第32話 終焉
ヴァナヘイム帝国トリアイナ侵攻軍70万の兵士と武器弾薬、様々な資材や補給品を積載していた大輸送船団が帝国機動艦隊を退けた異世界の艦隊から攻撃を受け、数時間が経過した。大型戦艦と2隻の戦闘艦は砲弾を使い果たしたのか、北に向かって去っている。
戦闘が行われた海域では多くの輸送船が沈没し、大量の浮遊物とそれにつかまって助けを求める兵士たちの声が聞こえる。しかし、かろうじて浮いている船も大火災を起こしていたり、破孔から流入する海水によって、海面下に引きずり込まれようとしていた。
1隻で6千人以上の兵士を乗せていた大型輸送艦や徴用された大型客船は優先的に狙われ、飛行機械による雷撃と大型戦艦による砲撃で真っ先に沈められた。その後は、大型戦艦も船団の中に突入して主砲、副砲、高角砲だけでなく、機銃まで乱射して輸送船を攻撃するに至って、輸送船が生き残る可能性はほとんどなくなった。彼らには機関を全開にして、この海域から離れるしかできなかった。しかし、異世界の艦隊は執拗に船団を追い、攻撃の手を緩めず、最後の1隻が撃破されるまで戦闘の手を緩めなかった。
2万トン級大型輸送艦の内、唯一浮かんでいる上陸指揮艦バーラムの艦橋で、上陸指揮官ガンメル大将は、彼の幕僚と共に呆然と沈み行く僚艦や波間に浮かぶ兵士、船の乗組員を見つめていた。
浮遊物につかまって必死に手を振る彼らを助ける術は無い。なにしろ、護衛の哨戒艦を含め、この場には真面に動ける艦船は1隻も無いのだ。彼らはテーチス海の深淵に沈む運命しかない。ガンメル大将は大きく嘆息した。
「大将、この艦は持ちません。急ぎ脱出してください」
「………」
「大将?」
艦の奥底から何かが壊れる音と不気味な振動が伝わり、艦が沈下する速度が早くなった。きっと致命的な損傷を生じたに違いない。
「……私はいい。君たちは脱出したまえ」
「大将。それでは…」
「いいのだ。機動艦隊の通信が途絶した段階で船団を反転すべきだった。私の優柔不断な判断のせいでこのような結果を招いてしまった。その責任は取らねばならん」
「しかし…」
バーラムの艦長や占領軍司令部幕僚が何とかガンメル大将を説得しようとするが、大将は頑なに首を振る。諦めた幕僚たちが敬礼して艦橋から脱出しようと動き出したところで、唐突に破局が訪れた。
バキバキバキッと艦体が裂ける金属音が響き、バーラムは中央付近でV字形に折れ急速に沈没し始めた。急坂になった艦橋の床を悲鳴を上げて転がるガンメル大将達は壁に体を打ち付け、折り重なって気を失い、脱出する事が出来ずに艦と共に海中に没したのだった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「う…ううん…」
目を覚ましたフレイヤは、狭い寝台の上に寝かされているのに気付いた。ぼんやりとした視界がハッキリしてくると、灰色の天井にはいくつも配管が通っており、酷く殺風景な部屋だということがわかった。
「ここは…うっ! いたっ…」
起き上がろうとしたが体中に激痛が走り、呻きながら寝台に倒れ込んだ。そこに、見慣れない軍服を着た美少女と壮年の男性が寝台の側に立っているのに気付いた。
「気が付かれました?」
「だ、誰…」
「まだ動いてはダメです。軍医様の話では腕と足が骨折、肋骨にもひびが入っている可能性があるそうです。体のあちこちに裂傷もありますし、かなりの重症なのですよ」
「…………」
「私はディアナ。トリアイナ王国の王女です。ここは空母「天城」の医務室です」
「トリアイナ…王女…。空母? アマギ…? ううっ、痛い…」
ディアナ王女は毛布を掛け直すと丸椅子に座った。壮年男性は厳しい目付きでフレイヤを見下ろしている。
「こちらは天城艦長の宮崎大佐です。後ろに控えるのは天城飛行長の鈴木中佐、トリアイナ王国参謀部のジークベルト中佐です」
「貴女のお名前、所属を伺ってもよろしいか」
ミヤザキと紹介された男性が問いかけてきた。フレイヤは隠しても仕方ないと考え、正直に名乗ることにした。
