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十五年間影で王太子殿下を支えていましたが、婚約破棄されたので今さらですが学校に入学します

掲載日:2026/07/10

 シャンデリアの輝きよりも華やかなエミリオとディライラが腕を組んで歩くのを、会場にいた紳士淑女たちが遠巻きに見つめている。二人が躊躇うことなく真っ直ぐこちらに向かってくるのを、フィラーレは諦めとともに足を縫い止められたように立ち竦んでいた。


「フィラーレ・ラロケット。俺はお前との――」

「お待ちください!」

 王太子であるエミリオの言葉が遮られて、その場にいる全員に緊張が走る。見ればユーイング公爵が血相を変えて駆け寄ってくる。

 差し出口を挟まれたエミリオの表情だけでなく、纏う空気までもが一気に冷えた。重々しい雰囲気に飲まれながらも、貴族たちは興味津々の視線を注いでいる。


「お待ちください、エミリオ殿下。どうか我が屋敷での騒動はお控え願いたく」

「俺に指図するな」

 腰を低くするユーイング公爵を、エミリオは頭ごなしに叱りつけた。彼にとってユーイング公爵は大叔父に当たる。無論地位としては王太子と公爵家当主という間柄だからエミリオのほうが上ではあるが、血縁関係でいえば敬うべき存在であるはずなのに。


(いつからエミリオ殿下はこんなにも傲岸不遜になったのだろう……)

 ユーイング公爵を見おろしていた視線の照準がフィラーレに移され無意識に背筋を伸ばす。エミリオの評価と決断を受け入れるために。


「フィラーレ、俺はお前との婚約を破棄する。そしてディライラとの婚約を国王陛下に願うつもりだ」

 エミリオの決意表明と同時に、左手首の金の腕輪の宝石がピシッと鋭い音を響かせて亀裂を刻み、その衝撃にフィラーレは一瞬薄茶色の瞳を伏せた。十五年ぶりに自分の体の中を、本来の膨大な量の魔力が通い始めるのがわかる。忘れていた感覚に思わず目眩を起こして足元がふらついた時、しっかりと背中から抱きとめられた。

 驚いて振り向こうとすれば目の前に影が差して、背後だけではなくエミリオとフィラーレの間にも誰かが立ってくれたのだと気づく。


「お話はお済みになりまして? エミリオ殿下」

「下がれ。アンジェリン!」

 フィラーレを背に庇ってくれたのは王妹の娘であるアンジェリンだ。エミリオの従姉妹の彼女は王太子の強い語気にも動じることなく優美に微笑む。

「お断りいたします。公衆の面前で婚約破棄を言い渡すなんて正気の沙汰ではございませんもの」

 アンジェリンの唇は弧を描いたまま、ディライラへ冷ややかな視線を送る。

「最近、市井では婚約破棄の恋愛小説が流行しているとか。王太子殿下ともあろうお方までもが感化されたのかしら?」

 アンジェリンが()めつければ、どこか芝居がかったようにディライラは体を震わせて俯いた。


「黙れ! 口が過ぎるぞ」

 エミリオはアンジェリンを怒鳴りつけ、ディライラの肩を抱く。ふわりと彼女の黄金がかった桃色の髪が揺れた。エミリオの胸に手を置き頬を寄せて二人は一つになるように重なる。

 そんな親密な様子に胸が痛まなかったわけではなかったが、フィラーレは目を逸らさなかった。背後で護るように寄り添ってくれるランダルの存在が心強かった。昔からずっと彼は気遣ってくれてきた。


 なによりこのような事態になり得る道を選択したのはフィラーレだった。


「俺はこの婚約に不満だった。なぜこんな魔力の少ないフィラーレが隣にいるのかと!」

 フィラーレは思わず肩を揺らしてしまうものの、エミリオを見つめる。幼い頃の面影は残っているのに睨みつけられる瞳は鋭く、知らない他人のようだ。

 ふいに左手に温もりを感じて僅かに落とした視線で確認すると、腕輪の宝石に走った亀裂に呼応するように甲に一筋の血が滴っており、ランダルの手が労るように添えられている。


