序《言葉の呪い》
「かなり、遠くまで来たね」
彼女はそう言って、両腕を広げ仰ぐように大きく息をした。
歩いて、歩いて、二人きり
誰もいないこの緑の丘の上は、この世界で唯一外のしがらみの及ばない空間。このあまりにも窮屈な世界に残された最後の隠れ家である。
ゆるく暖かな風が吹き、木々の枝葉を鳴らす音がする。
「このまま、ずっと遠くまで。誰もいないところまで行けたらいいのにね。」
彼女の口からこぼれた言葉は、そんな音に紛れるようにか細かった。
思えば、それが彼女の溢した最後の弱音だったのかもしれない。
英雄なんかじゃない。たった一人のちっぽけな少女に戻るための最後の弱さ。
しかし、その言葉が拾われることはなかった。
ただ、黙りこくった木々と風の音だけがしていた。
残酷な沈黙。
彼女はそこに、すべてを理解したようだった。
「ねえ、キザキくん」
彼女は遠くを見つめる。
こちらに、強く背中を向けて。
「キザキくんは、どこに行きたい?」
俺は
俺は、あなたの隣がいい
あなたの"行くべき場所"に行きます
彼女の肩が小さく震えたような気がした。
「そう」
また、風が吹く。
彼女は両手を開き、自分の頬を叩いた。
「そう、だね」
振り向いた彼女は、いつもの彼女に戻っていた。
強く、一人の少女の抱くには強すぎる光を称えた瞳。
「じゃあ、私はキザキくんを連れていける場所に行かなくちゃいけないね」
いつもの彼女。誰もが信じ、誰もを導く笑顔。とても眩しい、太陽のような笑顔。
「帰ろっか」
そして彼女は踵を返し、自らの足で歩くのだった。
また、誰かの待つ世界へ。
万人の掲げた理想をその背中に負って、終わらない争いの中へ。
そして彼女は、二度とあの寂しげな表情を見せなくなった。
二度と、あの場所を訪れなくなった。
あの結末を迎える、その瞬間まで。
ver5.0.0
これは、誰かの理想の中でしか生きられない、誰かの物語。
堅く閉ざされた、狭い箱庭の物語。
次回から本編スタート。世界が閉じられる前日からの物語になります。
ver5.0.0、お付き合いおねがいします。