第33話 帰還
トリアイナ王国北方、王国で2番目に大きな島、トゥーレ島最大の都市、イヴァレーア市の港に汽笛を鳴らしながら一団の艦船が入港してきた。港には大勢の市民が集まって歓声を上げ、手を振って帰還を喜んだ。しかし、帰ってきた艦を見た市民たちは息を飲んだ。
帰ってきた伊藤整一中将率いる艦隊は、空母以外のどの艦も傷つき、中には大破と言っていいほどの損傷を受けた艦もある。そして何より、出て行った時より艦の数が少ない。何しろ敵は世界最強のヴァナヘイム帝国なのだ。勝利したとはいえ、相当な激戦であったに違いない。集まった市民はこの国のために命を賭して戦ってくれた彼らに感謝の念を強く抱き、出迎えの歓声は一層大きくなったのだった。
大和、天城、葛城の大型艦は沖合に、矢矧以下駆逐艦は係留用桟橋に移動して艦を停泊させた。
駆逐艦からタラップが下ろされ、最初に毛布で身を包んだ一団が降りてきた。彼らは待ち受けていたトリアイナ王国軍により、魔導機関で動く牽引車が引く荷台に乗せられ、どこかに連れて行かれた。
次に降りてきたのは負傷者だった。中には体中に包帯を巻き、担架に乗せられた重傷者もいて、待機していた赤十字を表示した魔導車や馬車に乗せられて病院に運ばれていった。その際、港に出迎えに来ていた市民も負傷者運搬のため、自分の馬車を運んで来たり、負傷兵を運ぶ手伝いを始めた。さらに、大和からも内火艇に乗せられた負傷兵が岸壁に到着すると、市民達は誰が指示することもなく集まって、梯子やネットを下ろして引き上げ、病院まで運ぶのを手伝った。負傷者を運ぶ際、市民達は彼らに感謝の言葉を述べるのを忘れなかった。
その様子を大和の甲板に出て眺めていたベアトリーチェは側にいる伊達に話しかけた。
「見てください。集まった国民は命を賭して戦い、この国を守ってくださった皆様に感謝しています。特にイヴァレーアの市民は皆様との繋がりが深いですから、我が事のように帰還を喜んでいます。王室の者として、あのような国民の姿を見ることができ、本当に嬉しいですわ。もちろん、私も感謝しています」
「そうですね。トリアイナの人々の笑顔を見れば、亡くなった者達もきっと満足してくれるでしょう」
伊達は静かに瞑目している。山本先任参謀が話してくれたところ、撃墜された戦闘機と攻撃機の搭乗員含め、戦闘による死者は数百人にもなる。負傷者はそれ以上だとの事。伊達は死んでいった仲間達の事を思っているのだとベアトリーチェは思った。負傷兵に続いて、死体袋に入れられた遺体が搬出され始めた。血が滲んだ袋を運ぶ水兵の姿に、国が守られたことで浮かれていた自分が恥ずかしくなった。
(そうだ。実際に血を流したのはトリアイナの民では無く彼らなのだわ。彼らの祖国ではない、全く異なる世界の何の関わりもない国のために戦ってくれたニホンの人たち…。彼らの献身は絶対に忘れてはならないのだわ)
瞑目する伊達の隣でベアトリーチェも胸の前で手を組んで黙祷を捧げた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
天城から降ろされ、イヴァレーア市の市民病院に収容されたヴァナヘイム帝国皇女のフレイヤは、その身分から個室の病室を与えられて寝かされていた。市民病院は高台にあるため、窓からは美しい海辺の景色が一望できる。体を起こして外を眺めていると、大和と天城、葛城がタグボートに押されて移動している様子が見えた。
「空母…か。ドローム母艦とは全然違うわね。体が治ったら見せてもらいたいな。あと、最初に出会ったシュワルベ(彩雲)の操縦員にも会ってみたい…」
(思えば、あのシュワルベに翻弄されてから、自分自身を見失ったような気がする。あの時受けた屈辱は敵の飛行機械を墜とす事で晴らせると思い込んでしまった。結果、友人のアムとリュカを、フィンヴァラー隊の皆を死なせてしまった…。指揮官としては失格だな。本当に情けない…)
フレイヤが滲む涙を指で拭っていると、病室の戸がノックされた。正直、誰にも会いたくはなかったが、見回りに来た看護師かも知れないと思い直した。
「……どうぞ」
戸を開けて入って来たのは、1人の若い男性。その姿を見たフレイヤは両手で口元を押さえ、ぼろぼろと涙を零した。
「に…兄様。アリオン兄様なの? 本当に…」
「フレイヤ…無事でよかった」