「おまけに王妃教育も滞っている始末だ。出来損ないに王太子妃は務まらない。比べてディライラは癒やしの力を持ち王立学校を次席で卒業した。まさに我が妃に相応しい存在ではないか」

「この馬鹿王子が」

 アンジェリンは口の中だけで吐き捨てたがその言葉はフィラーレに聞こえたし、おそらくランダルの耳にも届いたらしい。彼の指先がぴくりと動くのを左手に感じた。


 フィラーレがエミリオの婚約者として施される王妃教育は確かに予定より遅れていた。それには理由がある。だが当事者であるはずのエミリオは知り得ないことだった。なぜならフィラーレが望んだそれを国王も王妃も容認してくれたからだ。

 そしてフィラーレは王立学校に入学していない。貴族子女たちの大半が学び舎として通う王立学校に進学しなかったのは、王妃教育とそれ以上に大切な役目があり両立するのが不可能だった。

 しかしそれを説明する気はない。例え王立学校に行けたとて、エミリオより三歳年上のフィラーレは学び舎を同じにできなかった。


 今、できるのは潔く身を引くことだけ。

「エミリオ王太子殿下」

 フィラーレが声を上げるとアンジェリンが振り向いたので、小さく頷くとしぶしぶながらも前を開けてくれる。ランダルの指が一瞬だけフィラーレの指に絡んだが、それは意識する暇もないくらい刹那で、すぐに放れた。


 進み出たフィラーレは腰を低くして淑女の礼を取る。

「承知いたしました。エミリオ殿下とディライラ様のしあわせをお祈りいたします」

 胸が軋むのを感じたが想像以上ではなかった。いつかこんな日が来るかも知れないと思っていたからだろうか。


 フィラーレはラロケット伯爵家の長女として生まれた。王太子の婚約者としての家格はギリギリといったところだ。

 しかし姿は国の中枢に立つには地味であった。特に薄茶色の瞳と黒褐色の髪が華やかさに欠けていた。面差しは凡庸ではない。美貌とまではいかないが整った顔立ちは優しく穏やかで、親しみを感じさせるものである。


 ディライラは真逆の印象を持っている。祖父が叙爵されて貴族の一員となった彼女は、男性の注目を集める麗しい容姿をしている。それに加えて王立学校ではエミリオのクラスメイトで、三年間ずっと良きライバルとして切磋琢磨していたらしい。らしい――というのは伝聞だからだ。王立学校の生徒になれなかったフィラーレに事細かに学園生活を教えてくれたのは、エミリオではなくアンジェリンだった。


 ちなみに卒業試験は主席がエミリオで次席がディライラ、アンジェリンが三番だった。アンジェリン曰く「手を抜くのに失敗した」そうだ。王太子の顔を立てるために次席を狙ったが、エミリオとディライラが僅差で、結果として三位になってしまったらしい。「在学中の試験はすべて二位をキープしていたから油断したわ」と悔しさを滲ませることなく笑っていた。


 フィラーレが顔を上げると満足げなエミリオと目が合う。他人どころか石コロでも見るような蔑んだ冷笑を浴びせられた。

「ふん。わかればよい。後日国王陛下より沙汰があるだろう」

「申し訳ございません。フィラーレ様」

 ディライラが神妙な顔で詫びを口にしたが、歓喜で僅かに声を震わせているのを感じ取る。フィラーレが無言のままでいると、エミリオは忌々しげに舌打ちをしてディライラの肩を抱いてその場から去って行った。二人の煌びやかな衣裳が見えなくなってようやく呼吸を意識すれば、同時に激しい頭痛と吐き気を覚える。


