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 〈じろさん〉は特別だったから、工事警備の仕事はしなくても良いとされていたんだろう。

 普通じゃない底辺の日雇い労働者を暴力で押さえつけるのが仕事だったみたいだ。

 〈じろさん〉の手下のような男も数人ほどいたらしい。


 流れ流れて世間からも弾かれ、この仕事にありついた者ばかりだ。

 日雇い労働者は一癖も二癖もある人間が多い。違うか。俺も含めて無いヤツはいない。


 「俺は〈じろさん〉とは違うからな。 特別あつかいはしなくて良いよ。 みんな平等で良いじゃないか」


 「はい。 ではそのようにします」


 〈橋本〉も一切言い返さずに俺の指示をこなそうとしている。

 前に働いていた時とは月とスッポンだ。太陽と犬でも良いか。

 〈橋本〉と〈森川〉じゃなくて、俺が変わったんだな。


 【腕の傷はもう治っていますよ。 うふふっ、私が舐めれば一発なのです】


 「助かるよ。 ありがとう」


 〈まうよ〉はナイフで切られた直後から、傷を舐めてくれていた。

 見れば怪我はもう治りかけだ。少し不思議ではあるが妖魔だから、可能なんだろう。


 【このまま、ここで暮らすのですか?】


 「そうだな。 金が貯まるまではここにいよう。 まずはスマホを買おうと思う」


 【それが良いです。 スマホを持っていないのは、まともな人間とは言えませんからね】


 キツイな、〈まうよ〉は。俺はまだ、まともな人間じゃないんだ。


 夕方になり腹も減ってきたので、俺は一階の食堂に降りていった。

 このアパートと言うか、日雇い労働者の宿泊所は賄いがついているんだ。

 今時珍しい昭和の世界である。


 取り残されているんだな、建物も人も。


 賄いは極めて安いが、味はなんとか食える程度である。材料が極めてよくないんだ。

 本物の豚のエサになる直前の残飯をどこからか掠めてきて、それをグツグツと煮込んでいるらしい。

 

 鼠色の液体だ。

 本物の鼠も入っていたこともある。


 「鼠が入っていたぞ。 なんてものを食わせるんだ」


 そう文句を言っていた人がいたが、全部食べた後で言っていたよ。


 「うわぁ、まだあのおばさんがいるぞ」


 【〈勝利さん〉、あそこにいる中年の女のことですか?】


 「そうだよ。 この現場じゃないが、あのおばさんが前も賄いの仕事をしてたんだ。 その時に俺は、あのおばさんに、ひどい目にあわされたんだ」


 【暴力ではないのですね?】


 「そうなんだ。 あのおばさんに、悪い噂を広められたんだよ。それがきっかけで、俺の立場がとても悪くなってしまったんだ」


 同じ部屋に住んでいる人のお金を盗んだとか、警備の仕事を怠けているとか、弱い立場の人を騙した男だとか、色々言われていたらしい。

 噂って本人だけは知らないからな。


 【はん、ずいぶんと性格がねじ曲がった女ですね。 気をつけなければ、いけません】


 「そうするよ」


 調理場が見えるカウンターにドンブリ鉢を二つ持って行くと、鼠色の液体と少し黄色く見えるご飯をよそってくれる。


 「ぐぐぐっ、あんた、久しぶりに見るね。 覚えているわよ。 良い男になったじゃないの、すごい秘密がありそうね」


 うわぁ、このおばさん、また悪い噂を流しそうだぞ。

 ふうー、とりあえず食べてしまうおう。対策はその後だ。


 ドンブリ鉢に注がれた鼠色の液体は、進化したのか、濁った赤い部分も存在している。

 どんな食材をぶち込んだら、こんな色になるか想像も出来ないな。


 ご飯の黄色は、古古米を使っているせいらしい。

 古古古古米だと毒づいていた農家出身の人もいたな。

 家で飼っていたのだろう。ニワトリのマネが上手な男だったな。


 味は不思議とそれなりだ、値段を考えれば食えないことはない。


 「痛い」

 「痛てぇ」

 「くっそ、ガラスが入っているぞ」


 「なんだこれ、口の中を切った」


 【〈勝利さん〉、大丈夫ですか。 ガラスの欠片が、シチューに入っていたのですね】


 鼠色の液体をシチューと呼んでいいのか、〈まうよ〉の発言に反対しそうになってしまうけど、今はそんな話をしている場合じゃない。


 「そうなんだよ。 血が出て来たよ」


 「後で舐めてあげますけど、それよりも、あの女を見てください。 邪悪に笑っていますよ」


 「本当だ」


 心の底から楽しそうな笑顔になっている。いつもより若若しく見えてしまうほど晴やかな顔だ。

 そして俺をチラリと見やがった。


 なにかを企んでいるらしい。俺が来た日にガラスが入れられたんだ。

 俺が前にここにいた時、金を盗った犯人は、このおばさんだったんだと思う。

 今はそう確信している。

 

 また俺に罪をなすりつけるつもりだな。


 「〈まうよ〉、あの女のスキルはなんだ?」


 【〈噂話〈上〉〉です。 えぇー、〈上〉ってなんなんですか?】


 「それを俺に聞くなよ。 想像だけど、子供の時から何十年も、ずっと噂を流し続けてきたんだと思う。 息をするようにだ。 そんなことをしているから、今の仕事しかありつけないんじゃないかな」


 【この危険な、スキルを盗ってしまいましょう】


 「そうしよう」


 ドンブリ鉢を返す時に、俺はわざとおばさんの手を握ることにした。

 切れた口から出た血を塗ってある。


 「きゃっ、何をするんです」


 「ははっ、上だからですよ」


 「いやらしい。 私が上玉だからって、口説くつもりなのね」


 俺は呆れてしまって何も言えなかった。

 もう五十歳を超えているし、美人でもないのに、上玉はないだろう。

 自分でよく言うよ。


 スキル〈噂話〈上〉〉は奪ってやったから、もう二度と関わりたくない。


 しばらくして、ガラス混入事件の責任をとらされたのか。

 生きて行く目的を失ったためか、おばさんはいなくなった。


 悪い噂話に注意していたが全く流れていないようだ。

 〈じろさん〉に勝った話が流れているだけだ。


 有用なスキルを盗むのは悪いことではあるが、おばさんの〈噂話〈上〉〉については、周囲の人から褒められても良いと思うな。

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