彼女は婚約破棄されたい
「カナン、僕は君との婚約を破棄する」
目の前にいる見目麗しい青年が、真面目な、そしてどこか厳しい表情で私を見つめている。
婚約破棄……今、婚約破棄って言った!?
私は慌てて手にしていたビスケットを三枚口に突っ込み、砂糖のついた指をドレスで拭う。
真ん中で割れてしまった前髪を手櫛で整え、ビスケットを飲み込んだ。
「ああなんてこと!」
一通りの準備を終えると、私は悲痛な声を絞り出す。
「アルフレッド様、今なん……ごほっ、失礼、ビスケットが喉にごほっ、うっ……ううん、おっけ、えーと、今なんと……?」
ビスケット三枚はきつかったな。
そう思いながらもアルフレッド様から視線を外す事はしない。
彼は拍子抜けした様な顔をしながらも、隣にいる可愛らしい平民に格好良いところを見せようとしたのか、胸を張って言い直そうとする。
「カナン、君との婚約を……」
「あああ待って!」
しまった、準備終わってなかった。
いそいそとドレスの裾から黒く四角い機械を取り出し、アルフレッド様に向ける。
「さあアルフレッド様!決め台詞をどうぞ!さあさあ!」
出鼻を挫かれたと言わんばかりに不満気な表情をするアルフレッド様。
いや早よせいや。
「いい加減にしてくれカナン!僕は!君との婚約を!破棄!する!そして!僕はこの!ここにいるジュディと結婚するんだ!」
「おおおおお素晴らしい!よくぞ言ってくださいましたアルフレッド様!」
私は思わず拍手をしてしまいそうになる。
しかしここは落ち着いて。
シクシクと泣く場面かしら。
周りを見れば、この会場にいる全ての人の目線がこちらにやられていた。
まあそうなるわよね。
第二王子・アルフレッド様の十八歳のバースデーパーティーで、ココリア伯爵の娘・カナンが、婚約破棄をされたのだ。
しかもアルフレッド様は平民のジュディと結婚すると言う。
人々の目は好奇の感情で満ちていた。
ああやはりここで涙のひとつでも垂らしたいところではある。
でも残念な事に、私は肩を震わせる事しか出来ない。
それも涙を堪えてではなく、笑いが込み上げて仕方がないからだ。
しかしアルフレッド様は気付かない。
大勢の人々に、自分とジュディを認めさせたいのだろう。
ジュディの肩を抱き、私に冷たい視線を送る。
「カナン、お前はジュディにテストの範囲を偽り留年させ、虫で怯えさせ、挙句には階段から落とし怪我をさせたと聞く。いくら私を愛しているからと言って、可愛いジュディを傷付けていい訳がないだろう」
いやちっちゃ!
告げ口の内容ちっちゃ!
ジュディしっかりしてよ……。
アルフレッド様の後ろで性格悪そうに笑う前に、もっと考えて悲劇のヒロインぶってよ……。
思わず手にしていた黒い機械を落としそうになってしまったじゃない。
ジュディは私とアルフレッド様の通うサマリア学園に、三ヶ月程前に転入してきた。
サマリア学園は貴族の子供が、勉学や音楽など、紳士淑女としての嗜みを学ぶ場所だ。
平民の彼女がここに入れたのは、彼女の母親がサマリア学園の理事長の愛人だかららしい。
なんと品の無い事だろう。
最初は白い目で見られ肩身の狭そうなジュディだったが、威張らないその態度や、大して価値の無い宝石にも目を輝かせるピュアさ、明るくて優しい性格に惹かれる男どもが多くいて、楽しそうに学園生活を謳歌していた。
平民だから威張れる相手などいなかったのだ。
平民だから宝石の価値など分からなかったのだ。
実際のところは、学園に来て一ヶ月もすれば位の高い男どもにちやほやされる事をいい事に、令嬢達に上から目線の発言を多くしていた。男どもから贈られる宝石の中で、高価な物以外は売りに出していた。
なぜ気付かないのだ男ども。
守りたくなる様な華奢な体に白い肌、大きな青い目に美しい金髪。
男どもは次々とジュディに恋をする。
アルフレッド様も例外では無かった。
気付いたらジュディはアルフレッド様と多くの時間を共にし、このザマである。
時々二人と道ですれ違えば、アルフレッド様は私から目線を逸らし、ジュディはニヤリと笑って見せる。
腹立たしいが、それでいて少し愉快ではあった。
ああダメ、現実を見ないと。