「フィラーレ!」

「顔が真っ青だわ」

 ランダルとアンジェリンが側に来て体を支えてくれた。ユーイング公爵が慌てた様子で頭を下げた。

「申し訳ない、ラロケット令嬢。エミリオ殿下を止められなかったことを深く詫びる」

「とんでもないことでございます」

「それより大叔父様、すぐに我が家の馬車を」

「わかった」

 アンジェリンの指示にユーイング公爵はすぐに同意した。

「王城の馬車には帰っていただくように手配する」


 フィラーレはエミリオと婚約したその日に王宮に部屋を貰い、ずっとそこで暮らしている。

 今日の夜会も本来ならエミリオと出席する予定だったが、公爵邸で直接会おうとの彼の伝言を受けて一人で訪れた。

 結果としてディライラと同伴したエミリオから、婚約破棄を言い渡されてしまった。

 フィラーレとエミリオは最初から反目していた訳ではない。むしろ幼い頃は仲が良く、エミリオはフィラーレを慕ってくれていたし、彼女も淡い恋心を抱き、大切だと想い合う関係だったはず。


 しかしいわゆる思春期の頃から少しずつエミリオの心が離れ始めるのを肌で感じた。フィラーレの魔力を少ないことも理由の一つだろう。三歳年上というのも、年齢を重ねるにつれ鼻につくようになったのかもしれない。

 そして王立学校でディライラと出会ったことで、その溝はどうしようもないなほど大きなものとなった。美しく聡明な彼女に心まで癒やされ、エミリオは恋に落ちたのだ。


 ひと月前に卒業し、結婚式の日取りが正式に決められてしまう前に、エミリオはフィラーレとの婚約に終止符を打ちたかったのだろう。


 国王と王妃は一昨日から隣国の王の葬儀出席のために留守にしている。隣国の王は、王妃の父であり、エミリオの祖父でもあるがさすがに三人ともが出席する訳にはいかなかった。

 国王と王妃の子はエミリオしかおらず王位継承第一位で、そんな彼と国王夫妻になにかあれば一大事だ。


 それにこの国の王は他の国の王にはない役割があった。国の北東に位置する場所に魔獣が住む深い森が広がっている。そこには結界が張られていて、それを魔力で維持するのも国王の務めだった。王が病気や今回のように国外に出る場合は、王太子が代わりを担う。

 王族には神の加護があり強大な魔力を持つ者しか生まれない。それゆえに過去に一度たりともこの結界が破られることもなく、この国は発展を遂げている。無論、エミリオも並外れた魔力を有して、次代の王にふさわしいはずだった。


(どうなるのかしら、これから……)

 フィラーレにはもう予想はついているが、今は考えたくなかった。

 フィラーレの体に本来の魔力が流れていたのは五歳から六歳までの約一年間だけ。二十一歳になる十五年もの間、生まれる魔力は絶えず腕輪の宝石の中へ蓄えられてきた。

 腕の魔法具は、エミリオがフィラーレとの婚約解消を口にしたことで契約が絶たれ、宝石は砕けた。


 ユーイング公爵とアンジェリンが顔を寄せやり取りしている。今後のフィラーレの対応を打ち合わせているのだ。

 そろそろ体力的につらかったが、自分のために話し合ってくれているのを邪魔するわけにはいかない。

 フィラーレが頭痛でぼんやりする視界に映していると左手を取られた。

「ランダル様……?」

「傷が残らなければいいが」

 ランダルがポケットから出したハンカチを左手に巻いてくれる。痛みは一瞬だったし血は止まっているのに、心配されて少しだけ心が軽くなる。その安堵のせいか急激に体から力が抜けて、フィラーレは意識は暗闇に引きずりこまれてしまった。


 しかしフィラーレの意識はすぐに戻る。体が魔力の負荷に耐えられずに拒否反応を起こして、悪酔いに似た症状を誘発し頭痛と吐き気で目が覚めるのだ。それは慣れるしかないと、繰り返しアンジェリンが優しく教えてくれた。


