第34話 それぞれの進む道
戦後処理も落ち着いてきたある日の休日、ベアトリーチェは伊達を誘ってトリアイナ市郊外の丘陵にある自然公園に来ていた。公園内の木陰では家族連れや恋人達がお弁当を広げたり会話して楽しんでいる。
(わ…私達も恋人同士に見えるかな…)
「平和な光景ですね」
「え!? ええ。そ、そうですね」
急に話しかけられたベアトリーチェは動揺してしまった。伊達が不思議そうに顔を覗き込んできたので、頬がカーッと熱を帯びて赤くなるのが自覚でき、真っ赤な顔がバレないように視線を逸らして、ついでに話題も逸らした。
「あ、あの…国立大学の教授となってどうです?」
「そうですね。この国の若者は真面目で勉強熱心なので教えがいがあります」
戦争終了後、伊達は兵役を退く事を申し出て受理された。その後、国立大学からこの国では物理学が遅れている。物理の専門家として教鞭を取ってもらえないかと申し出があり、それを受け入れて今は客員教授として大学勤めをしている。ベアトリーチェはカップにお茶を入れて伊達に渡した。
「そう言えば、物理学の教室は女生徒が多いと聞きました。さぞかしおもてになるのでは?」
「いやぁ、どうでしょうか。何せこのとおりの無骨者ですから」
「……へぇ(知ってますよ。伊達様のファンクラブが出来てることくらい。王国の諜報部は優秀ですから。よ…よし、ここからが勝負よ)」
「あ、あの…伊達様は伴侶を娶るおつもりは…おありですか?」
「変な事をお聞きするんですね。そうですね、こんな私でも気に入ってくれる女性がいればですが。そのような奇特な方はいないでしょうから一生独身でも良いかと思っています」
「そ、そうですか…(あれだけアピールしたのに、私の気持ちに気付いていないなんて、何というニブチン。やはり私から言うしかない? なら、覚悟を決めましょう!)」
ベアトリーチェはぐいとお茶を飲むと伊達を真っ直ぐ見た。優し気な黒い瞳が自分を見つめてくる。持てる勇気を振り絞り、人生初めての告白をしようと身構えた。しかし…。
(ダメ…。恥ずかしくて言えないよぉ…。私ってこんなにヘタレだったの…。イザとなると勇気が出ない…。うう…私の意気地無し)
結局、伊達に告白する事も出来ず、弁当を食べて解散しただけだった。伊達に王城まで送ってもらったベアトリーチェはその足で母親の部屋に向かった。
(お母様に相談しよ。大学生の女の子に伊達様を盗られる前に何とかしなきゃ)
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
トリアイナ王国公式名称テティス島沖海戦が行われた数か月後、ビスケス湾に面したトリアイナ港沖にヴァナヘイム帝国の旗を掲げた巡航艦と大型輸送艦の2隻が姿を現した。その周囲を駆逐艦雪風、初霜、冬月、涼月の4隻と魔導砲艦プロテウスが囲んでいる。
現れた巡航艦は帝国に唯一残されたヴェクネター級巡航艦ケスリンで、先の戦いでは別動隊の生存者を救助していたため、日本軍から見逃された艦だった。そして、今回は和平交渉に赴く帝国の使者を運ぶ任務のため、はるばるテーチス海を渡って来たのだった。
交渉は1週間以上も続き、最終的に次の通りとなった。
① 王国領マルティア諸島の返還(1年以内)
② 帝国領フリッツ島の陸海軍施設解体(王国監視員立ち合い)、非武装中立化(今後50年間)
③ 王国に対して9千億ディナル(約9兆円相当)の戦時賠償金の支払い
④ 魔導技術の無償供与(軍事・民間問わず)。魔鉱石輸出関税の撤廃
⑤ 異世界の艦隊に関する人材、技術情報は一切引き渡さない
⑥ 帝国捕虜の即時返還
