけるための物ではなく、オカルトライターをボケとしたエンターテインメントとしての面が強く出ている。
けれどそれを見るグラークには気になることだらけだった。己の居た世界。それとは遥かに発展した世界で議論されるものはどれをとっても。
「お嬢、ひきて…弾手ってなんです?」
グラークは尋ね、ティチェルとウツシロの下世話な話を興味津々に聞いていた桜子の方を流し見る。
彼女は手に持っていた茶碗と箸を御膳の上に置いた後、胸を張って左手を胸に、得意げな表情をして見せた。それは自分である。そんな感じに。
「この世界には魔術と紋章術の二つの魔法が存在するのですけれど、弾手というのは前者。魔術を扱える人の事を指しますの。ただこれは日本だけの名称で、海外ではプレイヤーと表現するのが一般的ですのよ」
「魔法を楽器でも演奏するみたいなノリで撃つってわけですかい」
「魔術は心で思い浮かべ、描き、解き放つ…理学の外に存在するフィーリングの世界。その思い浮かべ方は人それぞれで、心の絵画を完成させるために絵画や写真を見る人も居れば、自分だけの呪文を唱える人もいる。世界に魔術を広めた方は音楽を聞いて魔術を描いていた。その流れを汲んだ呼称が使われて今に至るわけですわ」
「それで弾手ねぇ。どんな気取った野郎だったんだか」
己の主人を己が良く知る低俗な連れ共から遠ざける義務感、好奇心半々で桜子と言葉を交わしたグラークは再び空中ディスプレイの方へ視線を向ける。
人に何かを教える事。説明すること。強いて言えば頼られることが好きなのか……次なる質問を期待するかのように桜色の瞳を輝かせ、茶碗と箸を再度手に取った桜子の熱い視線を感じながら。
『韮澤さんねえ、もう2100年だよ? そんな早い段階からそんな研究が行われていたなら今頃誰もが弾手になっているでしょ?』
『解ってない…解ってない! 全世界人口の訳5パーセントが弾手だと言われている現在、何故それ以上増えないのか。我々は世界を背後から操る強大な存在によって、知らず知らずのうちに遺伝子編集を受けているからです! 理由は弾手の中でも兵器として成立する能力を持った個体……管理しなければ危険なこれらをこれ以上出さないためにですねぇ!』
『つまりゲノム編集によって弾手の量産は出来るようになりましたが、平和な現在、その技術は抑制する方向に使われていると。では小笠原列島の学園都市については?』
『あれは隔離施設なんです。意図せずして産まれてきてしまった弾手。これを無毒化するため、教育を徹底し、文明社会に牙を剥く個体にならないよう制御。相互監視させることによって嘗て米帝で起きた様な惨劇を起こさないようにしているんですね』
『一部本州や北海道、沖縄などでも暮らしている弾手の方々は存在しますが、それについては?』
『それらこそ世界の支配組織の一員。思い返してください…歴史上初の群棲召喚を成し遂げた二人を。猫屋敷花子さんと灰咲桜子さん。両者とも世界的にかなりの影響力を持った企業を立ち上げた一族の人間……これは偶然でしょうか……?』
『小笠原列島以外にも一般家庭で暮らす弾手なんて星の数ほど居るんだけどなぁ? ウチの孫もそうなんですけどね』
『否定的だった理由が解りました。貴方も支配組織の一員だったって訳だぁ』
『あぁ、だめだこりゃ』
白熱する議論には思えるが、半笑いのオカルトライターがいう事にはスタジオからの失笑が伴う。全うに考察するのがバカバカしいことに思えるその内容を暫く見ていたグラークの視線は再度桜子へと向いた。
「お嬢、この韮澤っていう爺さんのいう事ってどこまで正しいんです?」
「なかなか興味深いお話だとは思いましてよ。肩書に違わぬとは流石職業人ですわ」
テレビに名前が出たことになんだかより得意げにし、お吸い物を啜っていた桜子は応える。涼しい顔で、皮肉っぽく。下ネタで盛り上がるティチェルとウツシロの傍で。
「あぁ、この番組を見ていて思い出したのですけれど、来週から一緒に魔術測定合宿に付き合って頂きますわ。場所は日本の南の果て。小笠原列島まで」
