1.3
最近の目覚めのよさといったらない。
長いあいだ思い悩んでいたことがさっぱりと解決したように心が軽い。そのためか寝つきがすこぶるよく、相乗作用でまたあくる朝は目覚めが快い。
とりわけ今朝の目覚めがすばらしいのは、祝日で学校が休みという理由にほかならない。
寝覚めからかれこれ数十分は経ったのだろうが、まだベッドのなかで目を閉じている。
朝の光がまぶたの裏に映しだす、つかみどころのない紅白の風景をずっとみている。いましがたまでは彼方まで見通せた浅紅が、今度はか黒く柔らかい景色に豹変する。おぼろな世界は、刻一刻と形様を変化させた。
この心地よい感覚は、日暮れ時に詩織の部屋で味わえるものに似ている。
詩織はいまどうしているんだろう。
詩織に会いに行こうか。
ゆっくりと目を開く。
途端、まぶたの細い隙間から部屋に充満する光と空気が吹きこみ、眼前で繰り広げられた夢の世界は忽然と実体をなくした。かわりにうす明るい六畳間の天井が現れる。
ゆかに足をつき、思いきって立ちあがる。
薄い窓のむこうから、庭のもぐらよけにと父さんが取りつけた、ペットボトル風車の乾いた音が聞こえる。少し風があるのかもしれない。
身支度を整え、外に出る。
さっきのは気のせいだったのか、そこには風のない静かな祝日の朝があった。
ぐんと伸びして、心も軽く歩きだす。
詩織の家は、通学路を途中で逸れて脇道に入り、そこを抜けて大きな街路に出たところにある。そのあたりは大きめの家ばかりが建ち並ぶ住宅街なのだが、詩織の家もまあ劣ってはいなかった。
「幸ッ」
突然の呼びかけに身がすくむ。弾んでいた踵は、びたと地面に張りつけられた。いままさに脇道に入ろうとしたそのときであった。
短く深呼吸をして、うしろを振りかえる。
そこには、背丈は自分と同じくらい、目元が凜々しく生き生きとした少年がつっ立っていた。
「やっ、幸」
ひとの寿命を無造作に数秒は縮めてくれた憎むべき犯人は、ん、と首を傾げる。
罪がない表情の少年に大息が漏れる。
隼太の短所は、決して責められない悪意なき悪行をとって、それに何かとぼくを巻きこむところ。そして、そんなことが日々尋常でなく多いというところだ。
「朝から大声だして脅かすなって」
隼太は、おや、という顔をする。
「おれ、家からずっとうしろをついてきてたのに。もしかして幸、全然気づかなかった?」
その言葉に唖然となった。
まさか幼なじみに尾行癖があったとは。
いや、詩織に会うことに弾みすぎていて、気がつかなかった自分に問題があったのか。
「家から出てきたところで、すぐに声をかけてくれたらよかったのに」
ふと、ここまでの道のりを思いかえす。
「隼太、もしかして」
相当浮かれていて、無意識にスキップでもしていたかもしれない。だとすれば、ひとり浮かれ調子の友人に隼太も声をかけづらかったに違いない。
「もしかして、飛んだり跳ねたり、してた?」
これに対し、したり、と隼太が顔に表したのを見て、ああ、なにかしくじったことを言ってしまったのだなと感じとった。
「いや。でも、すっごくウキウキしてた。やっぱり、いまから詩織さんの家に行くんだろう」
ああ、やはり失敗した。
一体どういう神経をしているのかわからないが、隼太はどんなときでも、というのはつまり彼女に会いに行こうというときにさえも、必ずくっついて来たがるのだ。
詩織さんってかわいいよな、なんて平気で言ってきたり、あまつさえ、相手がいなかったら彼氏にしてほしかったのに、なんてことまで言ってくる。
「さ、幸。早く行こう」
もう行く気に満たされた隼太は止められない。なんだかんだで、こうやって二度に一度は隼太と一緒に行く羽目になってしまうが、それなりに楽しいのでよしとしている。
「詩織さんだって休みなんだから、早く行かないと出かけちゃうかもしれないぞ」
こう言った隼太はすでに背をむけて小道に入りかけていた。
はたと曜日を思いだす。きょうは水曜日だから、急がなければ本当に隼太の言うとおり出かけてしまうかもしれない。
それというのも、詩織の仕事は割と時間の自由が利くようで、休日でなくても水曜日はときどき仕事を半日休んでどこかに出かけてしまうということを知っていたからだ。
「隼太、急げ!」
先行く隼太の手を掴まえ、猛然と一歩を踏み出した。が、掴んだ手が一瞬怯んだ気がしたかと思うと、追い越したそのうしろで隼太の動きがぴたりと止まった。
予想外の出来事のうえ、ことのほか強く握っていたらしい右腕は後方に引っぱられ、体が前のめりになった。
「隼太?」
振りかえって見てみると、どうしたわけか隼太は気抜けした表情をしている。
「おーい、どうしたんだー」
軽い調子で笑いかけ、離した手を顔の前でひらつかせると、隼太は、なんでもない、と表情なく歩きだした。
最近、隼太の考えていることが本当にわからなくなるときがある。




