表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/5

第2話 恋なんてしない

北村耕平(大学一年・いて座B型)


 でっかいパフェをつつく手を止めて、あかねさんは思いっきり怪訝な顔で、

「は?」

 と言った。

「聞いてなかったの? 俺の話」

 俺の声をさえぎって、あかねさんは、

「ふざけんな」

 と言い返してきた。

 あかねさんはサークルの先輩で、俺の姉貴分みたいな存在。でも、本当は同い年だ。俺が浪人で彼女が現役だから、仕方なく彼女が先輩で俺が後輩。帰る駅が途中まで同じなので、サークルの帰りにこうしてお茶を飲んだりすることがある。ちょっと口は悪いけど元気で明るくていい人だ。

「そんなにチャラめかして、何が…」

「チャラめかすって、何語だそれは。人を見かけで判断しちゃいけないんだぞーって、小学校で習わなかった~?」

 あかねさんは俺の発言が納得いかなかったらしい。俺はもう一度言った。

「だからー、俺は恋愛不信という、かわいそうな病気なの」

 確かに俺は髪を肩より長く伸ばして後ろで結び、ちょっと派手めの着こなしをしているかもしれない。でも、これ見よがしな高級ブランドに身を包んでいるわけでも、派手な金属をジャラジャラ身につけているわけでもない。あかねさんに「チャラめかして、何が恋愛不信だ」なんて言われるほど女の子に媚びたおしゃれをしているわけじゃない。

 あかねさんがまた何か言い返してきそうだったので、俺は先手を打った。

「早く食べてよ、そんなでっかいパフェ頼んで。太るよ」

 まあ、あかねさんはちょっと太った方がいいような気もするけど――と思った途端、反撃がきた。

「うるせえ、プリンアラモード男。でかくたって勝手でしょ、ワリカンなんだし」

 男がプリンアラモードを頼んだからって、それをどうこう言われる筋合いはないが、言われるとなんだか猛烈に恥ずかしくなってくる。「このスイーツ男子め」とか、可愛らしくは言えないのだろうか。

 あかねさんがパフェを食べ終えて、少しして俺たちは駅ナカの喫茶店を出た。

 あかねさんは白いTシャツにあっさりした柄のシャツを着て、ジーパンにスニーカー、ちょっと高いところで結んだだけの髪といういでたちがすごくシンプルでいいと思う。媚びないスタイルとおおらかなハート、それから冗談好きで口の悪いところがとても親しみやすい。唇のななめ下にほくろがあって、飾りっけのない彼女の唯一のアクセサリーみたいになっている。

「だいたいアンタ、先輩に向かって横柄よ、横柄! タメ口だし」

「それはたまたま浪人のせいで~。俺の方が、ンヵ月も年上じゃない」

「るさい、学年の差は立場の差だ!」

 そんな会話をしながら俺たちは歩いた。あかねさんはさも先輩風を吹かすかのような口をきいているが、本当のところは先輩たちの中で一番先輩ヅラをしない人でもある。俺のほか、サークルの連中皆があかねさんにはタメ口をきいている。

 あかねさんが黙って俺の顔をまじまじと見たので、俺も視線を返した。あかねさんは喫茶店の続きを話し始めた。

「でさ、…なんで? 女の子がキライ…なんてさ」

 別に隠すほどのことでもないので、俺の恋愛不信の原因を話すことにした。

「あらためて考えてみると…大したことじゃないんだけど。中学の時、好きになってくれた子がいたんだよね。女の子に好かれたのなんて初めてで嬉しかったけど、付き合うとかそういうのもよくわからないし、気重にも感じて、なんかそのまま卒業しちゃった。でも、その子がさ――高校一年と二年の間であった中学の同窓会に、途中までカレシについて来てもらってて…やっぱ気になるでしょ? 好きってわけじゃなくても」

 あかねさんは黙って聞いていた。

「女の子たちが、そのカレシといつから付き合ってるんだーとか話してたのを俺もさりげなく聞いてたよ。そしたら…」

 ちょっと明るめにため息を吐いて、俺は言った。

「高校一年の春から、だってさ。カレシと付き合い始めたの。卒業式にボタンもらいに来てさ~。絵葉書なんか届いてさ~。その春のうちに。そりゃあ永遠に忘れてもらえなくても困るけど…でもさ、やっぱ、なんか…そんなにあっけなく、忘れちゃうものなのかな~って、思ってさ」

『去年の春から付き合ってる』…そのセリフが今でも心に小骨みたいに胸に刺さっている。彼女の気持ちに返事をしなかったのは自分だけど。そして返事は多分「NO」だったんだけど。

 でも、勝手かもしれないけど…、その春のうちに忘れてしまうなんて、すぐに他の男と恋を始めるなんて、その程度だったのかなと思うとすごくガッカリするし、本当に一生懸命思ってくれたのならそんなに簡単に消えてしまうんだなと思う。人を好きになるのも人に好かれるのも、一生懸命になったら自分が虚しくなるだけな気がする。

