「第4話」
私が聞くと、店主は答えた。
「相変わらずですよ。すぐ隣に『魔女の森』がどんとありますからね」
月に一度ほど訪れるこの村は、他の地域に比べて発展の速度が遅かった。私のせいだ。元々は不気味で薄気味悪いだけだった名もなき森は、私が住むようになってから“魔女の森”と呼ばれるようになった。それから何百年も時が流れた。ただでさえ不吉に思われていたその森は、さらに人々に敬遠されるようになり、いつの間にか『決して入ってはならない禁じられた森』になってしまった。その影響か、本来なら放っておいても自然と成長していたはずの村は、魔女の森が近くにあるというただそれだけの理由で足を引っ張られ、よそ者の訪問も減っていった。
来るとしても、せいぜい探検欲に駆られた数人の人間くらいだったし。今ではそれすらないが。
――それももう数年前の話だ。人の往来が盛んでないから、村が大きくなるはずもない。
「そういえば、最近ちょっと面倒なことが起きてるんですよ」
「面倒なこと?」
突然思い出したように言う店主の言葉に、私は耳をそばだてた。
「ベニアサ公爵家、ご存知ですよね?」
「有名だから」
ベニアサ公爵家は、帝国を支える二大公爵家の一つで、字が読めない平民でも生きていれば自然と耳にする名前である。
「そこから騎士たちがどっと押し寄せてきて、誰かを探して村中をうろついてるんですよ。通りすがりの人を片っ端から捕まえているんです」
ベニアサという名前が店主の口から出た時点で、私は察した。知らないはずがない。今、私の元にいる男の子がベニアサ家出身の貴族だから。あの子の金髪と碧眼は、その家系の正統な血筋を示した。そして死んだ男が身につけていたあのバッジの紋章。本人はまだ自分のことを明かしていないが、初めて見た時から気づいていた。きっと、あの騎士たちが探しているのは、私の家にいるあの子なのだろう。
「何人かは魔女の森に入っていったそうですよ。戻ってきたという話がないということは、どうなったか察しがつきますね」
店主は当然のことだと言わんばかりに肩をすくめた。
「死に来たわけでもないのに、この辺りに何があるって必死に探しているのか分からないです。見つからなかったら、さっさと諦めて帰ればいいのに」
店主はそのせいで無駄に騎士を失ったと、首を横に振った。
「他に聞いた話はないか?」
「そうですね。うーん……これは俺の知人から聞いた話ですが、彼の知り合いが公爵夫妻が亡くなったという噂を聞いたらしいです」
「そうか?」
「いやぁ、信じるべき話ではないですよ。なんてったって公爵ではないですか。そんな人が死んだなら、どうして騎士たちがこんな田舎に来るんですか?ぜんぜん無関係なのに」
無関係だなんて。深い関わりがあった。だが、それを知らない店主は、「噂なんて、あんまり信じるもんじゃないですよね」と言って、手をひらひらと振った。
「でもまあ、ベニアサ家の騎士たちがわざわざここまで来て捜索してるってことは、何かあるかもしれませんね」
「しばらくすれば収まるだろう」
「そうでしょうね。とはいえ、その間はちょっと不便になりそうですよ。俺も一度捕まって、ひどい目に遭ったんですから」
その時のことは思い出したくないと言いながら、店主はぶるっと震えた。続けて私を上から下までじろじろと見た。
「薬師さんは、何事もなかったみたいですね」
「今のところは、運良くね」
「気をつけてくださいね」
「そのつもりよ」
それなりに真剣に答えたと思った。だが、店主には物足りなかったようだ。
「いやもう、本当に気をつけてくださいよ。通りすがりの人を手当たり次第に引き止めるけど、とくに見た目が怪しい人は狙われやすいらしいですよ」
怪しく見える人、か。店主がなぜ言葉を付け足したのか、なんとなく察しがついた。
「私たちは薬師さんのことを知ってるからいいですけど、外から来た騎士たちの目には、薬師さんの格好ってちょっと誤解を招きやすいかもしれませんから」
黒いローブに、フードまでかぶっているのだから、そう見られても仕方ないかもしれない。
「しばらくの間だけでも、違うローブを着てみてはどうです? 普通、薬師さんみたいな方って、ああいう暗い色の服はあまり着ないですし」
「すぐ立ち去る騎士たちのために、着慣れたローブを変える必要はないさ」
「それは関係なくて、人を助ける良い薬を作ってるのに、その印象がちょっともったいないです。私も最初は……はは、もちろん今は違いますけどね」
「分かってる。まあ、君の話は一応考えてみよう」
最低限の情報も得たので、会話を切り上げて再び店を後にした。店主には『考えてみる』と言ったものの、ローブを変えるつもりはこれっぽっちもなかった。黒い髪のせいで、何を着ても目立ってしまう。
隠せるのは、せいぜい同じ黒くらいだし。
ベニアサの騎士たちに捕まって厄介なことになる前に、私は足を急いた。幸いなことに、いつも通る道に誰とも鉢合わせることはなかった。
……ん?
途中、ふと目の端に、とある可愛い看板が目を留まった。子どもが喜びそうなお菓子を売っている、飴屋だった。普段なら気にも留めずに通り過ぎていたはずだ。だが、今は家に子どもがいるせいか、どうしても目が離せなかった。
「……気に入ってくれるかな」
つい、引き寄せたように一つ買ってしまった。
***
「おとなしくしていたようだな」
家に戻ると、出かける前と変わらない風景だった。ただ一つ、食卓の椅子にピクリともせず、きちんとした姿勢で座っている男の子だけは違った。
「たまたま道で拾った」
村で買った棒付きキャンディーを、男の子に向かって軽く投げた。弧を描いた飴は、その子の手元へと飛んでいった。男の子は自分の手に握られた物をじっと見つめ、再び私を見上げた。
「これは?」
「見ればわかるだろ」
「知ってるけど……」
男の子は飴の棒を指でつまんで、くるくると回すばかりで、包みを開けて食べることはしなかった。何か考えているようで、その指先の動きに微かな緊張が感じられた。いつ食べるのだろうかと見ていたら、その子が口を開いた。
「話がある」
「言ってみろ」
「その……」
飴の棒をくるくる回していた男の子は、ふいにぎゅっとそれを握りしめ、椅子から急に立ち上がった。大股でこちらに歩いてきて、私の目の前で立ち止まった。
「俺が治ってもここにいさせてくれ」
男の子はぎゅっと拳を握りしめ、真剣な眼差しで私を見つめた。
――だけど私は、その視線から目を逸らした。
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