表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/16

第4話『沈黙する白花』

 遠くで水が揺れているような感覚があった。

 けれど、それが現実の音なのか夢の残り香なのか、判別がつかない。


 何かが、ぬくもりとして、そっと触れている。

 額に。指先に。心の奥に。


 その感触を探すように、シアノはゆっくりとまぶたを開いた。

 光が差していた。まるで水の底から見上げたような、やさしい光。


 目が合った。


 ――イーヴだった。


 彼の顔が近くにあって、そして……泣いていた。


「……シアノ……」

 その声はかすれていて、震えていた。


 次の瞬間、シアノの身体は強く、けれど壊れ物を抱くように、抱きしめられていた。

 何も言わず、ただ彼の腕が包み込んでくる。あたたかく、切なく、揺れるように。


「……戻ってきてくれて、ありがとう……」


 その一言が、胸の奥に染み込んでいく。

 聞いたことのないイーヴの声だった。張り詰めた糸が切れたような、抑えきれない感情がにじんでいた。


「……そんなに……心配してくださったのですか……?」


 それは、問いというより、呟きに近かった。

 でも、イーヴはしっかりと頷いた。

 少しだけ距離をとって、彼女を見つめる。その目が、濡れていた。


「……当たり前でしょう。……でも、本当は……」


 彼は言いかけて、少し視線を落とす。


「本当は、こうして抱きしめる前に……話さなければいけないことがあるんです」


 その声音は、どこまでも誠実だった。

 だが、それ以上に痛々しくて、触れたくなるようなものだった。


「あなたの今のお立場について……制度のこと、陪花申請のこと……」

「本来なら、僕は……感情を差し挟むべきではない立場なんです」


 けれど、と言葉を切るイーヴの手が、わずかに震えていた。

 その手は、シアノの手をずっと包み込んでいた。


「……それでも、あなたの気持ちを何よりも優先したい。

 制度でも、僕自身の意志でもなく――あなたの心を、一番にしたいんです」


 沈黙が落ちた。


 けれど、それは怖い沈黙ではなかった。

 波の音のように、優しく、胸の奥で響いていた。


 やがて、シアノはふっと息を吐いた。

 そして、笑った。


 微笑というには、少しだけ泣き顔に近い、やわらかい表情だった。


「それでも……イーヴ様の声が、こうして聞けて……ほんとうに、よかったです」


 その一言が、すべてだった。


 イーヴは答えなかった。

 ただ、彼女の手を、もう一度だけ強く握った。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