第30話 帝国艦隊の最後
巡航戦艦アスクが大和と砲火を交わしていた頃、総員退艦が告げられたヨルムンガンドでは生き残った乗員が必死に艦から脱出しようとしていた。しかし、艦内に流入した大量の海水で艦内から脱出途中で隔壁に阻まれ、そのまま溺死する者も多い。また、運よく上甲板に逃れても波に飲まれて流され、海中に沈んで行く。
斜めに傾いだ艦橋では、コーゼル艦長が乗員に対し、急いで逃げるように怒鳴っていた。
「アリオン皇子、ヨルムンガンドはもう保ちません。早く脱出を!」
「わかった。アーシャ動けるか」
「は…はい…」
アリオンはアーシャの手を取ると艦橋の中を見回した。残っているのはコーゼル艦長他航海長、通信長等の幹部乗組員が数人しかいない。しかし、本来最後まで残るべきの人物がいない事に気付いた。
「ガティスはどうした」
「ハンス大佐と一緒にさっさと逃げ出したようですな」
「くそ、あのクズが…」
そうしている内にも艦の傾斜が大きくなって来る。このままでは歩くことも儘ならないないであろう。急いでヨルムンガンドから離れなければならない。コーゼルは艦橋に残った全員に向かって叫んだ。
「総員退艦だ。急げ!」
「アリオン様も早く!」
「わかっている」
その声に航海長や通信長ら残った幹部乗組員が羅針艦橋から急いで出て行った。アリオンもアーシャを連れて出ようとしたが、コーゼル艦長が舵輪に寄りかかって動こうとしない事に気付いた。
「艦長、何をしている。早く来ないか!」
「アリオン様、私は艦長です。こうなったのも私の責任。私はヨルムンガンドと運命を共にします」
コーゼルはフッと笑みを浮かべて首を振った。アリオンはコーゼルの許に走り寄ると、その腕を掴んだ。
「ダメだ、コーゼル。お前も来い」
「しかし、私は…」
「帝国皇太子として命令する。一緒に脱出するんだ。お前程の人物を失いたくない」
「アリオン様…」
アリオンはコーゼルとアーシャと共に羅針艦橋から出ようとしたその時、艦橋下で激しい爆発が起こり、衝撃で床に叩きつけられ、全身を強く打った。
「ぐっ…な、何が…起こった…?」
「アリオン様、大丈夫ですか!?」
「あ、ああ…アーシャ。体を打っただけだ…」
「アリオン様、甲板に通じる通路が破壊されました。脱出は不可能です」
見ると羅針艦橋の外は破壊されて火が回っている。先程出て行った航海長達は爆発に巻き込まれてしまったかも知れない。アリオンはグッと唇を噛んだ。死の恐怖に怯えたアーシャ中尉が震えながらアリオンにしがみ付いてきたが、その体を抱きしめるしかできない。
「もう…だめか…」
残念そうに呟いたアリオンの耳にコーゼルが叫ぶ声が聞こえた。
「まだです。まだ諦めるには早いですぞ!」
「コーゼル!?」
「あそこのデッキから海に飛び込むのです。さあ早く!」
アリオンとアーシャは頷くと、コーゼルの指し示したデッキにつながる扉に手を掛けた。しかし、扉は艦が受けたダメージで歪んでおり、簡単には開かない。それでも、3人で押し続けていると、何とか人一人抜けられる程度の隙間が開いた。
「やったぞ! うっ…!?」
「アリオン様…」
デッキには出たものの、海面までの高さが15mはあり、下手に飛び込むと海面に体を打って死ぬかもしれない。3人が躊躇していると「ギギ…キ…ギギ…」と金属が軋む嫌な音がして艦橋が急速に傾き始めた。
「うわぁああーーッ!」
「キャアアアーーッ!」
「うぉおおッ!」
3人は急角度の斜面になったデッキから投げ出され、海面に向かってまっしぐらに落下して行った。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「はぁはぁはぁっ、こちらですガティス様!」
「クソッ、なんでこんなことに…。世界最強のオレ様の艦隊が全滅だと。クソが!」
ガティスはハンス大佐の案内を受け、狭い艦内通路を艦尾に設備されている脱出艇庫に向かって駆けていた。破孔からの浸水は全艦に及んでおり、ガティス等のいる通路もくるぶし付近まで海水が流れ込んでいる。さらに、所々に水兵の死体が漂っており、ガティスは悪態をつき、それらを蹴り飛ばして退かしながら脱出庫に向かっていた。
「ガティス様、あの出入口を抜ければ脱出庫で…ウッ!?」
「ハンス!?」
脱出艇庫の暗闇の中から一筋の光が飛び、ガティスの前を先導していたハンス大佐の胸を貫いた。ハンス大佐はくぐもった唸り声を上げて通路に突っ伏すように倒れた。海水がハンス大佐の血で真っ赤に染まる。
「だ、誰だ!」
「誰だ出てこい!」
叫ぶガティスの前に、魔導銃を手にしたモルゲンがゆっくりと姿を表した。
「モ…モルゲン…」
「どこに行こうというのです? 総司令官殿」
