第9話 雨過ぎて天晴るる
第二艦隊から派遣された山本大佐、伊達中尉、佐々木少尉は初めて見る西洋風の城を興味深そうに眺めながら場内を案内されていた。廊下や階段の踊り場等に置かれた調度品や絵画を見るたびに感嘆の声を上げる彼らにベアトリーチェやディアナは「くすっ」と笑いを零した。
国王執務室に案内された山本大佐等は早速補給に関しての打ち合わせを行い、肉野菜等の必要な生鮮食料、調味料、保存食の配分と艦隊への輸送について取り決めた。食べ物に関しては日本にあるものとそう変りなく、穀物も小麦粉が主であるものの、米もあって伊達中尉を喜ばせた。
「米があるのは大変助かります。我々日本人は米が主食なので、これを食べないと力が出んのです。後で穀物倉庫を確認させてください」
「……。(お米が主食だなんて食文化も違うのね。この国では食用米粉か家畜の飼料用に生産してるのだけど、何が役立つかわからないわね)」
次に、世界地図を広げ、今後の行動について協議を始めた。山本大佐が指示棒でテーチス海のほぼ中央に位置するフリッツ諸島を指し示した。
「ヴァナヘイム帝国艦隊ですが、このフリッツ島の海軍基地を拠点として補給を整え、この国に侵攻してくると考えられます。問題は侵攻ルートです。フリッツ島とトリアイナ島の間は約6千キロの距離がある。大型艦なら往復可能でしょうが、中小型艦はそうはいきません。必ずどこかで補給が必要になります」
「うむ。我々もそう考えている。ここを見てくれたまえ」
アルゲンティ大将が指示棒である一点を示した。トリアイナ王国の4つの島のうち、南方に位置するミノア島の南西、約1千キロほどの場所に小さな諸島があった。
「ここは、我が国の領土でマルティア諸島という。サンゴ礁で出来た島で大艦隊でも収容出来る広い泊地があり、海軍基地が置かれている。と言っても、哨戒艦が数隻常駐しているだけだ。ヴァナヘイムの艦隊はマルティア泊地を襲い、補給基地にすると睨んでいる」
「その可能性は十分にありますね」
「そして、我々には阻止する手段がない…」
「索敵及び連絡手段はどうなっていますか?」
「現地司令の判断で哨戒艦による周辺海域の哨戒は行っている。帝国艦隊を発見した場合は、島に設置している魔導通信機で本国に連絡する手筈になっているが…」
(艦隊を発見できなければ連絡する時間はないと言いたいのだろうな…。やはり、航空機による索敵しか無いか。それに無駄な戦死者を出すのも忍びない…)
「アルゲンティ大将、マルティア諸島には民間人は居住されていますか」
「あ、ああ。約2千人ほどいるが…」
アルゲンティ大将は山本大佐の発言の意図が分らず頭を傾げた。
「マルティアの海軍基地を放棄なさってください」
「な、なんだって!? 理由を聞かせては貰えないか?」
「マルティア諸島はヴァナヘイムによって占領されます。その際、戦闘によって住民にも大きな被害が出ると予想されます」
「……。海軍の哨戒艦を使って住民を退避させろ…。と、言うことか」
「その通りです。占領地は艦隊を退けた後に改めて奪還すればよいと考えます」
「それはその通りと思うが、帝国艦隊の監視はどうするのだ?」
「監視は我が艦隊が行います」
「どうやって?」
「2隻の空母、天城と葛城には艦上偵察機「彩雲」が搭載されています。彩雲による航空偵察を実施します。侵攻ルートがある程度判明しましたので、哨戒線を策定して上空から偵察を行えば、船による監視より効率的に発見することが可能です」
「その、サイウンとはどういうものなのだ?」
「彩雲とは日本が開発した偵察機で単葉三座、2千馬力級の発動機「誉」を搭載し、最高時速は609km、実用上昇限度10,000m、航続距離は落下増槽装備で5,300km、航続距離及び高高度性能に優れ、かつ高速である高性能機です」
山本大佐の説明に、その場に居合わせた全員からどよめきが起こった。ヴァナヘイム帝国の飛行機械「ドローム」でさえ、搭載魔鉱石の大きさと機関の関係で時速300kmがやっとのはず。今目の前にいる人物達は、この世界とは技術の方向性が異なる世界から来たのだと思い知らされる。皆が驚いている中、ディアナ王女だけが目をキラキラさせて大きな声を出した。
「うわぁ~っ! 凄いです。そんな飛行機械があるのですか!? ヤマモト様、ディアナはその「サイウン」とやらを見てみたいです! 見せて頂くことは可能でしょうか」
