「第11話」
水を浴びた瞬間、すぐに察した。
――わざとだと。
一体どういうつもりなのか。
とても事故とは思えなかった。渓谷のそばにいたとはいえ、水しぶきが届くほど近づいていたわけではない。簡単に濡れる距離ではなかったのだ。ましてや、レイゲルは自分の身体の扱いに長けている子だった。魚がうまく捕れずに苦戦していたとはいえ、私のところまで水を飛ばすくらい、難しくはなかったはず。当然、出る答えは決まっていた。
「……」
ぽたっ、ぽたっ。
ローブから滴り落ちる水が、地面に一定のリズムで音を立てて落ちていく。子どもが仕掛けた攻撃は、脅威とは程遠いものだった。だが、そのおかげで頭からすっぽり被っていたフードも、身にまとっていたローブも、見事にびしょ濡れになってしまった。
「……これのために呼んだのか」
私は一言だけ呟いてレイゲルを見やった。青い目は私の出方をうかがっていた。ただそれだけで、自分の行動が間違っていたとは思っていないようだった。やはり――わざとだった。
「魚が獲れないのなら、不器用な自分の腕を責めろ。関係ない他人に当たり散らすな」
「八つ当たりじゃないです。ただ……」
「ただ?」
レイゲルは言葉を濁しながら、言葉を探すように口元がわずかに震えた。『続けて話してみろ』という意思を込めて、私は顎をほんの少しだけ上げてみせた。
「師匠、濡れたままだと気持ち悪くないですか?」
――ああ。ようやく、レイゲルの突拍子もない行動の理由を理解した。
「そんなに見たかったのか」
私は以前、『私がローブを脱がない理由に関しては、気にするな』ときっぱり言ったことがあった。それ以来、レイゲルは何も聞いてこなかった。だから、もう気にしていないと思っていた。だが、違った。私が隠すことばかりに意識が向いていたからこそ、あえて無関心を装っていたのだ。
――この瞬間のために。頭の回転が速い子だったから、これくらいの計画は難なく立てられたはずだ。結局、私の油断が招いた結果だった。
「師匠の方こそ、隠しすぎじゃないですか?」
レイゲルの口調は非常にぶっきらぼうで、まるで私に文句を言っているかのようだった。呆れることだった。文句、だって。
「まるで私たちが親しいみたいにいってるよな」
「し、師匠と弟子じゃないですか」
「だから?」
「えっ……」
レイゲルは口ごもった。大きく見開かれた目と揺れる瞳が、衝撃を受けていた。だが、そんな反応を見せられても無駄だった。
「言葉通りだ。私は結局、あなたを弟子として受け入れたが、それはあなたの事情による一時的な関係にすぎないのではないか」
「それは、そうかもしれませんけど……」
「どうせ他人に戻る仲なのに、見せたくもない姿をなぜ見せる必要があるんだい?」
たとえ今まで穏やかに過ごしていたとしても、決して忘れてはならないことだった。どれだけ時が経とうとも、決して忘れてはいけない。そんな意味を込めて、冷たく言った。
――私は『魔女』ってことを。効果はあった。レイゲルは肩をぴくりと震わせ、自分の服の裾をぎゅっと握りしめた。
「師匠が見た僕は未熟だから気に入らな……」
「誰があなたを未熟だなんて言った?」
「……え?」
レイゲルは、私がこれまで出会ってきた者の中でも指折りの才を持つ、天賦の才に恵まれた子だった。時折、貴族的な傲慢さが顔を覗かせることもあるが、それは些細なことに過ぎなかった。何より、生き延びようと必死に足掻いていた。まだ十歳にも満たない子に過ぎないのに。認めたくはないが、憎めない子だった。
ただ、
「お前が言った通り、いずれ去るのだろう」
情を与えてはならない。持たせてもいけない。冷たく接する必要のない場面であえてそうしていたのも、すべてはそのためだった。
「その短い間に私がどう過ごすかは、私の自由だ」
「去るつもりだけど、長くなるかもしれないのに……」
「長くなったとして、どれだけ長いって言うんだ。お前が歳を重ねてじいじいになるまで生きたとしても、私が過ごしてきた年月に比べれば、一瞬なのだ」
とはいえ、そこまでの時間を共にすることはあるまい。せいぜい、数ヶ月程度の付き合いになると思った。
「師匠にとってそうかもしれませんけど、僕は……俺、俺は……」
「……レイゲル?」
レイゲルの肩が小刻みに震え始めた。続いて、大きな瞳にころんと涙が浮かんだ。
――しまった。
年齢のわりに芯の強い子だったから、これくらい言っておかないと素直には受け入れないと思った。人との関わりをできる限り避けて生きてきたことで生まれてしまった弊害なのだろうか。どれだけ大人びた言動を見せようとも、中身はまだ未熟な子どもであることを見落としてしまった。
「僕は……!」
レイゲルは深く俯いた。まだ水の中にいたから、あの子の顔と向き合った水面に、ぽたりぽたりと雫が静かに落ちていくのが見えた。反射的に座っていた体を起こした。そのまま、レイゲルがいる渓谷の中へと足を踏み入れた。
じゃぶじゃぶ。
急いだせいで、服をたくし上げる暇もなかった。脛まで水に浸かり、ぐっしょりと濡れていた。
「ここは師匠の家だからくつろいでほしくて言っただけなのに……」
近づくと、レイゲルの小さな呟きが聞こえた。
「期間付きの弟子だとしても、それでも弟子なんだから師匠のために……」
すすり泣くような声が、胸の奥をざらりと引っかいた。見て見ぬふりをしたくても、泣いている子どもを放ってはおけなかった。
「……はあ」
胸の奥からため息をひとつこぼし、私はレイゲルの頭にそっと手を置いた。
「すまないな。私の考えが浅かった」
「……師匠?」
「私にとっては一瞬でも、あなたにとっては決して短くはないはず。その時間を気にするのも無理もないだろう」
「……」
レイゲルの頭がわずかにぴくりと動いた。だが、それきり――俯いたままの顔は上がらなかった。
「ただ、私が今までローブを脱がなかったのは、ちゃんと理由がある。あなたは賢い子だから分かっていたはずだ」
「……はい」
「それでも私に脱いでほしいのか?」
「はい」
レイゲルはこくりと頷いた。頭の上に置いていた手を下ろし、私はフードに両手を添えた。
――本当に、こういうつもりはなかったのに。
「そこまで見たいと言うのなら、仕方ないな」
ばさっ。
私はこれまで顔を隠していたフードを、ゆっくりと後ろへ払った。