不幸な事故っていうヤツだー偶然
「ここが空いているから、〈まうよ〉さんは僕の隣へ来たらいいよ」
「何を言ってるんだ。 俺の隣の方が良いに決まっている。 今すぐ、この席が空くからね。 〈鈴木〉は気を利かして、向こうへいけよ。 おばさんは、いらないんだ」
「はっ、誰がおばさんよ。 あんたこそ、髪が薄い気持ちの悪いおっさんのくせに、よく言うわ」
「なんだと」
三つのテーブルで同じような会話が始まった。
久しぶりだから、和気あいあいと会話が弾んでいた同窓会が、いっぺんにギクシャクしている。
美人とはつくづく罪作りな存在だな。
【旦那様、ここは空気が悪すぎますので、私は退散しますね。 しばらくは、旦那様に潜んでおくことにします。 それと、ペットボトルの炭酸水を買ってください】
わぁわぁと五月蠅い貸し切りの会場から、俺達は一旦外へ出た。
近くの自動販売機にあった強炭酸水を、希望だから〈まうよ〉に買ってあげる。
でもなんでだ。
〈まうよ〉は水分すらとる必要がない。自分が飲むためじゃないよな。
再度、俺だけが会場へ戻って、一つだけ空いている席に座るため歩き始めた。
この誰も座っていない席は〈麻布〉の分だろう。
「えっ、お前だけか。 〈まうよ〉さんはどうしたんだ? 」
「同窓会に嫁が出席をするわけないだろう。 先に帰ったよ」
「ちっ、〈うろ〉なんか見たくもないな。 〈まうよ〉さんがいないなら、今すぐに帰れ。 それが嫌なら、直ぐに連れてこい。 これは命令だぞ」
男の出席者の全員が、射殺すくらいの憎悪を俺に向けてくる。
男の出席者の全員が、「連れてこい」「命令だ」と連呼してやがる。
全員から見下されている俺が、美人の〈まうよ〉を嫁にしているのが我慢出来ないのだろう。
俺が〈まうよ〉を抱いている場面を想像して、歯ぎしりをしているんだと思う。
知ったことか。
お前達なんかと、〈まうよ〉は同じ空気を吸いたく無いんだよ。
俺は男の出席者の言葉を完全に無視だ。当然だろう。
「連れてこい」コールを気にすることなく、俺は無表情に歩いている。
向かっている席の隣には、だらしない腹をした男が座っているのだが、そいつがニヤリと笑いやがったんだ。
皮膚がたるんだブルドッグとほぼ同じに見える中年の男が、下品な目で笑う垂れさがった卑しい顔が目に入ったんだ。
ふん、こいつは何かしようとしているな。
気づいていないフリをして俺は椅子に向かう。
ただし、ブルドッグの体全体をふぁっと見ていた。
ふっ、思ったとおりだ。
足を引っかけようと右足を俺の足元へ伸ばしてきたな。
古典的すぎる。
こいつは中学から何も成長していない。
おぉっと、こんなのかわせないぞ。
あははっ、かわさないぞ、か。
ブルドッグの足を避けようとして、偶然の出来事が起こってしまいそうだ。
不幸な事故っていうヤツだ。
「あぁ、急に足を出すなんてー。 絶対に避けられなーいーよ」
変なメロディーをつけながら、俺はブルドッグの足の甲を踏んづけてしまったんだ。
踏んだ右足に全体重がかかったのは、たぶん、気のせいだと思う。
固い踵を使った踏み抜きになってしまったが、不可抗力だからしょうがないんだ。
「ぎゃー、痛てぇ」
「五月蝿いぞ。 急にどうしたんだ」
同じテーブルのもう一人の中年が、興味なさげに尋ねている。
ブルドッグが嫌いなんだろう。
「痛いんだ。 足の甲が折れた」
「それは大変だ。 ただな。 あんたが足を引っかけようとしたから、こうなったんだぞ。 中学の時から、ほんと悪人だな」
俺は淡々と事実を言ってやる。
「ちょっと待って。 〈うろ〉、あんたね。 〈沢田君〉は足を折ったのよ。 ただじゃすませないわよ」
威嚇するように立ち上がり、文句を言ってくる、おばさんを俺は睨みつけてやった。
「ほぉ、ただじゃすませないって、どういうことだ。 具体的に言ってみろよ」
「えっ、クズの〈うろ〉が、私に逆らった」
目を見ながら、グッと顔を近づけて低い声を出してやれば、なんの覚悟も持っていない文句を言うだけのおばさんは、一歩下がりつつ唖然とした顔になっている。
俺が反抗するとは思ってなかったのだろう。
中学生の俺ならそうだったな。
「俺はクズじゃない。 お前がクズだ。 ぬりかべみたいな、気持ち悪い化粧しやがって。 良く外を歩けるな。 もう一生家から出るな、社会の迷惑だろう」
「くっ、なんてことを言うの。 私は妖怪じゃないわよ」
「俺の嫁を見たよな。 嫁に比べれば、お前は化け物だ。 自分でもそう思うだろう」
「…… 」
ぬりかべは黙ってしまった。
自分でも化け物って少しは分かっているのだろう。
〈まうよ〉と比較するのは卑怯な気もするが、中学の時の虐めはこんなもんじゃなかった。
「〈うろ〉、お前はわざと足を踏んだな。 そんなの犯罪だ。 警察に通報してやるぞ」
同じテーブルのおっさんが、無実の俺を犯罪者に仕立て上げようとしているな。
徹底的にやってやろうか。
「それは違う。 〈うろ君〉はわざとじゃないわ。 〈沢田君〉が足を出したのが悪いのよ」
暴れ回ってやろうと思っていたのだが、元は頭が良くて可愛い女の子から、俺は援護をしてもらった。
〈まうよ〉まではいかないが、可愛い女の子から、すごく素敵な美人さんになっているぞ。
とても四十歳とは思えない。
ハツラツとした若さが体から零れているし、知的な顔立はそのままだ。
簡単に言うとすごく良い女だ。
「〈聖子ちゃん〉は〈うろ〉の味方をするのか。 そんなのおかしいよ」
「何を言ってるのかしら。 〈山下君〉、私は弁護士なんだよ。 嘘なんかつきたくないわ」
「うぅ、痛いんだ。 救急車を呼んでくれ」
〈沢田君〉のことなんか、どうでも良かったのだろう。
誰もまだ救急に連絡をしてなかったらしい。
「〈沢田君〉は、孤高の人なんだね。 見てみろ、誰も心配していないよ」
「くっそ、〈うろ〉め。 それよりも早く救急車を呼んでくれよ。 痛くて堪らないんだ」
「僕は皮膚科だけど、ちょっと見てやるよ。 甲は丈夫なんだぞ。 折れてもないのに、大げさに騒ぎすぎなんだ」
「うぅ、〈山下〉じゃ心配だ。 三流医大にギリギリだったらしいな。 おまけに裏口入学なんだろう」
「なんだって。 失礼だぞ、〈沢田〉。 人がせっかく診察をしてやろうって言うのに、その口のきき方は許せないな。 その噂は誰に聞いたんだ」
やぶ医者の〈山下〉が、ブルドッグの〈沢田〉に詰め寄ろうとしている。
俺は足を少しだけ〈山下〉の足元へ伸ばした。
本当にちょっとだけなんだ。
テーブルの影になっていたから、誰からも見えていない。