桜子は思い出したように続ける。その言葉にリチア以外が桜子に注目し…仲間うちで顔を見合わせ――最終的に桜子を含む視線がティチェルに集まった。
「おめえさんよ、解っちゃ居ると思うが現地の女にゃ手ぇ出すんじゃねえぞ」
「そうそう。使い魔相手だから目ェ瞑って貰えてんだからな」
「灰咲家の力でもみ消すことは容易でも、その名に泥がつくのは間違いなし…弁えてくださいまし。両者とも結婚を前提とするのならその限りではありませんけれど」
しかめっ面のグラーク、呆れ顔で腕を組んだウツシロ、真顔の桜子による総攻撃。
その渦中にいるティチェルは思わず身を引き、引き攣った笑みを口元に浮かべた後、頬を指先で掻いた。
「もう~、ひっどいなあ。そんなに信用ない? 今だってネオ中野魔術学校のお嬢さんたちには一切手出してないじゃない」
半笑いのティチェルの苦しい弁解。
それは再度桜子、グラーク、ウツシロの顔を見合させ、辛辣な視線を再度集めた。
「鏡と言う物をご覧になったことは無くて?」
「どの口がいってんだ。まだこっち来て一か月も経ってねーだろうが。それをあっちにフラフラこっちにフラフラ…」
「二度目の魔王討伐の時、どっかの誰かさんが地方領主の一人娘に手ぇ出して懸賞金掛けられたのは今でも忘れられねえ素敵な思い出だよなぁ」
桜子、グラーク、ウツシロの二度目の総攻撃で、言えることがなくなったのか、これ以上の反撃はより激しい攻撃を受けかねないと思ってか、ティチェルは己の体の前に両手を開いて出しながら、半笑いのまま小さくなった。
その後、矛を収めた桜子とグラークは再び食事を再開。ウツシロはぐい飲みと徳利を手に取り、ふと何か思い付いたような顔をした。
「…ん? ちょっと待った。リチアさん。ひょっとして…これチャンスじゃねえのか?」
「…えっ?」
振り返るウツシロ。その彼の言葉に、部屋の隅で座り込んでいたリチアは反応。彼の方へと振り返った。
「俺達が魔術測定合宿に同行するってことは、猫屋敷のお嬢ちゃんの使い魔も来るってこったろ? つまりイグナートのおっさんが来るってこった。これはお泊りチャンスの予感」
「…? 何故そこでイグナートさんが?」
ウツシロの言葉に言葉無くハッとしたリチアより先に、桜子が口を挟む。
そう、彼女は知らないのだ。今日という日に起きたグダグダのごたごたを。リチアの落ち込む理由…何もかも。
故に向く。小首を傾げる桜子の不思議そうな桜色の瞳が……ぐい飲みで酒を一口飲んだウツシロに。
「リチアさんはイグナートのおっさんに惚れたんだよ。俺らで発破掛けて勇み足で図書館出て行った後のことは知らねえけど……あんまりいい結果じゃなかったみたいだな」
「まあっ、まあまあ……まあっ!」
花子の様に体裁だとかで本心を隠すような人間ではない、割とオープンな桜子。思春期真っ只中の彼女が食いつかない訳がない話。興味がないなんて万が一もない話。頬を染めて顔を逸らすリチアに視線を映し、口元に手を当てながら催促する様に視線を送る。
目は口より物を語る時がある。今日あったリチアの試練。その一切合切。全てを求めるかのような……催促の視線を。
「辞めてやりましょう。お嬢。俺達も聞きはしませんでしたが、さっきの様子を見たでしょう。きっと再起不能になる様なやらかしでもしたんでしょうよ」
「そうなんですの? リチアさん」
沈んだ気持ちの何者かを見た時の対応の仕方。放っておいてやるという優しさ。踏み込んで解決策を共に考えるというのも優しさかも知れない。
前者はグラーク。桜子は後者だったようで、やんわり放っておくようにという言い方をしていたグラークを振り切る形で尋ねた。
「……私は弱かったのです。信仰の力で得たと思った勇気はまやかし……あの方を目の前にしたときに幻の様に霧散してしまった」
体育座りをしていたリチアは膝に額を押し当て、俯きながらも――言葉を紡ぐ。後悔と自己嫌悪。見るもの全てにそれを感じさせるほど落ち込んで。
