美しい義姉の離婚と再婚
義姉の夫はとても“よい人”であるらしい。
学生時代の友人が夫婦喧嘩をしたと聞けば仲裁に入り、また別の友人が怪我をして歩けないと聞けば回復するまで不便を手伝った。これはあくまで一例であり、実際はもっと多くの友人を助けている。また両親の住む領地の屋敷の建具が悪くなったと聞けばわざわざ王都から出向き、自ら改築の指揮を執った。
それだけではない。職場でも相談役を任され同僚や部下、上司の話までもよく聞いて問題解決に奔走した。福祉や教育にも熱心で休みの日のほとんどをそういった活動に費やし、その上で身寄りのない母子と知りあえば、施設に送り届けるでもなく自家で面倒を見、孤児を見つけてはやはり自家で教育を施した。どちらも一人や二人ではない。
なんという人格者だろう。過去に義姉の夫は皆からそう言われ、褒めたたえられていた。
「……お義姉さま、またですか」
「ええ、またよ。ごめんなさいね、お邪魔してしまって」
私の義姉、つまり夫の姉であるヨランダさまは煌びやかで豪奢なドレスが似合う美人だ。その雰囲気とお顔立ちから、ともすれば派手ととらえる人がいるが、実際の義姉はどちらかというとシンプルなものを好む。
義姉が今は私の家でもあるヴィータ公爵家に突然やってくるのは、一度や二度のことではない。多い時は週に二回は来ていた。それがただ遊びに来てくれるだけであるなら私も喜んでお相手できたのだが、彼女がこの家にやってくるのはいつだって評判の夫君のいる筈の婚家から逃げ出してくる時だった。
「まさか、いくらでもご滞在ください。ここはお義姉さまの実家ですもの」
「そういう訳にもいかないわ。あたくしは家を出た身。……それに、やっとどうにかなりそうなの」
「……どうにか、とは?」
見ようによっては悲しげに、けれどたっぷりの皮肉を悪戯な表情に乗せて義姉は美しく笑った。
「あたくしだって、弟夫婦の家に何度も押しかける厄介な小姑になりたかった訳でないの。でもほら、あの人ったら外面ばかりがいいでしょう。あれでは離婚が認められなかったのよ」
「……と、いうことは?」
「ええ、目途が立ったの。だからこれで最後」
義姉は鞄から素晴らしい細工の施された小さなジュエリーボックスを取り出した。開けると、そこには義姉がデザインしたと思われる美しいペンダントが現れる。
「ディアナさん、貴女には本当に面倒をかけて申し訳なかったわ。せめてもの恩返しとして、これを」
「いけません、お義姉さま。頂けませんわ」
「駄目よ、お願い受け取って。厄介ごとの謝礼としては少ないでしょうが……」
「そうではありません。逆です、多すぎます」
義姉のデザインした宝飾品は、今やこの国の流行そのものだ。王妃や王女だってその美しさに魅了され、他国からの評判も高い。その上、ジュエリーボックスに鎮座しているこのペンダントは、見たことがない。おそらく新作なのだろう。つまり、すごく希少性が高くて値段も高い。
ただ話し相手を務めたくらいで貰っていい報酬ではなかった。なにより、義姉と話すのは私にとっても楽しい時間であったのだから、ここに報酬が発生すること自体がおかしい。
「あら、ならいいじゃない。大は小を兼ねるというでしょう」
「……お義姉さままで夫と同じことを仰らないでください」
「それは、ごめんなさいね。あたくしとあの子は同じような情操教育を受けたのよ」
ごめんなさいね、と言いながら押しつけてくるあたり、義姉と夫は姉弟である。仕方がなく、けれど贈り物と思えば嬉しいのだ。私は大人しくペンダントを頂くことにした。
「……それで、目途とは?」
「あの人が連れてきた女の一人が、『この子は旦那様の子です』と言ったのよ。やっと」
「あら」
「でも、それを聞いたほかの女もそう言ったわ。あと子どものいない若いメイドも何人かあの人と関係があると」
