【小説】だからその手を離して
夕方に到着する三便のおにぎりや総菜を棚に詰め終えると、今度は帰宅ラッシュの客が押し寄せる。
空に群青色の幕が下されると同時に、コンビニはさっきまでの暇さ加減が嘘みたいな忙しさになる。
半自動化されたとは言え、まだレジに人間は必要でおれは笑顔を作って挨拶をする。
「ありがとうございました!」
またのお越しを、と言う気勢は疲れた客の迷惑そうな睥睨に削がれた。レシートだって受け取ってもらえない。
まぁそんなものだ。先輩には「疲れた客に大きい声は迷惑な時もあるよ」と言われたけれど地声のデカさは仕方がない。
落ち込む前に次の客が並び、その後ろに疲労と苛立ちを隠さない列が続く。
おれの疲労も同じように並べられていくのが見えていた。
「お疲れ様です」
廃棄チェックと商品のフェイスアップを終えて休憩室に入ると、ひと足さきに休んでいる先輩がスマホから顔を上げた。
「ん、お疲れ」
切れ長の三白眼と目が合う。
細い眉は尻の方で途切れ途切れになっていて、終わりのところに輪っかのピアスがふたつ光っている。
痛そうだな、と思うけれどそんなことを言えば鼻で笑われそうなので言えない。
テーブルを挟んで先輩の斜め向かいに座って、真ん中に置かれた缶コーヒーに手を伸ばした。
缶に凹みがあるものなどを店長が自費で買い取っているが、店長は缶コーヒーが飲めないので福利厚生として提供されているのだ。
休憩時間にありがたく飲んでいる。
前に座っている先輩は既に飲み終わったのか、電子タバコのガラを空き缶に押し込んだ。
「あ」
また指にタトゥーが増えていた。それが何の模様か、または文字なのか分からなかったが白く細長い指にとてもよく映えている。
「あ?」
先輩は三白眼をおれに向けると、指に注がれた視線に気づいて机の下に隠した。
「まぁ、店長と被るシフトん時は絆創膏で隠してっからよ」
内緒な。
先輩は笑ってそう言うと、先に戻ってっかんなと休憩室を出て行った。
今日も、何の煙草を吸っているのか聞き逃した。
夜勤シフトの担当人員が来ると一気に労働意欲が減退する。
彼らが着替えてタイムカードを切り、持ち場に着くまでにはまだ時間があるが、こちらとしてはもう終わったも同然だ。
先輩も同様に、ぼんやりと壁の時計を見ている。
インナーカラーの金髪に見惚れていると、後ろから夜勤シフトに肩を叩かれた。
「お疲れ、もう上がっていいよ」
社員の上がっていいよは上がれと言う意味だし、今すぐにタイムカードを切ってから着替えてすぐ帰れと言う意味だ。
おれは愛想よく返事をして休憩室に戻ると、後から先輩が入ってきた。
「ったく、アイツだと時間ピッタシに上がらされるんだよな」
頭をガシガシと掻きながら制服を雑に脱ぐと、パイプ椅子にどかっと座った。
すかさず電子タバコを取り出してテーブルの缶コーヒーを開けた。
おれも先輩にならって椅子に座り、大きく凹んだ缶コーヒーを手に取った。
甘くてぬるいコーヒーが喉を駆け下りていく。
疲れた。
肉体労働のバイトより遥かにマシなはずなのに、やたらと疲れる。
パイプ椅子に背中を預けて天井を眺めると、小さなシミがいくつも見えた。
「ん」
声が聞こえた気がきて視線を下ろすと、先輩がこちらに電子タバコを向けていた。
おれがよほど不思議そうな顔をしていたのか「新しいからそのまま吸え」と言って顔を背けた。
ありがたく頂戴します、と頭を下げて受け取った。吸ってみると、煮豆のようなにおいが口の中に広がった。
「げほ」
ひと口しか吸っていない電子タバコを返すと、先輩はニヒヒと笑って続きを吸った。
あれ?
続きを吸ってる?
先輩は豆鉄砲を喰らった鳩を見る目でおれを見返すと、再び「ん」と言って手を伸ばした。
悪戯の仲直りかな?
そう思って伸ばされた手を握り返すと
「ちげぇよバァーカ」
今日は誕生日だからなんか寄越せって意味だと笑った。
「初めて聞きましたよ、分かんないですって。おめでとうございます」
カツアゲみたいなことやめて下さいよ、ただでさえ怖いんスから。
「じゃあこれで覚えたな。来年は、くれるっつーんなら貰ってやってもいいぜ」
引こうとした手は強く握られたままだった。
おれも先輩と同じタトゥーを指に入れようかな。
「じゃあ後で絆創膏あげますね」
なんだよそれ、と笑う先輩の八重歯が好きだった。