「ほう。ディアナ様は飛行機に興味がおありで?」
「はい! 飛行機械に乗って鳥のように大空を飛ぶのがわたしの夢なんです!」
「ははは、わかりました。伊藤長官に連絡をしてみましょう」
「ありがとうございます! えへへっ、嬉しい!」
「もう…。ディアナったら…」
「いいではないか、ベアトリーチェ。許可が下りれば産業省からも視察させたい」
「父上まで…。ほんと、ディアナには甘いんですから」
大和から来た3人の連絡員は、屈託のない笑顔で喜ぶディアナに微笑ましい感情を抱いた。しかし、まだまだ決めなければならない事項は多い。直ぐに真顔に戻すと、協議に移るのであった。
途中休憩を挟んだ打合わせが終了したのは、日も落ちた夕暮れだった。長時間、顔を突き合わせての話に全員疲労困憊だったが、山本大佐は半舷上陸の調整のため、歓楽街を視察したいと申し出た。
「お疲れの所、申し訳ありません。できれば案内をお願いしたいのですが…」
「よかろう。ジェフリー、お前が案内して差し上げなさい。そして、今後ヤマモト大佐の世話役として、便宜を図るように」
「ハッ、謹んで承ります。父上」
続いて伊達中尉が手を上げて発言を求めた。
「実は艦隊の食糧事情は切迫しておりまして、早急に補給が必要なのです。可能なら食料の備蓄倉庫を見せて頂いてもよろしいでしょうか」
「ふむ…。可能か?」
農務省の担当者が問題ない事を告げると、フェリクス国王は子供達を見回した。
「ダテ殿には誰を補助に付けようか…。アーサー、よいか?」
「私がダテ様のお手伝いをします!」
「ベアトリーチェ!?」
はいっ!とベアトリーチェが手を上げた。娘の積極的な発言に少し訝しく思ったフェリクス国王だったが、伊達中尉に確認すると、特に問題ないし王族の方に助力してもらえるのは有難いとの事だった。ベアトリーチェは心の中でガッツポーズをする。
山本大佐は佐々木少尉を引き連れて繁華街を視察に行き、伊達中尉はベアトリーチェ、農務省職員、アルゲンティ大将と共に国が管理する食料の備蓄倉庫を視察に出かけた。3人とも戻ってきたのは日付も変わろうかという時間で、与えられた部屋のベッドに倒れ込むと泥のように眠りについたのだった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
山本大佐らが派遣された翌日の午前中、フェリクス国王自ら3日前に突然現れた艦隊について説明するという事で、王宮前には大勢のトリアイナ市民が集められていた。
市民の間には不気味に沈黙して、トリアイナ沖に居座っている見たことも無い艦隊に敵だ味方だと色々な噂をし合い、中には王室はヴァナヘイムにこの国を売り渡し、あの艦隊は王室脱出のため、ヴァナヘイムが差し向けたというような悪質なものまであった。このため、人々は家に閉じ籠ったり、郊外に逃げたりと混乱していた。その艦隊について国民に説明するというので、数万にも及ぶ市民が集まっていた。
王宮2階の大テラスに国王一家が姿を現した。その脇に見慣れない紺色長ジャケットを着用した3人の人物が並んで立っている。集まった市民に手を上げて静かにさせると、国王は拡声器を使って、事の経緯を説明した。
「皆の者、よく集まってくれた。突然、沖合いに見慣れぬ船が多数現れたことで不安になっただろう。王室は彼の者等と接触することができた。結論から言うと、彼等は敵ではない」
敵ではない。では一体何者なのかと市民達の騒めく声がテラスまで響いてくる。フェリクス国王は手を上げて静かにさせ、艦隊の正体について説明を続けた。
「あの艦隊は日本帝国海軍第二艦隊という名称で大和と言う名の大型戦艦を旗艦に頂き、航空母艦天城、葛城。軽巡洋艦矢矧と駆逐艦8隻からなる戦闘艦部隊だ。皆は日本帝国という国を聞いたことはないだろう。それもそのはず、彼らは超自然的な現象によって時間と空間を飛び越え、別の世界からここに来たのだ」
別の世界からの来訪者。その言葉に集まった市民は絶句した。フェリクスの言葉は続く。