ヒソヒソ声が広まって行く。
部外者の勝手な憶測が飛び交っているのだろう。
アルフレッド様は満足気な表情で私を見下ろしているし、ジュディは性格の悪さが顔に出ている。
ああもう。可哀想なカナン。
こんなに綺麗な黒髪を品良く編んでいるのに。
こんなに魅力的な赤色の瞳を持っているのに。
こんなに美しいドレスを着ているのに。
折角だもの、誤解だけは解いておこうかしら。
「失礼ですがアルフレッド様。ジュディ様のテストの結果が芳しくなかったのは彼女の頭の問題ですわ。そもそも私とジュディ様はクラスが違います。彼女のレベルで私と同じ勉強が出来るとお思いですか?クラスが違うのだから、テストの範囲も同じなわけがありません。教えようがないではありませんか。虫で怯えさせた?それは違います。ランチの時にテーブルに虫がいた事で叫んだジュディ様を落ち着かせ、手で摘んで庭に払った事ならありますけれど。終いには階段から落としたですって!まぁそれでよくジュディ様はご無事ですこと!いつの話をしてらっしゃるの?私の記憶の中ではジュディ様を落とした事などありませんのに」
息を吸う事なくツラツラと言ってのけ、ほれ、明確な日付を言ってみろ、と目で促す。
アルフレッド様は少し顔を青ざめさせながらも、ジュディを見た。
自分の失態に気付き始めているのだろう。
彼は感情に囚われがちだが、馬鹿ではない。
「私は……っ、彼女から聞いただけだから分からない……ジュディ、それはいつの話なのだ」
「……お、覚えておりませんわ。そんな些細な事……!」
でしょうね。
だって落としてないもの。
階段から落とすなんて王道過ぎるわ。
悪役令嬢あるある過ぎるわ!
私が落とすなら屋上からよ!
会場内を見回せば、ジュディの友人である子爵令嬢や、彼女に恋する男性達も沢山いる。
「この中にどなたか、ジュディ様が階段から落とされた姿を見た方はいらっしゃるかしら?階段から落ちて怪我をしたジュディ様を見た方はいらっしゃるかしら?ジュディ様が怪我を負って学園に足を運んだならば、アルフレッド様、その姿をあなたが見ない事なんてありますのかしら?」
外野に向かって大きな声で言葉を放つ。
最後にはアルフレッド様の目を見て。
「ジュディ様は学園を休んだ事はありませんもの。怪我した姿を見た事ないならば、どうして階段から落とされたと言うのでしょう」
「それは……必ずしも見目に現れる怪我を追うとは限られないではないか」
「だって故意で落とされたのでしょう?そして傷付いたのでしょう?足を挫くことも腕を痛める事もなく落とされたのなら、もう良いではありませんか」
「しっ、しかし……!」
あらあら大変。
もうこんな時間だわ。
黒い機械をドレスに仕舞い、長い髪をたなびかせてアルフレッド様に微笑む。
「アルフレッド様、良い加減に目を覚まして下さいませ。第二王子のあなたに相応しいのは、残念ながらジュディではありませんわ。それは彼女が平民だからではなく、性格・頭脳共に低レベルだからです。それに対してココリア伯爵の娘・カナンは、見目は美しく思慮深い、とても素敵な女性です。まああなたも案外お馬鹿さんだったので、カナンは勿体無いかしら」
顎に人差し指を当てぶつぶつ呟く私に、会場内の人々は唖然呆然と口をあんぐり開けていた。
「お前は……さっきから自分を褒め過ぎではないか……」
アルフレッドよよく言った!と皆思ったのだろう。
数人が静かに頷いていた。
そうだ、私ってばうっかりしてた。
「私の名前はティナ・ユーズワルド。隣国の姫ですわ。姫ですって、自分で言っちゃった!きゃっ」
急にテンションを上げる私に、誰も付いてこれない。
それもそうね。見た目はカナンですもの。
「ちょっと待ってちょうだいね」
私はがばっ、と黒髪のウィッグを外す。
お帰り私の髪、という感じである。
ウィッグに隠されていた銀髪が、ふわりと私の頬に触れた。
アルフレッド様が眉をひそめた。
「お前は……背格好や顔立ちこそはカナンに似ているが……いや、しかし……」
顔を真っ青にし、ぶつぶつと呟いている。
髪色が変わればきっと気付くだろう。
私がカナンで無いことに。
すっと彼に近付き、耳元で囁いた。