 昼も夜も関係なく苦しむフィラーレの側には、ずっとアンジェリンがいた。そもそも婚約破棄をされて城での居場所を失ったフィラーレを保護してくれたのが、アンジェリンとその父であるクロスター公爵だった。

 三日三晩自分を苛む魔力をひたすら受け入れた。さいわい力が暴走してもフィラーレは魔法を習得しておらず、何かを傷つけることはない。


 その間に後処理の準備が整ったのだろう。

 四日目の昼にアンジェリンから「国王陛下から面会を申し込まれているわ。明日、お城に行けそう?」と聞かれて、静かに頷いた。


 夕方。フィラーレはサロンで本を読んでいた。子供用の魔法指南書であるが、さっぱり意味がわからない。

 体に魔力が循環しているのは理屈としてはわかるのだが認識はできなかった。人間が血流を意識できないのと同じ理論だ。

 眉を寄せていると、自身の上半身を覆い隠すほどの花束を持ったランダルが見舞いに来てくれた。

 花の種類は季節外れのものもあり、ランダルが魔法で咲かせたのだとわかった。特に初秋に咲く朝は純白、昼は鮮やかなピンク、夕方には深い紅色と一日で花片の色が変わる花がフィラーレは大好きだった。


「なにを読んでいたんだ?」

 手元を覗きこんだランダルは納得したように頷く。

「やっぱり興味あるよな」

 フィラーレは少し驚いてランダルを見上げた。

「エミリオ殿下が廃嫡されるかもしれないのに……わたしのことを薄情だと非難しないの?」

 もうエミリオに魔力を供給する手段がなくなりフィラーレの体内には力が充満しているが、アンジェリンの言う通り慣れたのか、そこまでつらくはなかった。いざとなれば刺繍をすればいい。

 刺繍だけが、フィラーレが力を扱うために教えられた術だった。だが今は針を持つ気にはなれなかった。


「非難されるべきはエミリオ殿下だ。フィラーレはなにも悪くない」

 本当にそうなのだろうか?

 エミリオには自分が必要なのだとフィラーレが最初から伝えておけば、こんな事態にはならなかったはず。それなのに自分の心の弱さから真実を告げることを拒んだ。


「人の心は縛れない。遅かれ早かれエミリオ殿下は君を裏切ったと思う。例え事情を知っていたとしてもいつかは見切りをつけたんじゃないかな」

 そう明言したランダルがはっと口を噤んだ。

「すまない。決して君に魅力がないとかではなく、私としては優しくて可愛いフィラーレではなく、ディライラ嬢を選ぶエミリオ殿下に共感できないというか――」

 滔々と語るランダルを呆然と見つめて、言葉の理解が追いついてきた途端フィラーレの顔が熱くなる。身の置き所がなくなって縮こまっていると、彼のほうも勢いのあまり口走ったであろう言葉に気づいて目を泳がせる。


「どうしたの、なにかあった?」

 のんびりとしたアンジェリンの声がいたたまれない空気に包まれていた部屋に響いて、フィラーレの体から力が抜けた。

「――いや。そろそろ私は帰る」

「さっき来たばかりでしょ」

「フィラーレは明日国王陛下と謁見するんだ。疲れさせたくない」

「そう」

 扉に体を向けたランダルが、思い出したように振り向いてフィラーレに笑いかける。

「謁見には私も同席するから」

 言外に大丈夫だと言われた気がして思わず胸を押さえて頷き返せば、彼の笑みが一層優しくなった。



※※※



 フィラーレが謁見の間に入ったのは十五年ぶりだった。

 その時と同じように壇上には王と王妃が並んで座り、左側には魔術師の重鎮たちがいる。

 違うのはフィラーレの隣に父はいないこと。そして右側にはエミリオとディライラ、少し離れて宰相とその嫡男であるランダルが控えていた。


「国王陛下」

 まだ王が口も開かぬうちにエミリオが声を上げる。王が微かに眉をしかめるのを誰もが見逃さなかった。場の空気が纏わりつくかのように重いものへと変わるが、気にする様子もなくエミリオが続ける。

