第2話 続『水面に映るもの』
天樞の館――その奥、サシャの居室にて。
装飾を抑えた美しい空間に、三人だけの作戦会議が始まっていた。
「さあ、作戦会議やるわよ」
カミーユが軽く手を叩いて宣言する。
「ええ」サシャが頷く。
「……はい」イーヴは静かに返した。
「そんな泣きそうな顔はやめなさい、イーヴ」
カミーユが鋭く、しかしどこか優しい声で言う。
「はい……」
「泣かないでよ。もう、だんだんめんどくさくなってきた。あいつら全員、焼き尽くしてやろうかしら。そしたら、ちょっとは宗家棟も涼しくなるんじゃない?」
「大賛成!」とサシャが応じる。「今日は、さすがにむかついたわ。あのアーシュラ、何様?」
「ほんとよ。なにあれ?なんで、このあたしがあんなケバケバしいの選ばなきゃならないのよ。あいつ選ぶくらいなら、養老棟のバーサンたちの誰かを指名してやるわ」
「それいい!」
二人のやりとりに、イーヴがようやく顔を上げる。
「申し訳ありませんでした、お二人とも。少し疲れて、感傷的になりすぎていたようです」
「無理もないわ」とサシャ。「で、彼らの様子、見たでしょ? あれ、やっぱり薬の影響なの?」
「解析してみないとどの薬品かは断言できませんが……指向性のある向精神薬と思われます。状況から考えて、シアノに使われたものを、かなり希釈して使ったのではないかと」
「そうよねえ」カミーユが目を細める。「あたしたち宗家は、多少の差はあれど、みんな高い耐毒性持ち。効く毒なんて、ほんのわずかしかない」
「それで、どうするの?」とサシャ。「薬が使われてるとは言え、あれは“正式な申請”。申請そのものは、制度上なんの問題もないわ。黙らせるには、何か手を打たないとまずいわよ」
「サシャ、あんた何言ってるの? あたしにだって、好みはあるの。あんたとシアノ、比べればわかるでしょ、ある意味正反対よ。無理よ、無理無理。勘弁して、お願い」
「そうよねえ」サシャは肩をすくめる。「まあ、これは“どうしようもなく進退窮まったとき”用のプランだと思ってちょうだい」
少し間を置いてから、イーヴを見つめる。
「イーヴ、心の準備をしてから、聞いて。……主人の代理でシアノを抱くという手段も、ないわけじゃないの。あなたとシアノは、それぞれ侍従と侍女。事情は違うけど、例がないわけではないわ」
「……はい」
サシャはその答えに、小さく微笑んだ。
「これは私が始めた戦い。なるべく、そういう事態にならないように、全力で守るつもりよ。だから、どうか――信じて」
その夜遅く、イーヴはそっとシアノの眠る部屋へ戻った。
静まり返った部屋に、薬草の香りが淡く漂う。
眠り続ける少女の小さな手を、彼は両手でそっと包み込む。
その肌は、まだどこか冷たくて、かすかに震えていた。
「……できることなら……」
イーヴはかすれるような声で呟いた。
「できることなら、シアノの気持ちが固まってから……君の意思を、君の言葉で聞いてからにしたい。僕のしたいことも、決めたいことも――全部、君の気持ちを一番にしたいのに」
握った指に、返事はない。
それでもイーヴは手を離さなかった。
その静かな温度が、彼の心の底に灯をともすように感じられたからだった。