特にフリッツ島の軍事施設を解体し。非武装中立とする事は帝国から王国への侵攻ルートを断つという意味からも重要で、これを飲ませただけでも意義がある。さらに巨額の賠償金を得ることで王国の財政は潤い、帝国の財政を赤字にすることで軍事費を制限できるのも大きな成果だった。
なお、交換条件として帝国側は異世界の艦隊に関する技術情報を知りたがったが、王国側は完全拒否を貫き、最終的に帝国側は諦めるに至った。これに関しては、帝国側はかなり粘ったが王国側も一切妥協せず、むしろ駆逐艦4隻がケスリンに砲を向けるに至って諦めざるを得なかったのだ。
帝国にとっては屈辱とも言える内容であった交渉が終了し、代表団長のリヒャルド皇子は疲労感満載の顔で宿舎であるホテルに戻って来た。ロビーに入ると意外な、それでいて見知った顔の人物が待っていた。
「兄貴…」
「リヒャルド、久しいな。随分と疲れているようだが」
待っていたのはアリオン皇子だった。
「まあな。戦勝国は要求が厳しくていかん。我々は敗戦国だから仕方がないが。それにしても、捕虜名簿に名前があったから無事は知っていたが、兄上の顔を見ると安堵するな。フレイヤも元気なのか? さあ、ここではなんだ。オレの部屋に行こう」
リヒャルドは相好を崩して自室に誘った。部屋に入るとアリオンにソファを勧め、自らお茶を入れた。
「兄貴、実際あの海で何があったのか教えてくれ」
「ああ…」
アリオンは異世界の艦隊との戦闘経過について説明を始めた。フィンヴァラーやドロームを上回る性能の戦闘機に攻撃機。これらを操る操縦士の技量も帝国のそれを上回っていた事。さらに超弩級戦艦の大和。ヨルムンガンド級の魔導砲を寄せ付けない強力な装甲、数発で魔導戦艦を行動不能に追い込む凄まじい破壊力の主砲。その全てが異次元の強さであった事など。
「結局、私達は何も知らな過ぎたのさ。魔導技術に奢り、常勝不敗に奢り、異民族や小国を征服して虐げていたことを当然と思う事に奢っていた。異世界の艦隊が出現したと知って、注意はしてもヨルムンガンド級や最新鋭飛行機械のフィンヴァラーを擁する帝国艦隊が敗北するなんて誰が想像しただろうか。しかし、その奢りが相手を侮り、力を読み違えた。その結果が今の状況を生み出したのさ。帝国もまた絶対という事では無かったということだ」
「認めたくはないが、負けるべくして負けたって事だな…。ところで、ガティスはどうだったのだ?」
「作戦指導では光るところも確かにあった。しかし、ヤツは傲慢で人の話を聞こうともせず、最後まで独善的だった。それにヤツは沈没艦から逃れた兵を無能と罵り、見捨てたのだ。兵を大事にしない指揮官に誰が付いて来ると言うのか。ヤツは最低だ! 指揮官としても人としてもな!」
「…そうか。まあ、ヤツもヨルムンガンドと共に沈んだんだ。敗戦の責任と共にな。そう思おうぜ。兄貴もフレイヤも良くやってくれたよ。ただ、相手が悪かっただけだ」
「…………」
暫し沈黙が二人の間に流れた。ややあってアリオンが口を開いた。
「今後帝国はどうするのだ?」
「そうだな…。帝国艦隊や航空隊を再建するにしても時間がかかる。魔導兵器についても根本的な見直しが必要だ。何より、多くの優秀な指揮官を始め、失われた人材が多すぎる。人材の回復には十年単位の時間が必要だろう。むしろ、こちらの方が帝国に与えた衝撃は大きいんだ。当面、対外戦争はできないだろう。というか、無理だな」
「多くの兵が戻らなかったことで国内は揺れている。皇帝に対する不信から責任を問う声が市民の間で日々大きくなっている。皇帝は親衛隊を動員して市民を押さえ付けている状況だ。今や帝都は燃え盛るマナ壺の中にあるようなものだ。おまけに、辺境の蛮族や占領地では反帝国運動が再燃している。こちらも厄介な問題となっているんだ」
「なんと…。そんな事になっているのか」
リヒャルドは茶碗に残った茶を飲み干すと、真剣な表情でアリオンを見た。