「まあ」
「ふふ、やっとだわ。すごく時間がかかったから、もう諦めかけていたのだけれど」
「よかったですわ、本当に。おめでとうございます、お義姉さま」
「ありがとう」
義姉は嬉しそうに頬を染めた。私も嬉しくて泣けてくる。ああ、やっと義姉は解放されるのだ。手を取り合って喜びあっていると、そこに夫が帰ってきた。
「ディアナ、ただいま。姉さんも」
「おかえりなさいませ、貴方」
「あら、アルフレッド。お邪魔しているわよ」
「いくらでもいいよ。ディアナも暇しているんだから、話し相手になってあげてよ」
「……そういうのは姉ではなく、ディアナさんのお友だちにお願いなさい」
呆れた様子の義姉に構わず、夫は鞄から書類を出した。そこには『離婚における手続き、その証明』と書いてある。
「で、はい、これ写し。ちゃんと手続きしてきたからね」
「ああ、ありがとう、アルフレッド。やっとだわ」
義姉は、夫が持って帰ってきた書類を確認してから抱きしめた。ゆっくりと吐かれた息が、これまでの苦労を表しているようで私はまた泣きそうになった。
「今日は泊っていくだろう。祝杯をあげよう。あ、ディアナも飲めるように高級ぶどうジュースだけど」
「嬉しいけれど、できないわ。すぐに隣国へ渡ることになっているの」
「はぁ、今から!?」
「いけませんわ、お義姉さま。もう外は暗いのですよ」
「いいえ、すぐ出ないと駄目なの。あの人を信じている一派から邪魔をされては面倒だもの。あたくし、もうこれ以上はたとえ少しでも嫌なの」
意志の強そうな瞳に反してひどく気づかい屋な義姉は、もしかすると私たちに気を使っているのかもしれない。そう思って手を掴み引き留めようとしたけれど、逆に困った顔をされてしまった。
「心配をかけるのは悪いと思っているわ。でも、ちゃんと準備はしてあるの」
「準備って?」
「結婚なんてもうこりごりですけれど、この時代に女一人で生きていくのは難しいでしょう。だから、隣国でビジネスパートナーを見つけたのよ。契約結婚に同意してくれるらしいわ」
夫は「ビジネスパートナー?」と呟き、次にはぱっと顔を上げた。随分と青い顔だ。
「……まさかそれ、奴のことじゃないだろうね」
「あら、じゃあその“奴”以外に誰がいて?」
「姉さんってつくづく男運がない……」
「煩いわよ、愚弟。……それに、彼なら少なくともあたくしを蔑ろにはしないわ」
「それはまあ、そうかもしないけど……」
私には分からないけれど、夫は知っている人らしい。大丈夫な人なのだろうか。まあでも、義姉が選んだ人だ。王命だった以前の結婚とは違い、義姉自身が選んだ人であるのなら、そこまで心配はいらないのかもしれない。しかし、隣国か……。
「……ディアナさん、小姑が度々帰ってきて嫌な思いをさせたわね。もう戻っては来ないから」
「嫌です!」
「ディアナさ」
「嫌です、嫌! お義姉さまが帰ってきてくださらないなら、わたくしが隣国に行きますから!」
「貴女、お腹に赤ちゃんいるでしょ……」
「産んでから一緒に行きます!」
「あのねえ……」
義姉が呆れた声を漏らすが、嫌なものは嫌だ。私は兄しかいないから、ずっと姉が欲しかった。だから結婚の第一条件は姉のいる人だった。夫のことは義姉関係なく尊敬と愛情を持っているが、それとこれとは別だ。やっとできた優しい義姉と関係を断つなんてあり得ない。
確かに私のまだ平たいお腹には赤ちゃんがいるが、産んでからなら動ける。まあ、まずは産むことに集中しなければならない。それは分かっているけれど、でも……。
「……姉さん、体の弱いディアナにそれをやられたら俺が心配で泣く」
「もうそんなに弱くありませんっ」
「でも泣いちゃうよ。止めたってディアナはどうにかして行っちゃいそうだけど、俺はまだ十年以上は宮仕えの予定だから勝手に隣国なんて行けないし……」