「今頃カナンは兄様と仲良くやっているわ。アルフレッド様の婚約者という責任を一人で担ったカナンだけれど、流石にジュディに絆されるあなたの為に頑張る事が辛くなったのね。泣いているところを、私の兄であるベルトが慰めて、気付いたら両想いよ。そしてあなたが婚約破棄を言い渡すだろうと読んだ兄様は、カナンと同じ目の色、似た様な背格好をした私にカナンの身代わりになる様言ってきたの。二週間前にカナンの代わりとしてこのパーティーに出ろと言われたの。信じられる?たった一人の可愛い妹をこんな見世物にして、自分は愛しいカナンと幸せいっぱいよ。こっちはカナンの癖やらなんやらを真似する事に必死。まあ、運の良い事にあなたもジュディもカナンの声やら雰囲気を覚えていなかったのだもの。簡単に騙されてくれて有り難かったわ」
うふ、と笑って後ろに下がり、ドレスの裾を持ち一礼。
「さようならアルフレッド様、ジュディ様。カナンはテルトニア王国の王妃となるでしょうから、遠慮しないで仲良くしなさいな。みんな幸せハッピーエンドよ!私もお金を貰えて幸せ。さあ皆さん!アルフレッド様のお誕生日をお祝いしましょ?それともカナンの過去の話を聞く?かれこれ十年分は詰め込まれたわ!今日の為だけにね」
私の声が会場中に響き渡るが、誰一人この場に相応しい態度をとる事が出来ない様で、目を泳がせて周りの反応を窺っていた。
……つまらない国ね。
私はもう一度アルフレッド様に礼をして、ビスケットを四枚掴み、城を後にした。
ジュディの大きな泣き声が聞こえた気もするが……きっと気のせいだろう。
「よくやったぞティナ!」
「ありがとうねティナちゃん」
おいおい、そこ二人で抱き締めながらお礼を言われても嬉しくないんだけど。
仮にも兄は第一王子だぞ?
その内国で一番偉くなるんだぞ?
カナンが可愛いからってそんなデレデレしないでくれよ……。
まったく。なんで兄の愛しき人を皆の前で見世物にしない為だけに、妹の私がこんなにも奮闘しなければいけないのか。
「これで胸を張ってカナンを連れ、国に帰れる。いやあ実りの多い留学だったなぁ!」
幸せそうな兄とカナンを見ながら、ボリボリとビスケットを口にする。
この兄は……お金さえ払えば何でもする妹を利用しやがって。
「はい、一応アルフレッド様がカナン様との婚約破棄を破棄をする!とか言い出しても大丈夫な様に、言質取っときましたよ〜」
黒い機械を二人に差し出す。
「ぼいすれこーだーだな。それにしてもティナ、お前はどうしてこんな優れものを開発出来たんだ……?」
「本当に。ティナちゃんの発想力は凄いわねぇ」
「まあ、頭の出来が違うんですよ。兄様、そんな事より早く約束のお金を」
「身内相手にこの態度だ……ティナ、お前もその内結婚せねばならないのに、金に貪欲過ぎるとその内身を滅ぼすぞ」
「利用しときながら何をおっしゃるのです……お金は裏切りませんからね」
「はいはい」
にこやかに私を見つめてくる二人に呆れた様な視線を送り、私は自分の部屋に戻る事にする。
私の名前はティナ・ユーズワルド。
隣国の姫でありながら裏では何でも屋を営み、がっぽがっぽと金を稼いでいる。
しかし前世の私は日本という国で、独身貴族としてアルバイトで生計を立てていた。
ボイスレコーダーを作り上げることが出来たのも、身長と目の色くらいしか共通点のないカナンに顔立ちを似せるメイクが出来たのも、アルバイトで得た知識のおかげである。
たとえこの世界で姫として生きていても、金は私を裏切らない。
前世で私を裏切らなかったのは、人でも愛でも知識でもない。
金だ。
私はうふふ、と一人笑う。
この世界で、私は一人で生きてゆく。
たとえ誰かを蹴落とす事になっても。
なんでもやるよ、伊達に二十七年生きてない。
正社員の面接には落ちまくり、アルバイトで生計を立てる日々だった。
彼氏には浮気され、親には職に就くまで帰ってくるなと怒鳴られた。
予定では死んでるはずだったんだけど、ま、こういう生き方もありよね。
お金をくれるなら、その分の働きはちゃんとする。
例えそれが、婚約破棄でも犯罪でも。
お困りな事がございましたら、ティナ・ユーズワルドにご相談ください。