「イグナートって……あのツルッパゲのおっさんだよね? リチアさんああ言うのが好みなんだ。……ファザコン入ってない?」
「お前さんみたいな調子が良くて胡散臭い野郎の後ろ、言われるがままにホイホイ着いてく頭緩い女よか見る目あんだろ」
「もう、でも見た目だけだったら僕の方が真面目そうでしょ?」
「おっかねえおっさんか胡散臭そうなメガネ野郎か比べようにも――うにゅっ!」
半笑いで拗ねたふりをするティチェルと茶化すウツシロ。
このまま進行を任せていては話が脱線するのが目に見える二人の間を今、いつの間にか立ち上がった桜子が割って入って押し退けて、ティチェルとウツシロの頬の片側が、桜子の手によって歪む。
「お黙りなさいッ、この下郎共ッ! さっ、リチアさん。露払いはこの私、灰咲桜子が致しましたわ。続きを早く。さあ早くッ」
桜子は桜色の瞳を爛々と輝かせながら、鼻息を吐き出す。
リチアの為……というよりかは自分の好奇心を満たしたい。人の恋愛事情に首を突っ込みたいという腹の底が透けて見えるノリノリの彼女の顔を傍から見ていたグラークは半目になり、己の額に右手を当ててため息を付いた。
程度は違えど彼女も同じベクトルでリチアの問題を見ていると。今彼女が黙らせた二人。頬を押されて変顔をしているウツシロとティチェルと同じく。
「落ち着きなさいな、お嬢」
見かねたグラークは桜子を宥め、リチアに助け舟を出す。
纏まりのない旅の一向。自分もろくでなしであるという自覚があるが、相対的に真面であるグラークは、いつものように自分の役割を担う。旅のリーダー。この集まりの統率役としての部分を。己の主人、桜子をも含めて。
そして一瞬静かになった所で……グラークは鼻から小さく息を吸った。
「リチア、どうせお前ヘタレて真面に話すら出来なかったんだろ? 今さっき言ってたこととツラ見りゃあ解るぜ」
「私はッ…! そのッ……はい…」
グラークの指摘にリチアは振り返り反論仕掛けるが、図星なのだろう。瞬間的に勢いは消えて、目を泳がせつつ座り直して仲間たちの方へと身体を向け、俯いた。
「素直でよろしい」
リチアの肯定を経て、どういう状況か。素直に認めた彼女に言うグラークとその他役に立たない者達の中で認識が共有される。終わるどころか始まりもしていない事を。
その後で周囲の注目を集めるかのようにグラークが手を叩いた。
「リチアのことはもういいな。この件は今聞いた通り俺達が首突っ込めるほど話が進んじゃねえ。動くにしても来週だ。おう、さっさと夕飯食っちまうぞ」
一部食事を摂ることすらしなくなった議論を纏め、グラークは膳に向き直り――リーダーの言うことに桜子含めた面々はお互いの顔を見合わせた後、各々の繕の前へと戻る。
食事を忘れるほどの白熱した議論から……食卓を囲みながらの団欒へ。
「来週行く小笠原列島ってどんな場所なんです?」
「透き通る海、海の幸。温泉に海底、海中都市……そして次代を担う弾手たちの場所。そんな感じですわ」
「へぇ、いいじゃないの。俺たちゃ来週温泉巡りだな」
「いけませんわ。我々が来週達成すべきはリチアさんの恋路の道を進める事……その事は忘れないでくださいまし」
「お嬢ぉ、俺がこんなこと言うのはなんだけどよ、そんなんでいいのかい。アンタ魔術の試験とやらで行くんでしょうに」
一度は食事の手が止まるほど話が膨らんだ後、ウツシロと桜子の間で再び話が膨らみ始める。
そこから更にティチェルやグラークが話に混ざり、リチアが引っ張り込まれ――灰咲家の騒がしく盛大に何も始まらない食卓が彩られていく。
楽し気で、心温まる気心知れた者どもの夕ご飯の時間が緩やかに。ただただ無意味で、しかし人生において最も重要な満ち足りた時間が。灰咲家の武家屋敷の中で。
次からは小笠原列島での魔術測定合宿にお話が移ります。魔術とそれを扱える人間たちが社会的にどう見られているのか、そんな感じのことを書いて行こうと思います。