5-7 天使さまが見えるよ。
その少年は、ベックと名乗った。
ベックは9歳で、2つ年下の妹フロリーと二人だけで暮らしているらしい。
両親は彼がまだ幼かったある日、突然いなくなった。その理由も、両親の生死も彼には分からない。
その後は隣に住んでいたおばさんが面倒を見てくれていたそうだが、そのおばさんも昨年病気で亡くなり、それからはベックが細々とした仕事で僅かな日銭を稼いでなんとか暮らしてきた。
ところが10日ほど前、フロリーが体調を崩した。最初は微熱と倦怠感くらいだったものが、ほんの数日のうちに高熱で起き上がれなくなるまでに悪化してしまった。
かと言って彼には医者にかかるほどのお金の余裕はない。熱にうなされる妹を前にどうすればいいのか分からず途方に暮れていたところへ、仕事で知り合った男が「いい薬がある」と教えてくれたのがエルフの霊薬だった。
「本当なら1万ディルでも買えない薬を500ディルで売ってくれるっていうんだけど、そのお金もなくて……」
ちょっと待って。いくらなんでもその値引率は怪しすぎるよ!
エルフの霊薬が一服あたり1万ディル、つまり10万円以上するというのは嘘じゃない。
その理由は、効能の強さと即効性が他の薬の比じゃないからだ。本当かどうかは知らないけど「いま死んだばかりなら飲ませてみる価値はある」とまで言われている。
それがどう頑張ったって500ディルで買えるはずはない。
それに霊薬の効能は傷の治癒と体力魔力の回復であって、あくまでも傷薬だ。いくら飲んでも病気は治せない。僕もプリムラのお父さんに貰ったものを持っているから、その辺の知識に間違いはないはずだ。
そりゃあ病気の人でも霊薬を飲めば一時的に元気にはなるだろうけど、それで病気の原因が取り除かれたわけではないので、またぶり返すのは目に見えている。
つまり、ベックはその男に騙されているってことだ。
まだお金は取られていないから金銭的な被害はないかも知れないけど、効くはずのない薬を手に入れるために時間を費やすことで、彼の妹の病状が手遅れになってしまうことだって考えられる。
「そんな…… それじゃあオレ、どうしたら……」
ざっと事情を説明すると、ベックは両目にじわりと涙を滲ませて俯き、掠れた声でそう呟いた。
「こんな子供からお金を騙し取ろうとするなんて、許せません!」
クラリスが珍しく強い口調で怒りを顕にしている。
彼女もムラーノ伯爵から騙し取られたもんな。桁が6つか7つほど違うけど。
「シモン、何とかしてあげられない?」
「これも乗りかかった船というやつです。シモンさま」
パトリシアとアナベルがそう言い、他のみんなも口々に賛成する。
言われるまでもなく、こんな話を聞いたあとで知らないふりなんかできないよな。
「霊薬の件はひとまず置いて、フロリーの治療ができそうかどうか診てみよう。ベック、案内を頼むよ」
僕がそう言うと、女性陣から一斉に歓声が上がる。まるでもう問題は解決したと言わんばかりの喜びようだ。早い早い、まだ気が早いよ。
一方ベックは、キョトンとした顔でそれを見ていた。
「お兄ちゃん早く早く、こっちだよ!」
僕はベックに手を引っ張られ、小走りで道を急ぐ。
妹の治療ができるかも知れないと聞いて、ベックは途端に元気になった。
それは良い事なんだけれど、これでもし治せなかったらどうしようかと不安にもなってくる。プレッシャーかかるなぁ。
大雑把に彼の家の場所を聞くと、どうもこの前ラゲドファミリーとか言うストリートギャングに絡まれた通りの近くのようだ。ちょっと心配になったので今回は僕ひとりで行こうかと提案してみたところ、すぐに却下された。
せめてシャルとグスタフさんだけでも戻ってもらいたかったんだけど、シャルは一緒に行くと言って聞かないし、グスタフさんまで見聞を広げるのは良い事だ、なんて言って止めてくれない。なんだかんだ言ってシャルには甘いんだよな、グスタフさんって。
それで結局、全員で一緒に行くことになってしまった。大丈夫かな?