「どうしてフィラーレ、いやラロケット伯爵令嬢がいるのですか。私とディライラとの婚約締結の場ではなかったのですか?」

 少し早口になっているのは、今さら王にフィラーレとの婚約破棄を覆されるかもという焦りかもしれない。

 内容ではなく、王の不興を買うエミリオの言動に耐えられなくて、フィラーレは耳を塞ぎたくなった。


「口を慎め、エミリオ。心配せずともそこのマーシル子爵令嬢との婚約は認めてやる」

「ありがとうございます」

 エミリオが安堵したように目礼する。それを見た王が諦観の表情を浮かべるも、すぐに消し去り魔術師長に視線を向ける。

「報告を」

「かしこまりました。今朝のエミリオ殿下の魔力量は約半分でございます」


「なっ……!?」

 エミリオが信じられないばかりに目を見開き、隣のディライラもほぼ同じ反応だ。

 王は真っ直ぐにフィラーレを見ながら再びその口を開く。

「エミリオには聞こえなかったようだ。もう一度」

 王妃が耐えられないとばかりに扇で顔を隠したのを見て、フィラーレの胸が痛んだ。


「エミリオ殿下の魔力量は平時の約半分――今も減り続けているでしょう」

「魔獣の森の結界維持は?」

「――残念ながら」

 魔術師長が小さく首を振るのを目の当たりにして、ようやく理解が追いついたのかエミリオが勢いよく立ち上がった。椅子が倒れて、ディライラが小さな悲鳴を上げたが気遣う余裕もなく声を張り上げる。

「そんなはずはありません!なにかの間違いだろう、ふざけるな!」

 弁解し、魔術師長を責め立てるエミリオを無視して、王は静かに言う。

「なぜフィラーレとの婚約を破棄した」

「それは」

 エミリオは言葉を詰まらせた。


「マーシル子爵令嬢が運命の相手だとでも思ったか。愚かな」

 たとえ父の言葉でも看過できなかったのか、エミリオが必死の形相で食ってかかる。

「どうしてそんなことを言うのですか!()()()はなにもできないが、ディライラには癒やしの力があるのです!公務で疲れた私を回復させて支えてくれた!」

 〝なにもできない〟何度か聞かされたその言葉に、フィラーレの胸の奥が痛んだ。

 その責めにランダルが腰を浮かせたのが、視界の端に見える。素早く宰相に肩を押さえられて、しぶしぶ椅子に座り直したのが確認できた。


(ランダル様……わたしは大丈夫)

 届くことはないがフィラーレは心の中で呟いた。

「支えてくれた、か。魔術師長」

 王の指示に魔術師長が席を離れ、フィラーレに一枚の紙を手渡す。見覚えはないものだったが、一番下の拙いサインを見て思わず口を覆ってしまう。


「ラロケット嬢。読み上げてくれまいか」

「はい」

 紙を持つ手が震えるが深呼吸をして動揺を払い、王の命に従う。


『フィラーレ・ラロケットは、その命が尽きるまでエミリオ・アレウトへ力を供する。


ただし、エミリオ・アレウト自らがその権利を放棄した場合、この限りではない』


 文言の下、なにもわからずにただ父に言われるがままに、六歳のフィラーレが書いたサインがある。

「……それは一体」

 力無く呟いたエミリオだったが、真っ青な顔色でオロオロするディライラを見て我に返ったらしく、裏切られたかのような視線でフィラーレを睨みつけてきた。

(エミリオ殿下……)

