自分を花に例えているー蜜蜂
「〈うろ君〉、あんたね。 私を置き去りにしてひどいよ。 あの後どんなに大変だったか、分かってないでしょう? 」
ひゃぁー、電話の主は〈聖子ちゃん〉だった。ものすごく怒っていらっしゃるようだ。
怒られる理由は容易に想像がつく。〈聖子ちゃん〉に悪い事をしたとの自覚はあるんだ。
気にしないようにしてたけどな。
「すんません」
「すいませんじゃないわよ。 ひどい事をした埋め合わせに、私の仕事を手伝ってもらうわよ」
「えぇー、そんな」
「口答えなんかするんじゃない。 〈うろ君〉を庇ってあげたんだから、その恩をキッチリ返してもらうわよ」
「はぁ、恩があるのか? 」
「当然でしょう。 今度の日曜日に会って詳しい話をするからね」
「はー、しょうがないか」
「場所と時間を決めたらまた連絡するわ。 絶対に逃がさないからね。 それと話しは変わるんだけど、試しに〈うろ君〉の名前を検索したら社長って出てきたんだ。 失礼なことだけどすごく驚いたわ。 〈うろ君〉は頑張り屋さんだったんだね。 尊敬しちゃうな」
職業差別になってしまうが、弁護士なだけあり、〈聖子ちゃん〉はとても気が強いんだな。
言葉がキツくて怖いよ。
電話の向こうじゃ怨みを持った女鬼が、牙をむき出しにしているんだと思う。
俺は有無を言わせてもらえないまま、一度会って話を聞く事になってしまった。
説得と言うか、なだめることが出来なかったんだから、しょうがない。
それにしても俺の名前がネットで検索されるとは、自分が偉くなったと勘違いしてしまうじゃないか、あははっ。
俺に美人の秘書がいたとしても、何にもおかしくないぞ。
約束してしまったものは、しょうがないので今は忘れて、さっきの続きのケツ揉みからさせてもらおう、っと。
「〈まうよ〉、美人社長秘書ゴッコの続きをしようよ? 」
【しないよ。 もう飽きた。 いつもやってる事と一緒じゃない】
「断固違うと言いたい。 あれは新婚の幼な妻じゃないか。 ぜんぜん違っているぞ」
【でもお尻を触って、胸を揉んでから、私の服を脱がすのでしょう。 どこが違うのよ、一緒じゃない】
「まるっきし違うー。 この美人社長秘書ゴッコじゃ服は脱がさないんだ」
【そんなのダメよ。 皺になるし汚れてしまうから、当然却下だわ】
「えぇー、そんなの変だ。 また買えばいいだろう。 社長になったからお金の心配はいらないんだよ。 スーツは着たままの方が良いんだ」
【ちょっとそれは問題発言じゃない。 〈かっくん〉は私の裸を見たくないって、わけ? 】
あっ、ちょっとこれは、雲行きが怪しくなってきたぞ。嵐の予感がする。
さっき女性と会う約束をしたせいかも知れない。
やべぇ。
「すんません。 見たいです。 抜群のプロポーションを見たいに決まっています。〈まうよ〉は美の化身のビーナスですから」
【分かればよろしいのよ。 今直ぐ脱いで見せてあげましょうか? 】
「いいえ。 それは家に帰ってからで良いです。 今は仕事をしたいと思っています」
【ふふふっ、その方が良いでしょう。 頑張って稼ぐのよ。 分かった? 】
「そういたします」
俺はその後、財務諸表とかバランスシートとか契約書の内容を確認して、次々と社長業をこなしていった。
奪った〈簿記〈2級〉〉と〈法律知識〈中〉〉が役に立っている感じがする。
〈まうよ〉の裸を社長室で見たい訳じゃないんだ。俺はあくまでも美人社長秘書ゴッコがしたかったんだ。
サラリーマンなら誰しも三回は見る夢だろう。
〈まうよ〉の裸ならいつでも見れるし、ビクビクしながら社長室で見る必要は何にもない。
あぁ、短いタイトスカートを腹までめくり上げて、パンストをビリビリと引き裂き、桃のようなケツにかぶりつきたかったな。
あぁあぁ、マイドリームは彼方へ。夢はついえた。
ここは個室の喫茶店である。
外部から隔絶されたプライベート空間が、ここではおおむね確保されている。
アダルトな女と男が手の届く距離でいるんだ。何が起こっても不思議じゃないし、そうなっても誰にも知られないはずだ。
しかし〈聖子ちゃん〉と対面で座っているが、ロマンチックなことは全く起こりそうにない。
それは俺の隣でニコニコと笑っている〈まうよ〉が、メロンクリームソーダ―をストローでチューと飲んでいるからだ。ニコニコがすごく怖いよ。
「ほぉ、奥様と同伴ですか。 秘密は守れますか? 」
「えぇ、もちろん。 夫のいる所が私のいる場所です。 夫に話すのは私に話したのと同じですわ」
「はぁ、熱々ですこと。 〈うろ君〉の奥様は、本当にお綺麗ですね。 私達とは違う世界の人みたいです。 羨ましくて嫉妬しちゃいます」
「あらあら、〈聖子さん〉の方こそ、とても美人じゃないですか。 それに弁護士さんなんでしょう。 頭まで良いなんて、天は二物をお与えになったのですね」
「そんなこと。 あなたはそんなに若くて美しいのですよ。 本気で言われているのですか。 私はもう四十歳です。 花は萎んでしまいました」
〈聖子ちゃん〉は美女の自覚があったんだな。自分を花に例えているぞ。
「お花は枯れる直前に実を結ぼうと、それはそれは大きく花びらを開き蜜蜂を誘います。 あくまでもこれは一般論ですけど、おほほっ」
俺は二人の女性の会話を気まずい思いで聞いている。美しさの単純な競い合いじゃなくて、もっと奥深いものがあるような、やっぱり無いような気もする。
ようは男の俺には分からないけど、互いに相いれない感情があるらしい。
一見穏やかな凪の海が見えているが、その底には激しい潮流が渦巻いている感じだ。




