5-8 いいえ、最高です
幸いにしてフロリーの病気の治療は、何の問題もなく終わった。
シャルの時と同じように20回の自己複製と異物排除の命令を書きこんだナノゴーレムは、ほんの十数分で彼女の体内から病原体を完全に駆逐した。
そのあとアナベルに頼んで治癒魔法をかけてもらい、それで身体の方はすっかり元通りだ。
ただし、彼女はここ数日まともに食事を摂れていなかったようなので、失った体力を取り戻すためにはしばらくの静養が必要だろう。
フロリーの治療後、念のためにベックを含む他のみんなにも同じようにナノゴーレム治療を施しておいた。
いくら感染力が低いとは言っても、万が一ってことがあるからね。
「ああっ、身体の中にシモンさまを感じますっ」
アナベルが身をくねらせながらまた変なことを言っている。
ナノゴーレムの素材は本人の赤血球なんだから、それは100パーセント気のせいだよ。
「お兄ちゃん、妹を助けてくれてありがとう。……これだけしかないんだけど、足りるかな?」
僕の仕事が一段落してからベックが差し出してきたのは、小さな手のひらで大事そうに包んだ大小さまざまの銅貨だった。
ざっと見たところ、200ディルあるかどうか。たぶん、彼がここ数日で妹のために稼いだ全財産だ。
「いや、別に僕は……」
お金が欲しくてフロリーの治療をしたわけじゃないし、そんな大事なお金を受け取ることはできないよ。
そう言って断りかけると、不意に脇腹をツンとつつかれた。見るとそこにはパトリシアがいて、声には出さずに口だけで「ダメよ、貰ってあげて」と言う。その隣ではアナベルがそうそう、と頷いていた。
そうか。ここで謝礼を断ると、ベックは僕に借りを作ったままになる。ベックは妹の治療を受けて、僕はきちんとその対価を受け取った。彼のためにそういう形にしておくべきだって事か。
「じゃあ遠慮なく。これだけ貰っておくよ」
申し訳ないという気持ちをできるだけ顔に出さないよう気をつけながら、僕はベックの手の上から10ディル銅貨を5枚選び取った。
日本円にしておよそ500円。大した金額じゃないけれど、最低ランクの食堂ならこれで2日間の食費になる。そう考えると大きい。
ちなみに最低ランクの食堂ってのは、僕が投宿していた「金鴨亭」みたいなところのことだ。くず野菜のスープとボソボソした酸味の強いパンが、一時期僕の主食だった。
「そんだけでいいのか?」
「別に難しい仕事ってわけじゃなかったから、これで十分だよ」
「ま、まぁ、お兄ちゃんがそう言うんならそれでいいけど」
口ではそんなふうに言いながらも、ベックは明らかにほっとしたような表情だった。
ひょっとして本当に手持ち全額だったのか? もし僕が全部受け取ってたらどうするつもりだったんだよ。
その後、ベックに何度も繰り返しお礼を言われながら彼の家を後にして、帰途につく。
その道中ずっとなにか考えこんでいる様子だったシャルが、グスタフさんを見上げて口を開いた。
「あのね、叔父さま。私もフロリーのために何かしたいと思うの」
シャルはどうやら、熱病で苦しむフロリーの様子を先日の自分自身に重ねて、すっかり彼女に親近感を持ってしまったようだ。
そう言えば生死の境をさ迷っている最中なのに治療前に痛いかどうか気にしたりして、ちょっと似ている部分もあったかも。それに、天使みたいだって言われたことも影響してると思うな。
ところがこのシャルのお願いに対して、グスタフさんは渋い表情をした。
「いいや、シャル。それはできん」
「……っ! どうして!?」
「ここは独立都市メリオラで、彼らはその市民だからだ。公的な立場で私たちにできることはない」
驚いた。シャルにはいつも激甘なあのグスタフさんが、彼女に対してこんな突き放すようなことを言うなんて。