 そこまで疎まれる理由がわからず怯んだフィラーレを慮ってか、王の声が響く。

「お前は仮死状態で生まれてきた。この話は覚えているか」

 不意を突かれたもののエミリオは王に向き直り頷いた。

「はい」

()()()()()()()()のは王族が持つ強大な魔力のおかげだ」

「どういう、ことですか」

 少しずつ状況を把握しはじめたのか、エミリオの気勢が弱まりつつある。


 扇の影で泣いているのだろう、肩を震わせている王妃の肩を王が抱く。フィラーレは、これが愛し合う夫婦の姿なのだと羨望の思いで見つめ、瞳に焼きつけた。

「お前は無意識に魔力を生命維持に使っている。生きるために必要だからだ」

 エミリオだけではなく、列席する魔術師の何人かも衝撃で動けなくなる。これは王家でも秘匿で、知る者はごく僅かだ。


「そんなことがあるはずは……」

「無意識だと言っただろう」

 唇を震わせるエミリオを一瞥して、王は続ける。

「王位継承権を失わないようにラロケット嬢に魔力提供を願った。」

 エミリオ自身の魔力は生命維持に。

 フィラーレが供した魔力は結界維持に。


 エミリオとディライラが同時にフィラーレを見た。二人とも信じられないと表情が語っている。口に出さないのは、王の言葉だからだ。もし魔術師長かフィラーレが説明していたなら、即座に突っかかってきたかもしれない。

「唯一ラロケット嬢がお前の魔力と共鳴した。だからラロケット嬢に魔法の基礎も教えぬまま力を溜める魔法具を装着させた」

 フィラーレは左手首に触れる。魔法具の宝石がつけた甲の傷はきれいに治っていたが、長年の装着痕は消えていない。


「まさか魔法具から私に魔力を転送……?」

 エミリオの的外れの推量に王だけでなく、魔術師たちも溜息をついた。ディライラまでもが小さく首を振っている。

 フィラーレも僅かに視線を落とす。たとえ魔法具を使っても直接魔力を送ることなど不可能だ。魔法の知識が乏しいフィラーレでも知っている常識だった。


「お前は一体学校でなにを学んだ?」

 王の問いはこの場にいる全員の疑問だ。それほどまでにエミリオが混乱しているのか、それとも――。

「『王太子の印』」

 悄然と俯いていたエミリオが勢いよく胸元を探る。取り出したのはフィラーレの魔力がこもった宝石を精緻な意匠で象った宝飾品。

「毎日取り替えさせておりました。まだ半分も残っているとは……」

 魔術師長の言葉に王は一瞬だけフィラーレを顧みた。


「そんなまさか……」

「その〝まさか〟だ。肌身離さず着けていた()()からお前はフィラーレの魔力を受け取っていた」

 小さく唸りながらエミリオが膝から崩れ落ちる。椅子を倒していたので地面に座りこめば、その姿はずいぶん小さく見えた。エミリオの肩にディライラが腕を回して抱きつくが突き飛ばしたので、驚いたフィラーレは思わず一歩後退ってしまう。

「ならば!夜は……夜は外しておりました!それでも朝に行う結界の綻びを修復できた!」

 髪を振り乱して半ば半狂乱になっている姿は鬼気迫るものがあった。


「――寝具に施した術式で補助しておりました」

「すべてフィラーレが刺繍をしていたの」

 魔術師長と王妃に畳みかけられて、今度こそエミリオの肩がだらりと落ちる。

「フィラーレが王立学校に行かなかったのも、王妃教育が遅れていたのも……あなたのために刺繍をしていたから」

 術式を布と糸で組み立てるのは大変な作業だ。しかも古い文献に僅かに残っていただけで、ほとんどが魔術師たちとフィラーレの手探りと試行錯誤の繰り返しだった。

「ずっと……寝る間も惜しんで。体調を崩しても針で刺した指先が血塗れになっても……」


「……なぜだ?」

 のろのろと顔を上げたエミリオの瞳は疑問だけを湛えている。その視線を受け止める。

「ただエミリオ殿下にわたし自身を見て欲しかったのです」

 それだけだ――魔力提供者としてではなくフィラーレとして、隣に立つことを望まれたかった。


(傲慢だったのだろうか……)