アリオンはフレイヤの体をしっかり抱き締めた。この戦いで帝国は機動艦隊、輸送船団合わせて100万人近い人員が動員された。しかし、トリアイナ王国に付いた日本艦隊の航空戦力と艦隊戦力に全滅の憂き目に遭い、生き残ったのは数百人程度と僅かな人数しかいない。特にフィンヴァラー隊とドローム隊の搭乗員は誰も戻ってはこなかった。フレイヤが生きていたのは奇跡に近い。大切な妹が生きていたことに、アリオンは神に感謝するのだった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
ヴァナヘイム帝国の捕虜は、イヴァレーア市郊外の廃城を臨時の収容所として、一時的にここに収容されることになった。当然、アリオンやコーゼル達も例外ではない。捕虜達が収容された数日後、アリオン皇子は収容部屋から呼び出され、魔導車に乗せられてある建物に連れてこられた。
アリオンは警護してきた王国兵に、何処に行くのか、何故連れてこられたか聞いてみたが、行先は市役所と言う事は教えてもらったものの、理由については知らないと言うだけだった。むしろ、侵略国との人間とは話したくないという雰囲気がありありだった。
(行けば分かるか…)
市庁舎に到着するとアリオンは魔導車から降ろされた。中に入り、階段を上がって会議室が並ぶ階に案内された。
「こちらの部屋です。中でお待ちください」
王国兵はそう言うと会議室の扉を開けた。アリオンが部屋に入ると王国兵は扉を閉めて出て行った。暫く待っていると部屋の扉が開いて王国の正装に純白のマントを羽織った若い男性に襟袖を宝石で飾ったワンピースドレス姿の若い女性、スーツ姿で髪を七三に分けた初老の男性の3人が入って来た。初老の男性が柔和な顔に笑みを浮かべて話しかけて来た。
「お待たせしました。ヴァナヘイム帝国皇子アリオン殿ですな」
「そうだ。あなた方は…」
「私は、王国宰相のオービルと申す者。こちらは、我が王国王太子の…」
「アーサーだ。よろしく」
「妹で王女のベアトリーチェです」
いよいよ来たかとアリオンは身構えた。オービルに促されて全員椅子に座る。ベアトリーチェが部屋の隅に用意されていたポットからカップにお茶を注ぎ、全員の前に置いた。しかし、アリオンは手を付けようとしない。
(暗殺を恐れてるのかしら)
ベアトリーチェは、相手を安心させるために最初にお茶に口を付けた。
「ああ、美味しい。帝国の重鎮であるアリオン様は辣腕家と聞いておりましたので、どんな怖いお方かと想像していたら喉がカラカラになってしまって。アリオン様も喉が渇いていらしたのではなくて?」
「…そうだな。確かに喉がカラカラだ」
お茶を飲んで一息ついたアリオンは、アーサーに向かって口を開いた。
「王国の王太子直々にお見えになったという事は、私に対して戦争の責任を取らせる…ということを伝えに来たという訳かな。当然の話だ」
アーサーはフッと笑みを零した後、真剣な顔に戻して口を開いた。
「貴殿は何か勘違いをしているようだ。我々は帝国の真意を知りたいと思っている。そのために来ていただいたのだ」
「…帝国の真意?」
「そうだ。遠くない内に帝国と和平会談が持たれることになる。その時、我々はどのように対応すべきか考えておかねばならない。判断を誤ったら再び戦乱に巻き込まれることになる。それだけは避けねばならん。そのためにも、ヴァナヘイムはこの世界をどうしたいのか、その真意は何なのか教えてもらいたい。アリオン皇子は軍務尚書の立場にもあったと聞いている。で、あれば国の裏側にも通じているはずだろうからな」
「それは…強制か?」
「いや、任意だ」
「…………。わかった、話そう。その代わり条件がある」
「条件?」
「そうだ。条件と言うよりお願いだが。私と妹のフレイヤをこの国に亡命させて欲しい」
思ってもみない発言に、アーサーとベアトリーチェは驚き、顔を見合わせた。
「亡命…だと?」
「あの、理由を訊いてもよろしいでしょうか」
「帝国には人が自由に生きる風潮がない。全て皇帝の意思によって物事が決められる。世界を征服し統一国家を作るなんて夢想もいいところだ。そこに他の国々に生きる人々の意思など存在しない。私には多くの人を犠牲にしてまで手に入れた世界なんて、とても受け入れられん。それに、あの国に戻ったところで、敗戦の責任を取らされ、私もフレイヤも死刑に処されるだろう。私はともかく、フレイヤを死なせたくない」
「そんな…。アリオン様やフレイヤ様は皇族なのでしょう? 自分の子を死刑にするなんてあり得るのですか?」
