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ナイフ

 たぶん、この二人が待っている相手は、〈じろさん〉と呼ばれていた、六十をすぎた男だと思う。


 過去の話は知らないが、ナイフを使わせたら天下一品だったな。

 どこでそんな危ない技術を学んだのか。どうしてそんな危険な技術が必要になったのか。

 謎しかないジジイだった。


 アルコール依存症で手が震えていたけど、ナイフのあつかいは本物だった。

 俺は遊びでナイフ投げの的にされて、よくなぶられていたんだ。


 技術はあってもアルコール依存症だから、いつ手元が狂うか。本人でさえ分からない。

 〈じろさん〉の目はかなりうつろだから、俺の命なんかに感心がなかったのは確実だ。

 かすっただけで俺の体にナイフが刺さらなかったのは、ただ後始末が邪魔くさかっただけだと思う。


 【あぶない。 右にとんで】


 突然プレハブのドアが開き、黒い柄のナイフが俺に向かって飛んできた。


 〈まうよ〉に注意されなかったら、ナイフは俺の腹に刺さっていただろう。

 ビーンと音をたててプレハブの壁に突き刺さっている。


 俺は右に跳んだ後、〈橋本〉の腕を無理やり背中に回して動けないように極めてやった。


 「あっあっ、あぁ、俺をナイフよけにするなよ」


 〈橋本〉も敬語じゃないから、腕をこじてやった。


 「ぐわぁ、痛い。 ぶひっ、死にたくないです」


 〈じろさん〉はナイフの刃を舌でペロッとなめた後、ジリジリと〈橋本〉と俺の方へ近づいてくる。

 演出が凝っているじゃないか、これは一種のハッタリで、俺を呑んでしまおうとしているんだろう。


 それにしても目の奥が笑っているみたいだ。考える必要もない。ナイフで人を刺すのが好きなんだ。

 六十をすぎているのに、こんな状況なのに、作業服の股間がパンパンになっている。


 欲情しているらしいな。

 なんなんだ。

 背筋がゾーとする。

 これまでに何百回も人を刺したんだろう。


 【長引かせてはいけません。 アルコールが抜けるほど危険が増していきます】


 酔っているうちに、勝負をかけなくちゃいけないってことだな。

 俺は〈橋本〉を〈じろさん〉の方へ、思い切り押し出した。


 「ひゃっ、ひゃっひゃ、お助け」


 〈じろさん〉は向かってくる〈橋本〉を左に避けて、俺の側面に回り込んできた。

 ただし、その動きはあまり早くない、

 じいさんのためか、酔っているせいか、瞬発力が減少しているようだ。

 俺は素早くスコップを拾い、〈じろさん〉の目の前でブンブンと振り回した。


 リーチの差を生かすしか俺が勝利する道は無いと思う。


 〈じろさん〉がスコップを嫌って、わずかに尻込みした時を狙って、スコップを〈じろさん〉に向かって突き出した。

 急な動きだったこともあり、体勢が伸びたままの攻撃となったのは、殺す気までは持ってなかったんだ。


 その中途半端さがよく無かったのだろう。


 スコップが胸に当たる瞬間に、手首をナイフで切られてしまった。

 痛みを我慢してスコップは手放さなかったから、それでもガッと〈じろさん〉の胸にスコップの先がぶち当たった。


 あれほど急激な攻撃に反応出来るとは、真に恐ろしいじいんさんだ。


 〈じろさん〉はナイフを手から放し、ヘナヘナと仰向けに倒れている。

 胸に衝撃を受けて息が出来ないようだ。苦しそうにうめいてもいる。


 【すごいです。〈短刀術〉のスキルですが〈上〉となっています。〈上〉は貴重ですよ】


 〈じろさん〉からスキルとナイフを奪い盗ったため、もう安全だ。

 呼吸が回復しそうになっているが、スキルが無ければただの老人でしかない。


 ナイフは刃渡りが10センチくらいの折り畳み式のナイフだった。

 黒くて艶がある木製ハンドルがシックだと思う。

 もう〈じろさん〉が持っててもしょうがない。

 だから俺がもらっても良いはずだ。


 ゲホゲホと咳きこみながら、〈じろさん〉は小さなナイフをコネコネと動かしている。

 まだ持っていたのか、三本目だぞ。

 しかしナイフを操る動きはとてもぎこちない。素人の動きでしかない。


 老人が玩具で遊んでいるのを見せられているようだ。

 さっきまでの狂気をはらんでいた〈じろさん〉は、たぶん枯れ木に変わったんだな。

 体の輪郭さえもが朧気にしか見えなくなっている。


 〈じろさん〉は自分に起きたことを察したのだろう。

 皺が深い顔に涙をボロボロと流しながら、プレハブをトボトボと出て行った。


 どんな人生を送ってきたんだろう。

 そしてこれからは、どう生きていくのだろう。

 

 どうなろうと俺が心配することじゃない。


 もし年がもっと若ければ、もしアルコール依存症じゃなく酒も飲んでいなければ、俺の方が負けていたと思う。

 今頃は俺の胸に、このナイフが突き刺さっていたはずだ。


 




 工事現場から徒歩で通える距離に〈工事警備〉の日雇い労働者のためのアパートがある。

 もちろん、古くてボロい建物だ。

 五階建てなんだが明らかに右に傾いて見える。


 【大きな地震があれば、崩れてしまいそうですね】


 〈まうよ〉が心配そうに言うが俺も完全に同意だ。早く違う仕事を見つけた方が良いな。


 俺は〈じろさん〉が使っていた四階の角部屋をあてがわれた。

 部屋の大きさは八畳もあるから不満は無いのだが、四階が気にかかる。

 死階とも言うじゃないか。

 傾いたアパートの死階じゃ縁起が悪すぎる。


 〈じろさん〉の部屋に家具はほとんど無かった。

 古いテレビと卓袱台(ちゃぶだい)がポツンと置かれているだけだ。


 人が使っていた布団は嫌だったから、新しい布団を買うことにする。

 ははっ、前の俺からすればとんでもなく贅沢なことだよな。


 「〈森川〉、古い布団を捨ててくれよ」


 「はい。分かりました」


 〈森川〉は俺が怖いのか、素直に言うことを聞くようになっている。

 反抗をすれば暴力を振るわれると思っているんだろう。

 自分達がしてきたことだから、他人もそうだと決めこんでいるんだと思う。


「〈橋本〉、工事警備の当番表は出来ているのか。 俺はどうなっている」


 「当番表は出来ています。 〈勝利様〉は従事していただく必要はありません。 他の者で埋めています」

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