「彼らは元の世界に戻る事は出来ないとの事。よって、トリアイナ王国は人道的立場から彼らを受け入れ、必要な物資の提供、居住地の提供を行うことを決めた。また、迫りくるヴァナヘイムの脅威に対し、第二艦隊は我が国を防衛するため、前面に立って戦ってくれると約束してくれた。彼らは危機に陥った我々を救うため、神が遣わした救世主なのだ。トリアイナの民よ、異世界から来た救世主と手を取り合い、一致団結して来るべき脅威に立ち向かおうではないか。皆の協力に期待すること大である!!」
フェリクス三世の演説は終わった。突拍子もない内容であったが、現実に艦隊は存在する。しかも、国を守るためヴァナヘイムと戦ってくれるという内容に、集まった市民達は歓喜し、大声を上げる者、涙を流して抱き合う者等、喜びを露わにしている。その様子を眺めていた山本、伊達、佐々木の3人はヴァナヘイム帝国の脅威がどれだけ国民の心理的負担になっていたのかと再認識したのであった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
第二艦隊について公式に発表された日の午後、山本大佐等は与えられた執務室で、打ち合わせと視察の結果について整理していた。
「敵の侵攻ルートは凡そ予想がついた。後はいつ襲って来るかだが、まだ少しは余裕があると思われる」
「それはどうしてですか?」
佐々木少尉の問いに、山本大佐は壁に貼られた世界地図を指し示した。
「フリッツ諸島とトリアイナ本国の間にはいくつか島があるが、いずれも規模が小さい火山島だ。艦隊の泊地となりうるのはマルティア諸島と、赤道付近にあるシルル諸島だが、ここは距離がありすぎる。よって、彼らの取りうる選択肢は限られ、マルティア諸島しか考えられない」
「それに、彼らはトリアイナを占領するという明確な目的を持っている。つまり、戦艦中心の打撃艦隊とともに大規模な輸送・補給部隊を伴っているはずだ」
「なるほど。大艦隊を動かすには補給も生半可な量ではない。また、兵の休養も必要になる。帝国の海軍基地があるフリッツ島ならまだしも、マルティア諸島ではそれらを一から整備しないといけないから、時間がかかる…という訳ですね」
「そういう事だ。だからこそ、我らの準備を早急に整え敵の侵攻に備えなければならない。伊達中尉、食料等の補給はどうなっている?」
「農務省の備蓄倉庫を確認しました結果、米も小麦粉も我々が食しているものとほとんど同じでした。また、生鮮食品と食肉、海産物等も市民の生活に影響を及ぼさない範囲で必要量を集めていただくという事で話が付きました。運搬船もアルゲンティ大将の差配で確保できましたし、明日から各艦に輸送される予定です」
「それと、たばこや酒、菓子類などの嗜好品のほか、消毒用アルコール等の医薬品も送る手筈となってます。何せ王国が気前よく支払ってくれるので、問屋は大喜びでしたね」
「流石伊達中尉だ。嗜好品が無いと兵の士気が下がってしまうからな」
「兵の士気と言えば、歓楽街の方はどうなのです?」
「うむ。かなり大規模だな。一度に2千人くらいは受け入れられそうだ。飲み屋も多いが、女を抱ける大きな宿も何軒かあった。ジェフリー王子が繁華街の顔役に話を付けて、半舷上陸の期間は艦隊乗組員専用にしてくれることになったのだが、何分人数が人数だけに、他の町から応援の女性を連れて来ると言ってたな」
「はあ、それはまた…」
「結構、美人で色っぽいお姉さんがたくさんいましたよ」
若い佐々木少尉が鼻の下を伸ばし、いやらしい手つきで女性達について嬉々として話し出した。その時、お茶とお菓子を手にしてベアトリーチェとディアナが執務室に入ってきた。佐々木少尉は慌てて口を噤む。
「皆さん、お茶とお菓子を持って参りました。ご休憩なさってください」
「お菓子はお姉様とわたしの手作りです!」
「あら、どうかされたのですか?」
「いや、アハハハハ…」
笑って誤魔化す佐々木少尉を訝しげに見ながら、ベアトリーチェは紅茶とお菓子をそれぞれの前に置いて、自分も空いた椅子に腰かけた。
「補給の方は順調ですか?」
「はい。ベアトリーチェ様や各部署の方々のお陰で何とか」
「そう言っていただけると嬉しいです」
伊達中尉に褒められてベアトリーチェは嬉しくなった。思わず頬が赤くなるが、気付かれないように机に散らばる書類を見たふりをする。チラっと伊達を見ると彼は書類を手に取りながら紅茶を飲んでいて彼女の方を見ていない。ちょっとがっかりするベアトリーチェだった。