メリオラは、周辺6国のために勇者を召喚するという特殊な立場にあるため、特定のどの国に対しても便宜を図らない。また周辺6国の方でも、他国との事前協議なくメリオラの内政に干渉することはない。それが建前だ。
実際には市長に相当する神官長が、フォルティア王国のギスモ伯爵から賄賂を受け取ったりしてたけど。後任の神官長はもっと真面目な人であることを願おう。
とにかくそういうわけだから、カスタールの皇族であるシャルやグスタフさんが、公人の立場で勝手にメリオラ市民であるベックの生活を援助するわけにはいかない。
もちろんこれはあくまで原則の話で、実際には庶民の一人や二人を助けたところで問題になることはないだろう。また、そもそも私人としてカスタール帝国の公金を使わずに行うなら、この原則にも反しない。
だけどグスタフさんはともかく、シャルはまだ自分のお金というものを持っていない。身につけているものも全部ひっくるめて国の財産だ。よほどの非常事態でもなければ彼女が勝手に処分することはできない。
だからと言ってシャルは、グスタフさんや僕に何とかしてとお願いしてくることもなかった。
たぶん僕たちは、お願いされたら断りきれないだろうけど。そこは彼女の真面目なところなんだろうな。
「それにだ。ただ単に施しを与えるというだけでは、あの少年の矜恃を傷付けることにもなる。他人を思い遣る心は大切だが、実行するとなればもっと考えねばな」
「はい…… 分かりました、叔父さま」
グスタフさんが毅然とした声でそう結び、シャルはしょんぼりと俯いて返事をした。
その時、シャルには見えなかっただろうけど、不承不承引き下がったシャルよりもグスタフさんの方がよっぽど辛そうな表情だったので、申し訳ないけどちょっと笑いを堪えるのが大変だった。
よしよし。よく頑張ったよ、グスタフさん。
翌日、お昼を過ぎるといつものようにシャルとグスタフさんがやって来た。
シャルの様子は一見いつも通りに見えたけれど、時々欠伸を噛み殺していたりしているので、昨夜はよく眠れなかったのかも知れない。
でも大丈夫。今日は、そんなシャルのために準備しておいた物があるんだ。
「実はお昼ご飯を作りすぎちゃったから、フロリーの様子を見がてらお裾分けに行こうと思うんだけど、シャルも一緒に行かないか?」
「本当に? もちろん行くわ! いいでしょ叔父さま?」
「ああ、構わんとも。……すまんな、シモン殿」
もちろん本当は作りすぎたわけじゃなく、最初からわざと多めに作った事はバレバレだ。
今日のお昼はスープスパゲティ。「余った」2人前は、片方がベーコン多めの具沢山で、もう一方は消化を良くするため柔らかめに仕上げてある。僕の〈ストレージ〉にしまっておけば、冷めることも伸びることもないからね。
ちなみに発案は僕じゃなくてパトリシアたちなんだけど。みんなよく気が利くなぁ。
嬉しそうなシャルを先頭にして、僕たちは昨日ベックと出会った広場へと向かう。
普段ベックがしている仕事は一日中あるわけじゃないので、空いた時間は昨日のようにこの広場で露店を営んでいる。並べている商品の編み籠は普段ならフロリーが作っていて、日に1、2個は売れるそうだけど、彼女が寝込んでから売っている商品はベックが見よう見まねで作ったものだ。そして残念ながら、彼の作品はまだ一つも売れていないらしい。
広場に着くと思った通り、昨日と同じ外れの場所にベックが店を開いていた。でも今日は店の前に何人かの人集りができている。
おっ、お客さんかな。商売の邪魔をしないように、声を掛けるのはもう少し待っておこうか。
ところが近づいてみると、どうやらお客さんではなく揉め事のようだ。
「ここでこんな粗悪品を売られちゃ迷惑なんだよ!」
「そうだ。こっちの信用にも関わる。どこか他所へ行きな、坊主」
「だいたいこんな不格好な籠なんざ、タダでもいらねぇよ」
「どうせ一個も売れないんだからここにいても無駄だろう。さぁ、とっとと帰れ帰れ!」