実は結婚前に私が少しだけ体調不良に陥り、そのせいで結婚の話自体が流れそうになったことがある。その時は夫と義姉が両家を説得してくれたのだ。義姉なんて、わざわざ隣国から薬を調達してくれて……。
夫がちらりと義姉を見る。私も真似て義姉を見た。できるだけ悲しそうな顔を作って、口をきゅっと閉じるのだ。義姉は、私たちのこの表情に弱いらしい。
「う、わ、分かったわよ。まったく、仕方がないわね。年に一度は顔を見せに帰ってくるわ。後悔しても知らないんだから」
「年に一度……。やっぱりわたくしも……」
「あちらでの事業が軌道に乗ったら増やすから、そんな顔をしないのよ……」
「本当ですか?」
「ええ、本当」
「では、お手紙を書きます。いっぱい書きますね」
「ふふ、もう、分かったわ。あたくしもちゃんと書いて返しますからね」
「ねえ、俺が空気なんだけど。俺、一応この屋敷の現主人なんだよ?」
「そうね、こういう時はもう少し黙っているのがいいわよ」
「はい……」
二人のやり取りに笑いが漏れる。本物の姉弟というものは素敵だ。いや、この二人が特別なのかもしれない。私と兄は仲は悪くないものの、兄が口下手すぎて会話が成立しないことも多いのだ。
「アルフレッド、忠告の必要もないでしょうけどあたくしの結婚をきちんと反面教師にするように」
「本当に必要のない忠告だよ。でも、ちゃんと覚えておく」
「ふふ、本当に憎らしいくらい優秀な子なんだから」
「でもさ、あっちでも上手くいかなかったらすぐに呼んで。さすがに助けに行くから」
「あら、それこそ不要の心配だわ」
「姉さんが意地を張って俺たちに助けを求めずに手遅れになった場合、俺たちは隣国へ攻め込みます」
「やめなさい」
「王太子殿下なんて戦争したくてうずうずしてるんだから、理由なんてなんでもいいんだよ」
「それを止めるのがお前の仕事でしょう!」
夫は王太子の側近を務めており真面目な制御役と皆から思われているらしいが、実は結構過激なことを考えていることもある。どちらが国益か天秤にかけ、結局穏便にことを進めることが多いので誤解されているだけだ。
「そうならないように姉さんがちゃんとしてくれればいいんだよ?」
「こ、この……っ。はあ、ええ、分かりました。そうならないようにするわ」
「初めからそう言えばいいのに」
「なんですって?」
「なんでもありません」
義姉の気迫に負けた夫はぱっと顔を逸らした。まるで悪戯をして怒られることが分かっている犬のようで可愛い。
「でも、お義姉さま。これからどうやって隣国に……?」
「船はもう着いているそうよ」
「うわ、これだから奴は……」
と、夫が嫌そうに呟いたその時だった。
「ハアハア、お義兄さん、と呼んでくれて構わないんだよ?」
聞きなれない声がした。夫はいつもベルトに仕込んでいる細いナイフを素早く取り出し、その声の主らしき人の首元に突き付ける。
「ひぇ、や、野蛮っ」
その人は両手を上げながらふ、と五歩程後ろへ移動した。歩いたわけではない。消えて、また現れたのだ。これは魔法だ。この国にはこういった魔法を使う人がほとんどいないが、隣国の貴族にはこの魔法の使い手が多いらしい。
「あら、いたの」
「おりましたとも、僕の女神! あああああ、相変わらずお美しい! お声も麗しい! 並べ立てる賛辞が足りない! 悔しい! でも生きててよかった!」
「相変わらず煩いわね、ちょっと静かにして」
「はい!」
見知らぬその人は義姉を拝みながら片膝をついた。多分、この人が義姉の言っていたビジネスパートナーなのだろう。おそらく魔法でこの屋敷に現れたらしい男性は、目元の隠れるフードを着用していて顔がよく見えない。けれど頬が赤く口角はこれでもかと上がっていた。