「わたしは、フレイヤ・アルヴィーズ。ヴァナヘイム帝国現皇帝ヘルモーズ二世の実子で帝国皇女だ…です。帝国軍航空大尉でフィンヴァラー隊の隊長でもあります」
「フィンヴァラー?」
「帝国の誇る最新鋭人型飛行機械です。わたしは、別動隊としてフィンヴァラー3機とドロームを率いて、敵の…あなた方の飛行機械母艦を攻撃するはずでした…」
宮崎艦長と鈴木中佐は顔を見合わせ頷いた。今度はフレイヤが質問してきた。
「わたしは一体…。ここはどこ…?」
「ここは大日本帝国海軍第二艦隊第一航空戦隊所属、雲龍型航空母艦「天城」の医務室です。貴女は我が天城戦闘機隊と交戦して撃墜されたのです」
「…………(大日本帝国? そんな国聞いたことない。やはり彼らは異世界から…)」
「帰投中の偵察機「彩雲」が、負傷して波間を漂っていた貴女を発見したことから、搭載艇を出して救助したという訳です」
「あの…他に救助された者は…?」
「残念ながら、貴女だけです」
「う…ううっ。ぐすっ。うぇええ…っ」
泣き出したフレイヤの目尻をディアナがハンカチで拭う。フレイヤは自分たちの艦隊はどうなったか訊ねた。鈴木中佐から艦隊は全滅したことを聞かされると、涙が止めどなく溢れる。宮崎艦長はフレイヤに聞いた。
「貴女は本当に帝国皇女なのですな」
フレイヤが毛布の端を握り締めて頷く。
「なら、貴女には知る権利がある。我が艦隊は貴国の機動艦隊と交戦。降伏した巡航艦2隻を除く全艦を航空攻撃と砲撃戦で撃沈しました。その後、後方の輸送船団にも攻撃を加え、こちらもほぼ全ての艦船を砲雷撃で沈めております」
「そ…そんな…。ヨルムンガンドが負けたというの? あの艦には兄様が、アリオン兄様が乗っていたのだ。兄様がどうなったのか知りませんか!?」
「我が方の駆逐艦が溺者を救助しましたが、拾い上げたのは少数との報告しか届いておりません。その中に貴女の兄上が含まれているかは不明です」
「う…ううっ。うわぁあああっ。わぁあああーっ!」
フレイヤは枕に顔を埋めて大声で泣き出した。ディアナは宮崎艦長の顔を見上げた。しかし、宮崎艦長は顔色一つ変えず、フレイヤに告げた。
「貴女は捕虜という立場だ。当面は体を癒す事に専念なさい。必要なものがあれば医務官に声をかけてください。では、我々はこれで」
宮崎艦長と鈴木中佐は敬礼をすると医務室から出て行った。ジークベルト中佐もディアナを促して部屋を出た。フレイヤの泣き声は通路に出たディアナの耳にいつまでも残るのであった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
ヴァナヘイム帝国艦隊を撃滅し、トリアイナ王国への侵攻作戦を完全に打ち砕いた第二艦隊は、補給基地のあるトゥーレ島に向けて航行していた。大和と葛城を中心に、その前方を冬月、涼月、雪風、初霜が警戒陣をとって進んでいる(天城と矢矧、磯風、浜風、朝霜は一足先に帰投中。その途中でフレイヤを救助)。
駆逐艦初霜の後部甲板でアリオン皇子、コーゼル艦長、アーシャ中尉は、悠然と航行する異世界の大型戦艦と飛行機械母艦を眺めながら、救助されるまでの経過を思い出していた。
大和の砲撃で完膚なきまでに叩きのめされ、横転して沈没するヨルムンガンドから投げ出された3人は、浮遊物につかまって波間を漂っていたところ、溺者救助に来た敵の戦闘艦に助けられたのだった。後部甲板にはアリオン達以外にも数十人の帝国兵が、与えられた毛布にくるまって力なく座り込んでいる。アリオンは、この戦闘艦の名前を通りがかった乗組員に訊ねると、その乗組員は駆逐艦「ハツシモ」だと教えてくれた。聞いたこともない艦種もそうだが、何より言葉が通じて、問題なく意思疎通ができたのが驚きだった。
「何もかも、知らない事ばかりだ」
「我々はもう少し慎重になるべきでした。相手の事をよく調べもせず、自身の力を過信して戦いを挑んだ。その結果がこのザマです」
「我が帝国はいついかなる戦いにおいても、優れた魔道技術により圧倒的勝利を得てきた。トリアイナ王国攻略においても、世界最強のヨルムンガンド級戦艦を擁する我々が負ける要素など皆無だった。誰もがそう信じていた。だが、その信仰にも似た思いが間違っていた…それだけさ」