 フィラーレは内心で首を振る。ランダルも言っていた〝心は縛れない〟と。

 自分を正当化するつもりはないが、六歳のフィラーレが抱いた小さな夢だった。


(王子様と心から結ばれたい)


 エミリオは目を見開き、ゆっくりと視線を落とした。瞼を震わせて、床の上で拳を握りしめる。

 フィラーレが目を閉じれば、子どもの自分とエミリオの笑い合っている顔や、楽しく追いかけっこをしている懐かしい姿が浮かび儚く消えていった。

「私は……。どうして……」

 頭を抱えて蹲るエミリオにディライラはもう触れたりせず、だが彼を案じて寄り添っている。

 ディライラが本当にエミリオを愛しているのがわかった。彼女の持つ癒やしの力はおそらく彼の病気に効果はないが、存在自体が支えになる。


「――エミリオ・アレウトの王位継承権を剥奪することに異論のある者はいるか」

 王の言葉は確認ではなく決定だ。

 フィラーレは息苦しさを覚えて胸に手をおく。ずっと次代の王として生きてきたエミリオにとって残酷な措置であるが、受け入れるしかない。

「ではエミリオとディライラの結婚を許可し、エミリオがマーシル子爵家に入ることを認める」

 決断以上に王の表情は厳しいもので、苦渋の思いだと窺い知れた。

 エミリオは俯いたままでディライラにも笑顔はないが、素直に受け入れたらしく反論はしなかった。


 やがてエミリオが立ち上がろうとして、ディライラに支えられる。二人はしっかりと手を握り合い、頭を下げると扉のほうへ向かう。どちらかが依存するのではなく、寄り添いつつも確かな足取りだ。

 その背を見送るフィラーレは、呆気なささえ感じる婚約破棄の結末に嬉しさも悲しさも湧かず、心だけが重かった。


「さて、フィラーレ」

「はい」

「お前には本当につらい思いをさせた。なにか望みがあれば聞こう」

 王の声音には労りがこもっていた。王妃も涙の痕はあるものの慈愛に満ちた微笑みを向けてくれる。

 それを見てフィラーレは急に気後れしてしまう。確かに十五年間ほとんど城の外に出ることもなく、他人から見れば幽閉状態に近かったかもしれないが、虐げられていたわけではない。むしろ王と王妃に可愛がられていたし、魔術師たちも優しかった。


 ランダルもいつだって気遣ってくれて、アンジェリンはフィラーレを笑わせてくれてきた。

 フィラーレの役目は過酷ではあったが、それ以外は恵まれていた。

 だが一つだけ憧れがある――。


「学校へ行きたいと思っております」

 王と王妃が顔を見合わせたので、少し恥ずかしくなる。

(……やっぱり二十一歳から学校に通いたいなんておかしいわよね)

 身の置き所のなさを感じて俯いていると、ランダルが小さく笑っているのが見えて、少し勇気が出て前を見直した。


 ずっと心に秘めて言えなかった言葉を紡ぐ。

「学校で魔法を一から勉強したいです」

「そうだな」

 王が顔に微笑を刻む。王妃も笑みを深くして頷く。

「フィラーレ・ラロケットの望みを叶える」

 王の声が高らかに響いて、光のようにフィラーレに降り注いだ。


王族は全員魔力が高いので、王位継承者はエミリオだけではありません(ユーイング公爵、アンジェリンや他の王族も結界維持修復ができます)

アンジェリンは女性なので継承権を持ちませんが


完結済み作品「出戻り令嬢は真実の愛に包まれる」も読んでいただけたら嬉しいです

*こちらは雰囲気が異なり、ざまぁ要素はありませんのでご注意ください!

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