「アルフレッド、あとのことなんだけれど……」
「任せて、それは本当に是非任せてほしい! 姉さん生ぬるいから、俺が全部やる!」
「あまりやりすぎては駄目よ」
「無理」
「……まあ、なら、任せるわ。いろいろと急にごめんなさいね」
「謝ることなんてないよ。俺も鬱憤を晴らしたいし」
「じゃあ、行ってくるわ。二人とも元気でね」
「はい、お義姉さまも」
「ねえ、姉さん、本当にいいの? 大丈夫、それ?」
「……いいの」
そう言って、義姉はフード姿の男性の手を取り屋敷から消えてしまった。おそらく魔法で船まで行ってしまったのだろう。
「大丈夫かなあ。やっぱり殿下をけしかけようかな……」
「ふふ」
「ディアナ?」
「アルフレッドさまは色眼鏡をかけていらっしゃるのですね。お義姉さまのお顔、ちゃんと見ていまして?」
「顔?」
「ええ、とっても嬉しそうでした。きっと大丈夫ですわ」
「そうかなあ……」
「駄目だった時は、わたくしの実家にもお手伝いをお願いしますわ」
「……そうか、ならいいか」
「ええ」
義姉は、少女のように可憐に微笑んでいた。だから、絶対に大丈夫なのだ。
―――
義姉が旅立ってから一か月がたった。手紙のやり取りももう何度もしているが、あちらでの生活を楽しんでいるらしい。今日も夫と一緒に手紙を読んで返事を書こうとしていると、ひどい足音とともに一人の男性が転がり込んできた。
先触れもなかったが、相手は分かっている。一度だけ、彼が来た時には何の妨害もせずに通すようにと家人に伝えてあったのだ。
「ヨランダがいないんだ! どこにもいない! 君たち知らないか!?」
案の定、入室してきたのは義姉の元夫だ。クオーレ侯爵家の一人息子で、既に侯爵家の持つ子爵位を受け継いでいる。必死の形相は、演技ではないのだろう。学生時代にもてはやされたという涼しげな顔が痛々しい程だった。
「知っているがそれより、姉を呼び捨てないでいただけるか、クオーレ子爵。不愉快だ」
「な、何を言っているんだ、アルフレッド……? 私はヨランダの夫で、君の義兄だぞ」
「まさか、一か月前に婚姻関係は解除されている。貴殿の有責でな」
「……は?」
「ああだが、丁度いい。ついさっき書類が揃ったところだ。これを持って帰るといい」
夫はクオーレ子爵に向かって乱雑に書類を投げた。それに対し、まるで信じられないとでも言いたげなクオーレ子爵はそれでも黙って床に散らばる書類を拾い上げた。そしてそこに書かれている内容を見て、目を見開く。
「……どういうことだ? 何故、こんな」
「そもそも姉がいなくなってから一か月がたっているぞ。逆に聞くが、何故今更我が家へ?」
まったくその通りで、私は呆れて声も出ない。出さなくてもいいだろう。きっと、夫が最後までやりたいのだろうから。
「ヨ、ヨランダと話をさせてくれ。きっと何か誤解をしているんだ、だから……」
「姉は既に隣国のヴィック・ルーチェ公爵に嫁いだ」
「何だって!?」
「……そんなに驚くことか? 姉は婚前、多くの貴公子から結婚の打診を受けていた。その中でルーチェ公爵は一番に家格が高く、我が国としても益のある人だ。何より、姉を深く愛している。王命さえなければ、初めから彼が姉の結婚相手だった」
「馬鹿なことを! 奴はヨランダのストーカーだぞ! よりにもよってそんな奴に!」
「姉が自ら選んだことだ、俺は関与していない。……正直、俺も奴が義兄なのはちょっと嫌だ。まあ、お前よりはましだがな」
「な……っ」
そう、あの夜、義姉を迎えに来たあの人は隣国の公爵閣下であった。ご両親が若くして引退をし、彼は早々に公爵位を継いだらしい。
義姉は人目を惹く美人であるから、学生時代留学にきていた公爵に一目惚れされていたそうだ。そして正式に結婚の打診があった。けれど義姉の素質を買っていた国王が国外に出すのを嫌がり、国内で最も条件のよかったクオーレ侯爵家の子息と結婚をさせたのだ。