しばらくして辿り着いたベックの家は、まるで廃屋のようだった。いや、もしかすると実際そうなのかもしれない。
扉代わりの板切れをずらして中に入るベックに僕たちも続こうとすると、グスタフさんがそれを押し止めた。
「感染する病かも知れん。まずは私とシモン殿だけで入ろう」
「……あ。そ、そうですね」
確かにそうだ。みんな……特にシャルに病気がうつったりしたら大変だもんな。
あれっ? それじゃあグスタフさんはいいんだろうか? ……って言うか僕は?
とは言えこんな所で迷っていても始まらないので、意を決してグスタフさんと家の中に入る。
すると奥の部屋の粗末なベッドに、小さな女の子が横たわっていた。この子がフロリーだな。僕たちの入室に気付いているようだけれど反応はなく、ぐったりとしている。亜麻色の短い髪が汗でべっとりと額に貼り付き、顔色も良くない。
グスタフさんは躊躇うこともなく彼女の傍に歩み寄り、うっすらと開いた瞼から瞳を覗き込んだり首の辺りに指を添えたりしている。
触診かな? グスタフさんには医学の心得があるんだろうか。
「おそらくアデル熱の一種だろう。感染力の低い病だが致死性は高い。この子の症状はかなり進んでいるようだ」
「……! で、でも治せるんだろ、お兄ちゃん。頼むよ、フロリーを治してよ!」
「心配いらないわ。シモンさまに任せておけば大丈夫よ」
ベックの叫びに答えたのはシャルだ。
彼女だけじゃなく、いつの間にかみんな部屋の入口に揃っている。外で待っているよう言ったのに。もし感染力の高い病気だったらどうするんだよ。
そしてシャルもグスタフさん同様、迷いなくベッドに横たわるフロリーの枕元へと近寄り、そこですっと腰を落とした。
「可哀想に、辛かったでしょう。でももうすぐに良くなるわ」
シャルが囁くようにそう言うと、それまで焦点の定まっていなかったフロリーの瞳が驚いたように大きく見開かれた。
「……お兄ちゃん、たいへん。天使さまが見えるよ。……あたし、死んじゃうの?」
それを聞いたシャルの顔が、ボンッと音が聞こえそうなくらいの勢いで真っ赤に染まる。
そりゃまあ、天使と見間違えられちゃあね。
「わ、私は天使じゃないし、あなたは死んだりしないわ。だって、シモンさまがここにいるんだもの」
「シモン……さま? お医者さま?」
「いいえ。でもシモンさまは、お医者さまの治せなかったお爺さまと私の病気を治してくださったのよ。だからフロリーの病気だって、必ず治してくださるわ」
今度は僕が赤面する番だ。
確かにシャルと皇帝陛下の治療はしたけれど、僕が来たからもう大丈夫とか、それはちょっと持ち上げすぎだろう。
「……痛くしない?」
「平気よ。私は全然痛くなかったもの。さぁ、目を閉じて」
「うん」
そうしてフロリーはさっきまでよりは幾分か穏やかな表情で目を閉じて、シャルとベックが縋るような目で僕を振り返る。
グスタフさんはそれを微笑ましそうに見やり、部屋の入口ではパトリシアたちが何も言わずに大きくひとつ頷いた。
誰も僕がフロリーの病気を治せるかどうかって点を心配してない感じだな。まあ僕だって、失敗するつもりはさらさらないけどね。
さて、それじゃあひと仕事、片付けましょうか。
みんなの注目を集めながら僕はフロリーに近寄り、そっとその手を取って呟く。
……〈ゴーレム作成〉。




