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樹の、落ちる空に  作者: (せ)
7/26

2.3

 きょうは朝から気分がいい。

 からだに纏わりつく爽気が心地よい目覚ましになったのだ。

 となりのベッドはもう空になっていた。寝室の外からは、聴覚検査の機械で聞かされるような周波数の高い音が細く聞こえてくる。

 きょうも春樹は早くに目が覚めて、見もしないテレビをつけたままソファーで安らかにうたた寝をしているのだろう。

 リビングに行くと、テレビは静かに朝のニュースを映していて、春樹はその前のソファーでほうけていた。

「おはよう、春樹」

「おはよう」

 眠り目でこちらに振り向いた春樹だったが、わたしがよほどすがすがしい表情をしていたのか、なにか感づいたようにすぐ刮目した。

「なんだか機嫌がいいね」

「夢のなかでも春樹は同じことを言っていたわ」

 春樹は、今朝はぼくも気分がいいからたまには朝食でも食べようかな、と調子をあわせてくれた。

 微弱な電子音を発生させていたテレビを消した春樹は、水を汲みにキッチンにきたわたしをカウンター越しに見つめた。

「どんな夢を見たんだい」

「幸が恋人になった旅行の夢」

「珍しいね」

 珍しいことではなかった。

 何度か同じような夢を見たが、幸への罪悪感からかそのほとんどが悪夢だったのだ。

 あまり思いだしたくないことを夢で見せつけられるのは正直つらかったが、春樹にまで陰鬱な気持ちを伝染させるのはいやで、夢を見ても話さずにいたのだった。

 コップに三分目まで水を注ぎいれ、一気に飲みほす。

「ねえ、きょうはお休みだし、どこかに行かない?」

「それじゃあ幸くんたちを誘って海にでも行こうか」

 春樹の悪い冗談に二人して笑った。

「もうこりごりよ」

 それじゃあ近所を散歩しよう、という安直な提案にわたしは諸手を挙げて賛成した。


 普段は白い通りも、この時季は朽ち葉の色に染まっていて、一足ごとの歯切れよい葉音は耳に心地よかった。

 高い空に眼を投げると、途方もない碧瑠璃に吸い込まれそうになる。

「上を見ながら歩いてると転ぶよ」

「大丈夫、つまずいても春樹がささえてくれるから」

 仰いだまま、春樹を探って左手を右往左往させていると、先に春樹の大きな右手がわたしの手を捕まえ、柔らかく包みこんでくれた。

「ありがと」

「どういたしまして」

 首の角度を少し変えると、秋空が春樹の顔に隠れる。

 わたしより顔ひとつぶん背の高い春樹と、目が合う。

 春樹はいつも笑っている。

「公園でひと休みしたら詩織の実家に行こうか」

 春樹はとても気がきく。

 うちに行こうと言うのも、たぶん、そろそろお昼だからだ。

 春樹はお昼を食べない。お店に入っての外食になると、わたしが落ちついて食事をとれないだろうと、気をまわしてくれたのだ。

「うん。それじゃあ、うちに行こう」

 春樹に強くもたれる。

 わたしは、これだけできた旦那さんをもてたことを幸せに思う。

 どこからか、すすきのそよぐ音が聞こえてくるすがすがしい休日の空に、ひとことお礼を言った。

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