ただ、ストーカー、というのはよく分からない。夫に聞いても詳しく教えてくれず、義姉に聞きたくともさすがに手紙に書くのは憚られる。まあ、それだけ熱烈だったということなのだろう。
「はあーあ、何が人格者だよ。自分の妻を一番に優先できないただの馬鹿だろう、お前」
「何を……」
「お友だちにカスみたいな用事で呼ばれて姉さんをほっぽりだして、しかもそれが一度や二度じゃない。何が友情を大切に、だ。お前のはただの自己満足。他人に『ありがとう』って言われる自分が好きなだけ」
「ち、違う……」
「しかも最近じゃあ、そんなお友だちにも頼られなくなったって? そりゃあそうだよな。普通結婚したら家族を守るのに必死になるから人に頼らず自分で頑張ろうって思うもんだし、夫のお友だちが入り浸る家なんて妻からしたらたまったもんじゃない。大体、家のことであるならば自家に使用人がいるだろうが。その範疇でないっていうなら、まずは親族に声をかけるべきだ。未成年や学生じゃないんだぞ。そもそも何故お前が他家のことに毎度そこまででしゃばる」
夫はひどく冷たく、けれど楽しげに笑う。私も楽しかった。やっとのことだったから。
義姉は、子爵が度々家からいなくなることに戸惑っていた。そしてあまり他家のことに口を挟むものではないと苦言を呈した。けれどそれは反発を招くばかりで、子爵はもっと“人助け”とやらに精を出した。人々からの称賛を浴び、悦に浸っては自分が正しいだろうと義姉に自慢をし続けた。そしてほとんど家に寄り付かなくなった。
「そういえばお前が毎度夫婦喧嘩を仲裁してやっていた家、離婚したらしいな。元夫人は、毎回お前が来て夫の味方をするものだから耐え切れないって出ていったそうだぞ。それと、怪我して面倒見てやってた男爵な。あいつは妻を迎えて尻に敷かれて楽しそうに暮らしている。あいつはあいつで精神の支えがいれば、それがお前だろうと妻だろうとどっちでもよかったんだろうな。……ああまあ、知ってるか。友情で固く結ばれたお友だちだもんな?」
ずっと、怒っていたのだ。夫も私も、そして義姉も。いや、義姉は泣いていた。涙こそみせず、いつも気丈に振る舞っていたけれど、あの人は泣いていた。
義姉は何度もこのどうしようもない男と対話をしようとしたのだ。この男と人生を共に生きようとしていたのだ。けれど毎回かわされ見当違いに宥められ、しかも世間は皆、この愚かな男の味方で。私たちも手を貸そうとしたが、義姉は自分たちの家のことだからと一人で抱え込んで初めの内は相談もあまりしてくれなかった。
だからやっと見切りをつけてくれた時、私たちはとても嬉しかった。夫とわたしだけじゃない。公爵家もそれに連なる親族も義姉の友人も、皆、義姉の新たな門出を喜んでいる。
「『三年は子どもは持たないでおこう。いや、五年でもいい』」
「な、何故それを……!?」
「報告するに決まってるだろうが、馬鹿かお前は」
クオーレ子爵はぶるぶると震えながら書類を握りつぶした。そこには慰謝料を請求する旨が書かれている。請求内容とその正当性もだ。何なら、王家も認めている。だからこそ国王の整えた縁談であったのに、あんなに簡単に離婚が成立したのだ。この男のおぞましいまでの自己中心性が、やっと人に周知された。
「三年の不妊なんて離婚理由だろう。それを五年も? もう呆れるしかない……」
「離婚なんてしない! あれはヨランダの為を思って!」
「姉さんに聞いたか?」
「は? いや、だが、ヨランダは仕事で忙しくしていて……。だから、子どもなんてできたら大変だろう……!」
