出し切った方が合っているー噴出
あと二歩くらいで手が届く距離まで、ぬりかべに男が近づいてきた。
猿でビロンビロンの〈森本〉だ。
俺はぬりかべを助けるためにタッと床を蹴った。
今のぬりかべは〈まうよ〉だからな。
「ふん、下郎が。 私に近づくな。 これでも喰らいなさい」
男の顔に、ブシューと強炭酸水が噴出された。
〈まうよ〉に買ってやったペットボトルから噴き出している。
「ぐわぁ、目が。 目にしみる」
ビロンビロンの〈森本〉は顔を両手で覆い、悶え苦しんでいるらしい。
しかし、ただの炭酸水でそんなになるはずが無い。
しょせん猿知恵しか持ってないんだな。
「あははっ、良いね。 噴出は最高だ。 私も交ぜてよ」
長髪幽霊が抱えているのは、真っ赤な消火器である。
今からしようとしている事は、火を見るよりも明らかでもある。
「大丈夫か。 猿に悪戯をされていないか? 」
〈まうよ〉の前に立ちはだかって、俺は後ろを振り返らずに聞いた。
猿は小賢しい獣だから、騙し討ちに備えるためだ。
【うふふっ、助けに来てくれたんだね。 〈まうよ〉ファーストの〈かっくん〉を、愛しているわ】
俺と〈まうよ〉が所かまわずイチャイチャしている横を、嬉々とした長髪幽霊が消火器のホースを握りしめて、ど真ん中に踊り出る。
「ふんっ」
か細い気合ではあるがもう顔を{伏せてはいない。決意を込めた目だ。
か弱い腕にも力を込めて、今まさに、黄色の安全ピンを解除しているところだ。
「〈弥生〉、何をするつもりなの。 止めないとぶつわよ」
「シャラップ。 ドクソ女の〈美鈴〉は黙っていろ。 お前も〈良美〉もみんな、よくも私を虐めてくれたな。 この泡を食らって駆除されろ」
「きゃー」
「うわぁ、止めろ」
「無茶苦茶だ」
「店に怒られるぞ」
長髪幽霊の〈弥生〉は、それは嬉しそうに消化液の泡を撒き散らしている。
コイツも虐められていたんだな。
自分の事で精一杯の俺は知らなかったが、こいつらは心が歪んだ人間どもだ。
俺一人じゃ満足しなかったのだろう。とことんクズが集まっていたんだな。
〈弥生〉が同窓会に来た理由は、辛かった虐めの復讐を果すためだと理解した。
中学生から四十歳の今まで、ずっと復讐のことばかりを考えていたのかも知れない。
とても長い時間だ。
嬉しいことや楽しいことを、ほとんど感じて無かったんじゃないかな。
だから、長い髪の幽霊に見えてしまうのだろう。
虐められた過去はいつまでもつきまとってくる。ストーカーみたいなものだ。
振り返るとそこには恐怖が存在しているからだ。
噴出しながら呆けた表情になっているな。
薄っすら笑っている感じにも見える。
出すことは解放そのものだ。解き放たれるって事に繋がっていく。
解放感にエクスタシーを感じているんじゃないか。
過去の恐怖から解き放たれているんだ。
俺もそれは良く理解出来る。噴出とは快楽だと断言してやる。
心に溜めこんだ、哀しみと憎しみと悔しさとやるせなさを、ゲラゲラ笑って出してやれ。
どんどん外へ出してやれ。心のゴミを泡にして飲ましてやれ。
コイツらにはそうされる義務があるんだ。
体一杯飲ませても、神様がバチを当てるはずがない。
泡に滑って転ぶヤツも出て来た。もっと転べ。頭もうってしまえ。
そうだ。泡塗れの今がチャンスじゃないか。
「〈まうよ〉、いるか? 」
【ここよ。 パーテイションの近くにいるわ】
〈まうよ〉は赤いレースの下着のみのぬりかべを引きづっていた。
引きづっている意図はなんだ。お祭りへ参加させてあげたかったのだろう。
泡踊りへだ。
また両足を引っ張っているから、ぬりかべのブラジャーが外れて首に絡まっているぞ。
胸の先っぽにはかなり黒い色素が沈着しているな。
漂白剤を塗った方が良いと思う。汚たなすぎてゴキブリの巣になってしまう。
「俺はこれから、スキルを奪ってくるよ」
【私は女達の服を脱がしてやるわ。 私を辱めようとしていたんだ。 絶対に許すことなんか出来ない。 〈かっくん〉は男の方をお願いね。 おぞましいから触りたくないんだよ】
ちょっと八つ当たりぎみだけど、まあ良いか。
消火器の泡に塗れた男女は、視界を失い右往左往している。
まるで白カビが異常繁殖したゾンビのようだ。
「〈弥生〉、もう止めて」
「助けてよ」
「怖い」
「滑る」
〈法律知識〈中〉〉と〈簿記〈2級〉〉を奪っていくついでに、鳩尾に一発食らわしたり、頸動脈を圧迫して、白いゾンビどもの意識を刈り取っていった。
足をかけて頭を強打させた場合もある。
泡がつかないようにするのは、至難の業だったよ。
意識を失った男の服を脱がして、〈まうよ〉が裸にむいた女達と、ロープと手錠で合体させてあげよう。
ここは結婚相談所では無いから、好みや相性は構っていられない。
行き当たりばったりになったのは、しょうがないんだ。
合体したのは運命の相手なんだ、と諦めてほしい。
長髪幽霊の〈弥生〉は消火器の噴出を終えても、恍惚の表情を浮かべている。
口の悪い〈美鈴〉と猿に近い〈森本〉の裸のカップルの上に、ジョバジョバと放尿しているぞ。
ピンクのうさちゃんパンツが、落下するほどの勢いだ。
とても気持ち良さそうに見える。
口から垂れた涎も、二人の顔にかかり続けている。
他の液もきっと垂れているに違いない。キラキラの液体が素足にまとわりついて離れない。
「きゃははははっ、最高。 たまんない」
〈弥生〉は復讐をやり切ったんだ。いや、この場合は出し切った方が合っているな。
とんでもないエクスタシー感じているんだ。いっちゃった目がとても怖くなる。
強烈な臭気も発生しだした。拘束状態で失禁したヤツも複数いるみたいだ。
周囲を良く見れば、とんでも無いカオスが広がっているじゃないですか。
少しだけちょっぴりほんのわずかごく控えめに、俺も加担したような気もしてくる。
ヤバイいんじゃないかな。
「あっ、思い出した。 〈聖子ちゃん〉、僕はもう帰るね。 良く考えたら、同窓会には招待されていないんだよ」
「えっ、あっ、帰るの?」
「さよなら」
〈聖子ちゃん〉からの「さよなら」は無かった。
〈聖子ちゃん〉はなんと言っても弁護士さんだ。法的に上手く処理してくれるだろう。
任せたよ。頑張ってください。祈っております。