「アリオン様…」
アリオンは大型戦艦を改めて見た。魔導戦艦とは異なるフォルムはスマートでありながら重厚で、力強さを感じさせる。確か名は「大和」と言ったか。
「大和…か。すごい戦艦だな。それに、あの空母という艦…。これほどの戦闘艦を作れる世界とは一体どんななのだろうか…」
噛みしめるように呟いたアリオンに、アーシャ中尉が不安そうに訊ねた。
「アリオン様、私達はこれからどうなるのでしょう」
「わからん。ただ、私は侵略者として裁かれ、死刑になるだろうな」
「そんな…」
「私は帝国皇子。覚悟はできている。ただ、私が命を差し出す引き換えとして、皆の命は助けてくれるようお願いするつもりだ」
「アリオン様お一人を逝かせる訳にはいきません。私もお供します」
「コーゼル…」
「なに、生き残りの中にエレン・ミュジアン大佐もいます。後事は彼女に任せれば大丈夫でしょう」
アーシャがすすり泣く。彼らの話を聞いていた、救助された帝国兵も皆が暗く沈んだ表情のまま押し黙っていた。そこに、1人の若い水兵がやってきて、帝国兵に向かって声をかけた。
「こちらに帝国皇太子のアリオン殿はおられますか」
突然、名前を呼ばれた事にアリオンは訝し気にコーゼル達と顔を見合わせた。
「おられませんか」
返事がないことから、水兵は目的の人物がいないと判断したのか、踵を返そうとしたので、アリオンは慌てて声をかけた。
「待ってくれ。アリオンは私だ」
水兵は返事をしたアリオンの許に来ると、本人かどうか確認してきたが、身分証も何もかもヨルムンガンドから落ちた際に流出させてしまい、証明するものがない。そこで、コーゼル准将が助け舟を出した。
「私は、魔導戦艦ヨルムンガンド艦長のコーゼル准将だ。このお方は間違いなくヴァナヘイム帝国皇太子のアリオン様だ」
准将と聞いて水兵はサッと敬礼した。コーゼルも礼を返した。
「失礼しました」
「それで、私に何か用だろうか」
「救助者の中に帝国のアリオン皇子がいたら伝える様にと、空母天城から電信が入ったので、お探ししていたのです」
「私に? 内容を教えていただけるだろうか」
「帝国皇女フレイヤ大尉は天城が救助した。重傷だが命に別状はない。以上です」
水兵は電文の内容を伝えると、サッと敬礼して立ち去った。アリオンは暫く呆然として立ち竦み、ややあってどっかりと甲板に座り込んで大きく息を吐いた。
「フレイヤが、フレイヤが生きていた…。よかった…」
「フレイヤ様も助かったか。僥倖でしたな」
「異世界の人々は、敵であっても救助してくれるのですね。私達の国とは違います。魔物なんて呼んでしまった自分が恥ずかしい…」
アーシャは手で顔を覆って恥ずかしがった。コーゼルはその姿を見て笑っている。アリオンは空を見上げながらフレイヤの顔を思い出していた。自分達はトリアイナ王国に連行される。どのような運命が待っているかわからないが、妹を見舞う機会が得られればと考えるのであった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
戦闘が終了したその日の夕方、零式水上偵察機が軽快なエンジン音を立てて、ビスケス湾上空に現れ、トリアイナ港の付近に着水した。執事の知らせにトリアイナ王国のフェリクス三世、王妃マグダレナ、長兄アーサー、次兄ジェフリーは急ぎ馬車を仕立てて港に向かう。
フェリクスらが港に到着すると、大勢の市民も集まっていた。港の警備員が集まった人々を退かせ、通路を開けて馬車を通した。岸壁前に馬車が止まると全員急いで馬車を降りた。零式水上偵察機は既に岸壁に着岸して搭乗員の手により、アルゲンティ海軍大将が降り立ったところであった。
「おお…アルゲンティ。よくぞ戻った」
「国王様、アルゲンティ観戦武官の任を全うし、只今帰還しました」
「うむ、ご苦労だった。して、海戦の結果はどうだったのだ」
「ハッ! 伊藤提督率いる艦隊は激戦の結果、ヴァナヘイムの機動艦隊及び上陸部隊を乗せた輸送船団を撃滅した由にございます!」
その瞬間、トリアイナ市の港に集まった人々から大歓声が上がった。