義姉は、確かに忙しかった。なにせ、王妃から外交に使う為に多くの依頼を受けていたから。それだけ義姉のデザインした宝飾品は求められていた。けれど、王妃とて義姉に子ができた時にはそちらを優先するよう伝えていたのだ。
貴族夫人にとって、子を成し血を繋げることは使命である。できないこともある。その時の対処法もある。しかし、それはどうしても産めない時だけだ。それを勝手に年月まで決めて避妊を考えるなんて正気の沙汰ではなく、また妻の立場をわざと下げようとしていると捉えざるを得ない。
「姉さんは、承諾していなかった。お前が勝手に決めて姉さんに押しつけただけだ。その上、姉さんの話に耳を貸そうともしなかった」
「そんな、待ってくれ、誤解だ!」
「いいや、事実だ」
取り乱すクオーレ子爵に対し、夫は淡々と事実のみを話す。そう、事実だけを。
「そして、お前がお友だちに相手にされなくなったからと拾ってきた女たちがお前との関係を証言したのも事実だ」
「違う! そんなことしていない!」
「だから、事実だって言ってるだろう。俺は事実しか言っていない。おい、お引き取り願え」
「待ってくれ、頼む! 話を聞いてくれ!」
クオーレ子爵は警備に取り押さえられ、屋敷から出ていった。あのまま、ご両親の待つ領地へ送り届けられる手筈になっている。クオーレ侯爵夫妻は、今頃子息のしでかしたことの報告書と慰謝料の請求書を手に頭を抱えていることだろう。先程クオーレ子爵に渡したものと同じものを、既に侯爵夫妻にも送っていたのだ。
繰り返すが、夫は事実しか言っていない。子爵が連れてきた女たちが関係を証言したのは事実だ。ただ、その精査はこちらで行う必要のないことだからしていない。女たちの虚言だと、子爵が潔白を証明したいのなら好きにすればいい。それで慰謝料の減額はないが、少なくとも妻を蔑ろにし続けた上に浮気までして庶子が複数いる、という不名誉は回避できるかもしれない。……ものすごく難しいと思うが。
「……お義姉さまが白い結婚で、今になってみればよかったのかもしれません。あれと親族でい続けるなんて嫌ですもの」
「そうかも。で、姉さん、今日はなんて?」
夫は何事もなかったかのように義姉からの手紙の続きをせがんだ。私も、それに倣って続きを読む。
「ヴィックさまがまたドレスを作らせているけど、どうしようって」
「……楽しそうだなあ」
「ふふ、だから言ったでしょう?」
「あんまり認めたくないんだよなあ……」
「ふふふ」
夫と義姉の今の夫であるヴィックさまは、昔に何かしらあったらしい。けれど義姉がこんなにも楽しそうであるなら、やはりこの結婚は正しかったのだと心から思う。……本当はこの国にいてほしかったし、なんならこの家で一緒に暮らしたかった。それが我儘であることは知っている。ただの叶わぬ願望だ。義姉が、幸せであればそれが一番いい。
「あ、そういえば、貴方。もう赤ちゃんのお洋服も玩具も買ってはいけませんよ」
「ええ?」
「買いすぎです。性別も分かっていないのに」
「……じゃあ、ディアナのドレス作る」
「何がじゃあですか、駄目です。これからもっと体型も変わっていくのですよ?」
「だからむしろ必要なんじゃ……」
「もうあるんです」
「ううううう……っ。あ、なら、農園を買おう! レモンが美味しいって言ってたよね?」
「落ち着いてください」
「だって何かしたい、俺は無力……」
「いいんです、一緒にいてくれたら」
「でもさぁ……」
「お願いしたいことができたら必ず言いますから、ね?」
納得のいってなさそうな顔の夫は、きっとまた何か買ってきてしまうのだろう。でも、まあいい。私と私たちの赤ちゃんを大切にしてくれるこの人が、あの男のような間違いを起こすことはないのだから。
読んでいただき、ありがとうございます。
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