「だからね、『女の子』は好きだよ。ただ…恋なんて、したくないんだ」

 俺はずっとそう思ってきたし、実際に恋をしなくてもなんの差し支えもなく今日までを元気に生きてきた。明日壊れるかもしれないものを一生懸命作るのはバカバカしい。

 あかねさんは横目で俺を見上げ、それからしばらくして目を伏せて、囁くような声になって、

「あたしでも…ダメなの?」

 と言った。俺は猛烈に怪訝な顔をしてやった。

「…なんのつもり? カレシもちの、川崎あかね先輩」

 そう、あかねさんには柏木先輩というカッコいい彼氏がいる。うちのサークル公認のゴールデンカップルで、誰にも崩せない鉄壁の愛情と信頼を誇っている。本当に、悪趣味な冗談ばかり言う。困った人だ。

 あかねさんは憮然として、

「だって、なんかそういう展開を世間が求めてる気がしたんだもん」

 と口を尖らせた。たしかに漫画だったらそういうシーンかもしれないけど。あかねさんのこういう態度は、自分に絶対無敵の彼氏がいて誰一人としてカンチガイしようがないからこそできる、ある種の傲慢に過ぎない。この人には弱味なんてあるんだろうか。

 そして、あかねさんは何の感想を差し挟まないような何にもない表情で俺に言った。

「でも、アンタもかわいそーなヒトだね。恋するより先に失恋しちゃうなんて…」

 何を言ってるんだこの人は。なんで、俺が失恋したことになるの。失恋っていうのは、恋が叶わなかったことを言うんじゃないの。あるいは、恋が壊れたこと。俺は、今までに好きになった女の子なんて一人たりともいない。失恋なんか、できるはずがない。

「…失恋?」

 その言葉を口に出して、確かめるように頭で繰り返してからあかねさんを見た。彼女はからかったりふざけたりする顔でなく、本当にまっさらな表情をしていた。

「俺は、別に、彼女のことは何とも…」

 言い返そうとしたら、あかねさんの言葉が続きをさえぎった。

「それでもよ」

 九月が終わって十月に入ったばかりの季節はまだ暑くて、でも日が落ちかけた夕暮れは間違いなく秋の色をしてあかねさんの顔を金色に照らしていた。あかねさんの栗色の髪は金色の光の輪を浮かべていて、十九歳…十代最後の済んだ瞳も茶色の中に金色をたたえていた。

 失恋…

 女の子はやっぱり綺麗だなとあかねさんの顔を見ながら思い、それから「失恋」という謎の言葉を謎の呪文のように反芻した。あかねさんの声が金色の空気の中を流れてきた。

「好きな人を求めるのが恋なら、『自分を好きでいてほしい』っていうのも恋みたいなものだと思わない? …その子が自分を忘れてしまったことで、アンタが恋愛不信になるほど傷ついたなら、相手の恋を失うのも、失恋…なんじゃないかな」

 女の子が好きになってくれたのは初めてだった。嬉しかった。どうしたらいいかはわからなかったし、その子のことも好きだと思うことはなかったけれど、とても嬉しかった。それまで自分は地味でさえない奴だと思っていたし、おしゃれなんかしてもみっともないだけだと思っていた。でも、俺を男の子として見てくれて、好きになってくれる子もいるとわかった。嬉しくて、そして、だから服装とか、髪型とか、ちょっと気にするようになった。

 自分が変わると、周りも変わった。自分の性格も明るくなったと思う。男女問わず友達も増えたし、一応は先輩という立場の女性であるあかねさんに対してもこうして図々しくフレンドリーにしていられる。今の、こういう自分をちょっと気に入っている。彼女が好きになってくれたから今の自分があると思ってもいるし、だから彼女には感謝している。

 でも…たった一つ、心に残った棘…。「去年の春から付き合ってる」…自分を変えてくれた彼女の恋は、そんなに簡単に捨ててしまえるものだったのか…そう思うと、浮かれた自分がバカみたいにも思えて…。

 一生懸命、あかねさんに、

「そんなの、へ理屈だよ」

 と反論してみた。でもその言葉には力がなくて、なんだか遠い目をしている自分がいた。脳裏には中学の頃の光景が巡っていた。言葉とは裏腹に、心の中でわだかまっていた何かが、「失恋」のひと言でとけていくのを感じた。

 失恋か…

 ぼうっとしていると、横で何やら恋愛論的なものを一生懸命まくし立てていたあかねさんが俺の前に回り込んできて、ちょっと怒ったような顔で両手を腰に当て、のぞき込むように俺を見上げた。

「ちょっと、きいてんの? 人がいろいろ考えてあげてるのに」

 まるで電気が流れるみたいな感覚があって、俺の心に回路が復活した。死んでいた部分が動きだしたのを感じた。

 恋…かぁ…。

 失恋、きっとそうなんだろう。俺は、彼女に、俺のことを好きでいてほしかった。その思いが裏切られて、喜びが砕けて、だからずっと傷ついていた。恋の喜びが失われた苦しみなら、それは失恋だったんだろう。

 納得したというより、ほとんど無理やり説得された気分だった。目の前の、同い年の、でも姉貴みたいな顔で俺を見ているこの女の子に。…いや、まるめこまれた、と言うべきかもしれない。彼女の強い瞳に抗うすべをなくしている自分が、今、ここにいた。

 そう、今度はちゃんと、恋をすることでも始めてみよう。屈折した失恋なんかしないように。せめてちゃんとした失恋くらいできる恋を…。

 そして…できればその相手は、相変わらず俺の横で勝手な憶測をまくし立てている、この先輩ヅラした女の子であってほしくはないのだけれど…。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