ベックの露店の前に陣取っているのは、他の露店の店主たちだった。
確かに商品の質はイマイチだと思うけど、あれだってベックが妹のことを思って一生懸命に作ったものだ。大勢で寄ってたかってそんな言い方をしなくてもいいじゃないか。
「……なによあれ」
「いい大人が、みっともないですね」
「アイツらの目は節穴か。あれはあれで味のある籠じゃねぇか」
「ここは私が、ちょっと礼儀というものを教えて差し上げましょう」
うちの女の子たちもご立腹だ。プリムラだけちょっと怒りの方向性が違うようだけど。
僕もあんまり腹が立ったので、一言文句を言って追い払ってやろうと近寄ると、それを手で制してグスタフさんが前に出た。
「その少年は私の知り合いだが、何か失礼があっただろうか?」
「あ…… お兄ちゃんたち……」
「何だてめぇ……は……?」
「い、いや、別にそんな、大したことじゃねぇんだ」
「きょ、今日のところは見逃しておいてやるよ」
グスタフさんの一言で、男たちはたちまちしどろもどろになった。別に凄んでいるわけでもないのに、さすがだ。
そしてトーンダウンしてすごすごと退散しようとする彼らの前に、なんとシャルが立ちはだかった。
「これはベックがフロリーのことを思って編んだ籠なのよ! 売れないはずはないわ! ただ少し場所が悪くて人目につかないだけよ!」
驚くほど大きな声でそう宣言すると、彼女は呆然とする男たちを押し退けるようにしてベックの露店の前に立ち、くるりと広場中央へ向き直る。
軽く目を閉じ、胸に手を当てて深呼吸をすると、怒りで紅潮した顔がすぅっと穏やかな表情に変わった。
そして彼女はもう一度、大きくゆっくりと息を吸い込むと、高く澄んだよく通る声で歌い始めた。
……すごい。
シャルの歌声は技術的に上手いとかどうとかじゃなく、いやもちろん上手いのも上手いんだけど、それ以上に心に染み込んで来るっていうか、とにかく聞いていて心地良い。
単調だけれど綺麗な旋律に乗せて紡がれるのは、僕には聞いた覚えのない言葉だ。いったいどこの言葉なのか、意味は全然分からないけれど、聞いているとなぜか頭の中に風景が浮かんでくる。
青く高い空、澄み切った空気、冷たい風。雪化粧された険しい山々の連なり、薄い氷の下を流れる透明な小川。雪の中でじっと春を待つ草花。
思わずツンと鼻の奥が痛むのを感じて、照れ隠しにみんなの方を振り向くと、パトリシアもアナベルもクラリスも、瞳を潤ませながらシャルの歌に聴き入っていた。
そしてプリムラは、ダダ泣きしていた。
それだけじゃない。いつの間にか周囲には大勢の人が集まっていて、咳払いひとつすら聞こえない静けさでシャルの歌を聞いている。
そんな中、グスタフさんが僕の隣にやってきて囁いた。
「如何かな、シモン殿。シャルの歌はなかなかのものだろう?」
「いいえ、最高です」
僕の答えに、それは良かった、とグスタフさんが微笑んだ。
彼女が歌っているのは、カスタール帝国北部に古くから伝わる歌だそうだ。帝国でも今はもう使われていない古い言葉で、その意味を理解できる者は少ない。
けれども、歌い手さえ良ければ不思議と皆が同じ風景を思い浮かべるのだ、と。
そんな心地のいい時間が終わり、もう広場中の人が全員集まってるんじゃないかと思うくらいの聴衆にシャルが一礼する。
するとさっきまでの静けさが嘘だったみたいな歓声と拍手が一斉に湧き上がり、おまけにベックの露店の編み籠が奪い取られるような勢いであっという間に完売した。
歌い終わったシャルは、今度は怒りじゃなく興奮と恥ずかしさで顔を上気させ、アンコールの声に戸惑っている。
「シャル、すっごーい!」
「少し泣けちゃいました。いい歌ですね」
「はい皆さん、投げ銭はこちらへ!」
「もっ、もっど、もっどぎぎだいよぉー」
「……………………本当だ、天使だ…………」
そしてベックは放心状態で、シャルの後ろ姿を見つめていた。