「兄貴、聞いてくれ。オレは皇帝をその地位から降ろそうと考えている。陸軍のマンシュタイン大将も賛同している。内務省にも協力者を得ている」
「……クーデターを起こす気か?」
「そうだ。そして兄貴、新たな皇帝に就き、我々を導いてくれないか。帝国には兄貴のような良識のあるリーダーが必要なんだ」
「…………」
「オレと一緒に帝国に戻ってくれないか?」
「リヒャルド」
「了解してくれるか!」
「…すまん」
「兄貴?」
「俺とフレイヤは帝国には戻らん。この国に留まる事を決めたんだ」
「帝国に戻らないのか!? 何故だ」
「……理由は聞かないでくれ。ただ帝国には戻りたくない。それだけだ。既に亡命申請も受理されている。トリアイナは俺達を正式に亡命者として受け入れてくれると約束してくれた。コーゼル准将もミュジアン大佐も同様だ」
「……決意は変わらないんだな」
「ああ。変わらん」
「…そうか。兄貴はこうと決めたら絶対に曲げんからなぁ。しゃーない、皇帝の座にはオレが座るか」
「お前なら上手くやれるさ。俺が言えた義理では無いがな」
アリオンとリヒャルドは立ち上がって握手をして別れた。部屋を出て廊下に出たアリオンは廊下を歩きながら「すまんな…」と小さく呟いた。そして、これが兄弟の永遠の別れとなったのだった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「うわぁ…凄いわ。フィンヴァラーと違って直に空を感じられるわ」
「まさか、あの人型の操縦員が帝国の姫さんだったとは驚きです」
「サイウン…でしたっけ。私達がシュワルベと名付けた飛行機械。思えばあの出会いがわたしの運命を大きく変えたのかもしれない。それほどまでに衝撃的でした」
フレイヤは彩雲の偵察席に搭乗し、大海原の上空3千メートルを飛行していた。機長の島津少尉が操縦桿を握り、電信員席には大崎一等飛行兵が乗り込んでいる。フレイヤは念願であった彩雲のパイロットに会う事が出来ただけでなく、飛行長の都築中佐の計らいで彩雲に乗せてもらえ今に至っている。風防の外を流れる雲の流れは手を出せば掴めそうで、装甲板に囲まれたフィンヴァラーやドロームのコクピットでは感じ得ない感動を覚えていた。
話は少し遡る。
紫電改二との戦闘に敗北して撃墜され、空母天城に救助されたフレイヤは怪我の完治後、正式に王国への亡命が認められた。その後、どうしても最初に出会った彩雲の搭乗員に会ってみたいという想いが募り、天城の艦内で知り合い、色々と世話の手配をしてくれたディアナ王女に相談した。話を聞いたディアナは天城飛行長の鈴木中佐に相談すると、鈴木中佐は空母葛城搭載の彩雲で島津少尉、高田上等飛行兵曹、大崎一等飛行兵が乗組む3番機だと教えてくれた。ディアナは早速フレイヤに伝え、葛城に連れて行ったのだった。
「これが異世界の飛行機械母艦…。ドローム母艦とは全然違う。ディアナ、あの飛行機械はなに?」
「あれは、艦上爆撃機「彗星十二型甲」です。時速580km/h、500kg爆弾を搭載できるのだそうです。ディアナは言ってて全然わかりませんので、これ以上聞いても無駄です! あははっ。ちなみに、艦上偵察機彩雲はもっと早いですよ。なんと時速609kmも出るんです」
「600km…。フィンヴァラーより50km以上も優速なのか。追いつけない訳だ」
「貴女が元帝国皇女のフレイヤ様ですか?」
その声にフレイヤが振り返ると、紺色長ジャケットに軍帽を被った壮年の男性2人と、飛行服を着用した搭乗員らしき男性が3人立っていた。フレイヤが「そうだ」と答えると、一番の年長者と思われる男性がサッと敬礼して名乗った。