「皇帝は非情だ。敗北者や無能者は容赦なく切り捨てる。それが、血の繋がった親子であってもだ…」
「…わかった。その件については国王とも話をしてみよう」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
伊藤中将と森下参謀長は大和の防空指揮所に立ってトゥーレ港を眺めていた。海を渡る風が爽やかで心地よい。
「潮の匂いというものは、どこも変わらないものですなあ。心が落ち着きます」
「そうだな」
「長官は心ここに在らず…。ですかな」
「ははは、すまんな参謀長。少し考え事をしていた」
「考え事、ですか」
「うむ。今こうしているのが不思議でたまらないと思ってな。そうは思わんか?」
「…確かにそうですなぁ」
「沖縄特攻で死ぬはずだった我々が、重力異常という超常現象で見知らぬ世界に来て、この世界の国からの救いの手と引き換えに救援を求められて、この世界の大艦隊と艦隊戦を行うなど、誰が想像できたでしょうか。まるで、冒険小説の世界そのものでありますなぁ」
「冒険小説か…。私は時折、これが夢なのではないかと思う時があるよ」
「夢…ですか。実は私もです。しかし、目覚めても見知った日本ではない事に気付きます。そして、夢ではない現実だと認識させられるのです」
「そうだな。そして、我々はここで生きるしかないのだ。それが戦いで死んでいった仲間達への供養にもなる。そう思いたい」
「ですな…」
伊藤中将と森下参謀長はイヴァレーア港を眺めた。大和から離れた場所でタグボートが矢矧と朝霜に接舷している。先の海戦(トリアイナ王国正式名称「テティス島沖海戦」)で大破した両艦はこの世界では修繕不可能と判断され、解体処分されるため、臨時ドッグに移動させるのだ。また、中破した浜風、磯風も使用可能な装備品や部品を取り外し、残った砲弾を他艦に移した後は廃艦になることが決定している。
結果、第二水雷戦隊は損傷が比較的軽微だった雪風と初霜、防空駆逐艦の冬月、涼月の4艦で再編される予定となっている。ただし、各艦とも砲弾はほぼ使い尽くし、補給のあてはないので戦闘力は無いに等しい。
砲弾が無いのは大和も同じで、主砲弾、高角砲弾はほぼ全て撃ち尽くし、15.5センチ副砲弾が半数程度残っているのみとなっている。また、戦闘で破壊された右舷の高角砲や機銃の残骸は撤去され、破孔を塞ぐ程度の補修がされたに留まっている。
それでも、大和が存在しているというだけでトリアイナの国民達に安心感を与え、救国のシンボルとして尊敬の念を集めていた。
「大和はもう戦いの海に出ることは出来ないでしょうなあ」
「そうだな。だが、我が艦隊は帝国艦隊を撃滅し、占領部隊も壊滅させた。帝国が戦力を回復するには年単位の時間が必要だろう。当面は平和な時代が続くよ。大和もその力を存分に発揮できたことだし、ここらで休ませてあげようではないか」
「長官…」
「私はもう長官ではないよ」
テティス島沖海戦が終了し、伊藤中将は第二艦隊を解体して第一航空戦隊として再編した。航空戦隊は天城、葛城の両航空母艦に4隻の駆逐艦で編成した。旗艦は天城とし司令長官に古村少将を充て、首席参謀に矢矧艦長だった原為一大佐を任じ、伊藤中将は退役すことを決めたのだった。
「幸い、国王様がトリアイナ市郊外の王室所有地に家を建てて下さるそうだ。土地も広いようだし、そこで農業でもしてのんびり過ごさせてもらうよ。身の回りの世話をしてくれる使用人も付けてくれるとのことだしね。そういえば森下君は王国軍に招聘されたのだったね」
「有難い話ですので、私と山本君、有賀君、小滝君は王国海軍に参加するつもりです。この国の海軍近代化に尽くしたいと存じます」
森下少将が上げた以外にも王国海軍に参加する者が多数いると聞いている。また、一部の兵は退役を選び、新たな人生をこの国で歩もうとしている。大和や各空母に召集された兵の中には機械工学の専門家や航空力学の研究者、中島や三菱といった航空機メーカーに勤めていたエンジニアもいて、彼らは王国産業省の求めに応じ、新たに設置される機械工学技術研究所に勤務することになったと聞いている。
(第二艦隊は異世界に来たことによって大きく運命が変わってしまったが、この国の運命もまた変わろうとしている。その先がどのようになるのか、私は見届けなければならないのかも知れぬ)
伊藤中将は遥か遠くの水平線をいつまでも見続けていた。




