四十歳まで童貞だったー卵時代
見られるのは、〈まうよ〉がベッタリと腕を絡めてくるのと、すごい美人だからだと思う。
化粧を全くしていないのに、飛び抜けたクオリティを持っているんだ。
安いデッキシューズをはいていることぐらいじゃ、華麗な印象が減点されていない。
良い女を恋人にしている嬉しさ以上に、注目されすぎて恥かしくなってきた。
釣り合っているかも気になってしまう。
俺の顔じゃどの角度から見ても無理だろうな。
【あっ、ここよ。 卵時代から気になっていたお店なの】
ずいぶんとませた卵だったんだな。
壁の二方が全面ガラス張りで、高い天井にテレビのスタジオみたいな大きなライトが何個も設置されている。今流行りのお洒落な店に俺は連れていかれた。
俺一人なら絶対に入るはずの無い種類の華やかさだ。
だけど〈まうよ〉はグレーの上下を着ているくせに、ダサいを悪とする雰囲気に全く負けていない。
より豪華であるとさえ感じてしまう。
さすがは妖魔だけのことはある。人を超越した存在感を放っているな。
俺は〈まうよ〉が服を選んでいる間、天上を見上げて、あのライトが落ちてきた時にはこう逃げよう。
あっちのライトが落ちれば向こうへ逃げるべきか、と考え続けていた。
ようは時間を持て余していたんだ。
【ねぇ、〈かっくん〉、どっちの方が良いと思う?】
〈まうよ〉が持っているのは、細かなプリーツの青いワンピースと、ウエストをベルトで締めるタイプの赤いワンピースだ。
さぁて私の好みはどちらでしょう。
私を愛しているのなら正解を言い当てられるはずよ。
男を試す。太古からその存在が恐れられている。デートの定番として出現するクエストだな。
選択を誤れば、たちまち彼女の機嫌は大きく損なわれてしまう極悪な課題ではあるが、俺は無性に嬉しくなってしまった。
このクエストに遭遇するのは、一生叶えられない夢物語だと思っていたんだ。
アニメや漫画の世界の出来事が、今、俺の目の前で発生しているんだ。
幻じゃないよな。
もういつ死んでもいいや。
あっ、神様すいません。
今のは間違いです。
〈まうよ〉と一発やるまでは死んでも死に切れませんです。
「どっちも良いよ。 二つとも買って早く帰ろう」
うわぁ、〈早く〉に俺の本心が漏れてしまっている。
【うふふっ、とっても嬉しいわ。 〈かっくん〉は、私の気持ちを良く分かってくれているのね】
かっ、この女は最低のトラップを仕掛けてきたんだ。
〈どっちの方が良いと思う〉と質問しながら、正解は〈どっちも〉なんて分かるはずが無いだろう。
質問が破綻してやがる。
俺の〈早く帰りたい〉との心の絶叫も虚しく、〈まうよ〉はそれからも買い物を続けた。
靴に下着、タオルや小物類、化粧品などなど、お昼ご飯も食べずに色んなお店を回るんだ。
俺の両手はたちまち紙袋だらけになった。
お腹も空いたから、お昼を食べようと言いかけて、はっ、と思い出した。
〈まうよ〉は食事を必要としなかったんだ。
俺の負の感情を食べているんだ。
女王様のお荷物を持ち、後ろからヨタヨタと腹を空かせてついていくのが、俺の役割なんだと思う。
下僕にしか見えないだろうな。
【うふふっ、沢山買っちゃったね。 ただお洋服が裸じゃ可哀想だし収納する家具が必要ね。 お化粧するための鏡台もほしいな】
俺がダメだと言うはずが無い、一発させてもらえるまでは何でも買ってしまうぞ。
微笑みながらおねだりされたら、月の土地でも買うはずだ。
「そうだ。 いっそのこと、家具付きのマンションに引っ越すか?」
【うん、良い考えだね。 手っ取り早くて良いと思うよ。 〈かっくん〉は頭が良いな】
俺は〈まうよ〉に頭を撫ぜてもらいながら、〈晴れ晴れライフ〉に電話をかけてみた。
休日なのに営業をしている不動産業は大変な職種だよ。
「今直ぐに家具付きのマンションをご希望ですか? 今あるのは事故物件しかないですね」
「事故物件とは?」
「幽霊が出ると噂がたってしまったのですよ。 祟りが怖いと借り手がつかないので困っているのです」
「へぇー、自分で住めばお得なのに」
「ひゃぁ、とんでも無いですよ。 まだ命が惜しいです」
不動産屋さんのくせに、そんな事を言ってもいいのか。ただ正直ではあるな。
【立地も良いし広さも問題ないわ。 家賃も安いんだし、そこに決めちゃいましょう】
「ただな、幽霊が出るんだぞ」
【ふふっ、私が何か分かっているの。 幽霊の一匹や二匹、パパっとお掃除してあげるわ】
えらく簡単に言ってくれるけど、妖魔は幽霊に勝てるのだろうか。
怪異のカテゴリーが違っている気がするんだけどな。
だけど、その事故物件のマンションを契約することにした。
今の俺には〈まうよ〉に逆らう根性なんて少しも無いんだ。
早くやりたいと下半身が身悶えしているよ。
「えっ、良いのですか。 塩漬けの物件を処理した、私の評価は爆上がりですよ。 本当にありがたいことです」
「ミネラルウォーターの営業に行きますので、その時はよろしくです」
「〈うろさん〉なら、即決ですよ。 社長に言っておきますね」
このアパートで寝るのも後わずかだと思いながら、〈まうよ〉がお風呂から出てくるのを待っている。
ジリジリとホットプレートで焼かれるように、心が焦ってしまう。
架空請求が届いた以上に、とても心配になってしまう。
小学生の時にあった鉄棒の授業を超えて、自分に自信が無くなってしまう。
四十歳まで童貞だったんだから当然である。
よく分からないことを叫んでいないだけで、お前は勇者だと絶賛してほしいくらいだ。
それほどまでに、おっさんの童貞は闇を抱えて、こじらせているものだ。
病を抱えていると言えるだろう。
簡単に言えばすごく怖いんだ。
自分が無様さにしか振る舞えないことに。