「私は日本海軍大佐、空母葛城艦長の川畑正治です。こちらは飛行長の都築中佐。葛城へようこそ。第二艦隊司令部より貴女に便宜を図るよう指示を受けています」
「元帝国皇女で帝国航空隊大尉だったフレイヤ・アルヴィーズです。この度はわたしの我儘に許可を戴き感謝申し上げます」
フレイヤは頭を下げて礼を言った。都築中佐と紹介された男性が言葉を継いだ。
「フレイヤ様は人型飛行機械の操縦員だったそうですね。しかも、我々が最初に出会った際に指揮を執っておられたとか」
「はい…」
フレイヤは、彩雲と初めて出会った時のことを話した。圧倒的な速度性能と操縦員の高い技量に翻弄され、フィンヴァラーの操縦者としてのプライドを打ち砕かれ、悔し涙を流した事。屈辱は敵の飛行機械を墜とす事で晴らせると思い込んでしまい、自分自身を見失って無謀な戦いに臨んだものの、結果撃墜されて生死の境をさまよい、偶然にも彩雲に発見されて救助されたことなど…。
「結局、自分が子供だったんです。自分の小さなプライドのため、友人のアムとリュカを、フィンヴァラー隊の皆を死なせてしまった。救助されて我に返り自分のバカさ加減に涙が止まりませんでした。そして、最初に出会った彩雲の搭乗員にどうしても会いたいとおもったんです。自分の運命を変えたパイロットに会ってみたくて、ディアナに無理を言ってしまいました…」
小さな声で呟いたフレイヤの目が涙で潤んだ。川畑艦長は小さく頷くと後ろに控えていた3人をフレイヤの前に並ばせた。
「彼らが最初に人型…フィンヴァラーと言いましたか。それと遭遇した搭乗員です」
フレイヤは彩雲の搭乗員、特に操縦者の島津少尉と邂逅を果たし、胸の内を曝け出して語り合った事で遺恨が消え去るのを感じた。そして、島津少尉の自分に対する実直な接し方に好感を持つのであった。ただ、女性慣れしていないのか、時折しどろもどろになったり、顔を赤らめたりするのが面白く、帝国の男達にはない反応に可笑しくなったりもした。
そして、今に至る。
日の光を反射して宝石のようにキラキラ輝く波頭と物凄い速さで流れていく雲を見ながら、フレイヤは島津に話しかけた。
「この飛行機械の機関音はリズミカルで、それでいて力強さを感じます。それに、ただ早く飛ぶというためだけを考えて造られた精悍な機体、人と機械が一体となって空に溶け込むような爽快な感覚。乗ってみて初めてわかる。これが空を飛ぶ乗り物なんだわ。初めて見た時はなんて異質で不格好なのだと思ったけど、帝国の飛行機械よりあなた方の、彩雲の方がずっと素敵だと思います」
「そう言っていただけると嬉しいですね。我々は人の形をした機械が空を飛んでいるのに度肝を抜かれましたよ。なんであんなのが飛んでるんだって。航空力学を無視してるだろって言葉も出ませんでした」
「ふふっ。魔導兵器はあなた方の飛行機械のように翼で空気を掴んで飛ぶものではありませんから。マナの力で機体を制御するんです」
「やっぱりよくわかりませんね。ですが、人の形をしたものが空を飛ぶというのは浪漫があります。子供の頃、風呂敷をマント代わりにして家の屋根から飛んで、真っ逆さまに落ちて足の骨を折ったことを思い出しましたよ」
「お前はアホか!」
「ぷっ、くすくすくす…」
大崎一等飛行兵の失敗談に島津少尉が突っ込みを入れた。そのやり取りが面白くてフレイヤは笑ってしまう。そして、帝国にいた頃はこんな風に笑ったことがあっただろうかと思った。
(今だからこそ思う。平和な世界でこの人たちと出会いたかったな。そうしたらアムやリュカを死なすことも無かった…)
いつの間にか彩雲は高度を上げて雲の上に出た。空一杯に敷き詰められた雲の絨毯に彩雲の小さな影が映る。美しさに感動したフレイヤは、天国とはこの様な風景なのかなと思い、死んでいった多くの人々の冥福を祈るのであった…。




