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「第2話」静かな波紋

家へ戻った。壺とバッジをベッドの横にあるテーブルに置いた。男の子はまだ眠っている。


無視したら楽なのに。


男の子の顔にあるいくつもの傷跡が目に入った。


せめて、目につくところだけでも。


体全体を洗ってやるのは難しかったので、傷口だけ簡単に消毒し、薬を塗った。


「うっ……」

「小さいのに、もうこんなにも数奇な運命だな」


出自だけを見れば、誰よりも贅沢な暮らしをしていたはずだった。だが、それも今となっては過去の話だろう。この子に何があったのかは知らない。とはいえ、どんな困難を乗り越えてここまでたどり着いたのか、だいたい察しはついた。たぶん、これからも平穏な道ではないだろう。


どう乗り越えるかは、お前次第だけど。


傷が悪くならないように、包帯を巻いてやった。男の子の顔色を確認すると、冷や汗をかいていた。額に手を当てると、熱があった。


はあ。


複雑な感情が絡まり、言葉にできない思いがため息となって漏れた。


今日は諦めるしかないな。


薬を調合するつもりだった。だが、今のこの子の様子を見れば、作りたくても無理だ。浅いため息をつき、席に立った。氷を入れた冷水と清潔なタオルを用意して、水に濡らしたタオルを子どもの額にのせた。


「う……」


突然の冷たさに、男の子が眉をひそめた。どんな反応を見せようと気にせず、私は乾いたタオルで冷や汗を拭いた。


「解熱剤も飲ませるか」


私は男の子の看病をしながら時間を過ごした。合間にこわばった体をほぐすため、軽くストレッチをした。ふと鏡に映った自分と目が合った。


「……隠さないとな」


自分の家で自分の姿を隠す日が来るとは思わなかった。




***




男の子が目を覚ましたのは、日が沈んだ夜だった。


「うぅ……」


食事を用意していた手を止め、ベッドを見た。目を開けたばかりなのか、男の子はぼんやりと天井を見つめていた。


「目が覚めたか」

「だ、誰?」


声を聞いた途端、子どもはパッと起きた。額にのせていたタオルがポトリと落ちた。


「こ、ここは……ごほっ、ごほっ、ごほっ」

「水は隣にある」


驚いたのか、男の子は乾いた咳を繰り返した。視線でコップを指し示すと、男の子はそっと周りの様子をうかがいながら、コップに手を伸ばし、口元へ運んだ。


「ここ、どこ?」

「私の家」


子どもらしくない、堂々とした口調だった。なるほど。さすがに高貴な身分の子だと感じた。


「俺が聞いてるのは——!」


不機嫌な様子で私が見つめると、男の子はびくっと肩を震わせて、うつむいた。つづいて手にしたコップをいじりながら、唇を動かした。私は男の子が何を聞きたいのかは分かっていたが、あえて答えるつもりはなかった。


「あ、あなたは誰だ?」

「察しはついてると思うだが?」

「……魔女?」

「正解」「——!」


男の子の体が硬直したのが、見なくても分かった。私は今暗い黒のローブを頭のてっぺんまでかぶり、さらに布で目元を覆っていた。この子の推測を十分に裏付けるだけの身なりだった。私は男の子を無視して途中まで作っていた料理に手を伸ばした。もう十分煮込んであるので、器に移すだけだった。


「お、お前……ほ、ほんとうに魔女なのか?」

「自分の足でここまで来ておいて、信じられないのか? それとも、ここがどこかも知らずに来たと言うつもりか」


私の言葉が図星だったのか、男の子は何も言わなかった。その間に、私はおたまですくって料理を移した。


「食べろ」

「これは……?」

「ポリッジだ」


私の言い方は冷たかったが、それとは関係なく子どもを空腹のままにしておくことはできなかった。連れてきた以上、最低限の責任はある。この子の体はかなり衰弱している。何でも食べさせられないので、消化に良いものを用意した。だが、男の子は器を持ったまま、スプーンを取ろうとしなかった。


「食べないのか」

「し、しかし……」

「ここで死体を片付けるつもりはない。」


冷たく言った効果はあった。ようやく、男の子がスプーンを手に取り食べ始めた。


「あ、あの……」


途中で男の子は私に声をかけてきた。私は何の用かと、顔だけそちらに向けた。


「治療も、そなたがやってくれたのか?」

「では、誰がやったと思うか」

「……ありがとう」


尊大な口ぶりではあるが、耳障りな言葉ではなかった。男の子は慣れていないのか、ぎこちなく見えた。


まだ純粋ってことか。


もし大人だったら、そんな言葉は心にも浮かばなかっただろう。魔女と知りながら私に「ありがとう」って言った人を見たのは、いつ以来かしら。上がろうとする口角を抑え込み、身をさっと向けた。フードで顔を隠しているとはいえ、その微笑さえこの子に見せたくなかった。


「礼なんていらない。くだらないことを言わずに食べなさい」


しばらくして、ベッドのほうからカチャカチャと音がした。再び食べ始めたようだ。


「あの……」


私を呼びかける声に、顔は向けず耳だけ傾けた。


「ドレヴァント卿は?」

「その名の者が誰なのかは知らぬが、紫の髪をした男のことなら、もう死んだ」

「あ……」


伝えるべき事実を伝えた。やはり衝撃だったのか、男の子からの反応はなかった。その間に、テーブルに分けておいた薬草をそれぞれの容器に収め、整理した。


「勝手ではあったが、そのままにしておけなかったので火葬した。お前のそばの棚の上に壺があるだろう。あの中に、その男の遺灰を入れてある」

「……」


男の子は何も言わなかった。壺の隣には、男が持っていたバッジも置いてあるが、子どもならすぐに分かるはず。


「その隣の小さい瓶は薬だ。食後に飲むといい」


伝えるべきことはおおよそ伝えた。かごに入れていた薬草もすべて整理し終えたので、ドアの方へ向かい、取っ手に手をかけた。


「一人で落ち着く時間も必要だろう。私は席を外すので、ここで寝ようが、何をしようが勝手にしなさい。」


ギィーッ。バタン。そう言い残し、私は扉を開けて外に出た。部屋が一つしかない簡素な住まいだったため、子どもに一人の時間を与えるには、こうするしかなかった。私の見た目を見えないようにかぶっていたローブのフードを外した。夜風にひらりと揺れ、闇よりも濃い黒髪が柔らかく舞い上がった。今夜も、空の星々は変わらず美しく輝いていた。酷いほどに。

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