「き、決まっている。再起を期すために逃げるんだよ。ヨルムンガンド以上の戦艦を建造して、トリアイナのクソ共に復讐するためになぁ!」
「………。クソはキサマだ。総司令官殿…いや、ガティス」
「何だと。テメェ、帝国皇子たるオレ様にそんな口を訊いてもいいと思ってんのか!」
「黙れ、クソ虫野郎」
モルゲンは魔導銃を構えたまま、氷のような冷たい目線をガティスから離さず、ゆっくりと近づいてきた。ガティスは恐怖を顔に浮かべ1歩、2歩と下がる。
「な…なんのつもりだ…」
「あなたを生かしておけないだけですよ。そう、あなたはこの世にいていい存在ではないんです。ですから、ここで死んでもらいます」
「り…理由を…。理由を聞かせろ…」
「理由ですか」
「あなたは作戦指揮官としては無能過ぎた。自分自身と艦隊の力を過信し、個人的な理由からアリオン様の助言を聞かず、あまつさえ蔑んだ言動を取った。敵を侮り力押しで勝てるなどどほざいた。その結果がこれだ。異世界から現れた艦隊の個艦戦闘能力は我々を上回っていた。航空戦力も隔絶していた。我々は無謀にも、相手を調べもせず戦いを挑んで完膚なきまでに叩きのめされて敗北し、帝国艦隊は全滅した…」
「全て…全てお前のせいだ、ガティス! お前のせいで帝国の至宝であるヨルムンガンド級戦艦は全て撃沈され、ドローム母艦も全て沈められ、フィンヴァラーもドロームも1機も帰ってこなかった! 艦や飛行機械だけではない。これらの運用にたけた貴重な人材も多く失われたのだ! お前の浅はかな名誉欲のせいでだ!!」
「そんなの、オレ様だけのせいではないだろうが! 責任があるというのなら、この艦隊全ての無能共にも責任があるはずだ!」
「……私は、もっと周りの意見を聞くようにと何度も申し上げたはずだ。だが、あなたは全く話を聞かず、何の策も取らなかったではないか。責任があるというなら、人の話を聞かなかった、総司令官たるあんたにこそある!」
「グッ…。この…」
「あんたは、私をバカにし、話を聞かず暴力を振るって退けた。大勢の目の前で虫けらのごとく扱われた私の屈辱、恥辱、無念…。あんたにはわかるまい。だが、わかってもらわなくて結構。私はお前をここで殺すからだ!」
「ウルセェ! テメェなんかに殺されてたまるかよ。オレ様は世界の頂点に立つ男だ。生きなきゃならねえんだよ!」
ガティスはモルゲンに飛び掛かろうとした。しかし、通路の水位は膝までになり、足を取られてよろけてしまう。モルゲンは魔導銃の狙いをつけると躊躇なく引き金を引いた。
バシュッ!
空気が熱で膨張する音を曳きながら、赤い光が銃口から打ち出され、ガティスの右太ももを貫いた。
「ギャッ!!」
激しい痛みに絶叫し、蹲るガティスにモルゲンは連続して魔導銃を放つ。腕、肩を撃ち抜かれ、片耳を吹き飛ばされたガティスは通路に尻もちをついて、助けてくれるように懇願した。直ぐ近くで艦内が爆発した音が響き、通路を激しく揺さぶり、構造物がバラバラと落下して水しぶきを上げる。
「や、やめろ…。撃つな…撃つなぁ! たのむ、撃たないでくれ!」
「出来ない相談だな」
「くっ…。そうだ、助けてくれたなら帝国貴族に取り立ててやるぞ。どうだ、いい話だろ、な! だから、その銃を引っ込めろ」
「…………」
「たっ助けて…たのむ、オレ様はまだ死にたくねぇんだ。やりたいことがあるんだよ。今までの事は謝る。オレ様が悪かった。お願いだ、助けて…」
「…無様だな。皇子としての矜持も失ったか。お前はこの世の害悪そのものだ。生きている価値もない。死ね」
「ひっ!」
モルゲンは侮蔑したような笑みを浮かべると魔導銃の引き金を引いた。銃口から魔力の光が発射されると同時に、ガティスの額が撃ち抜かれた。ガティスは白目を剥き、力なく通路の床に倒れ、床を満たす海水を血で真っ赤に染めた。モルゲンはガティスの死体を足蹴すると大きな声で笑い出した。
「くくっ…。はははっ…。あははははは! あーははははっ!」
一頻り笑ったモルゲンは急に涙ぐむと小さく呟いた。
「…は、ははは…。済まないメロディ。不甲斐ない父を許してくれ…。妻よ、娘を頼むよ…。さよなら…。愛してる…」
愛する妻と娘に別れを告げた次の瞬間、機関部の魔導ジェネレーターが大爆発を起こし、崩壊した鉄骨やパイプが多数の破片と共に落下してモルゲンを押し潰した。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
大和の周りに矢矧を始めとする第二水雷戦隊、空母天城と葛城に護衛の冬月と涼月が集まってきた。
なお、比較的損傷の少なかった初霜と雪風は沈んだ霞と敵艦の溺者救助を行っており、降伏した2隻の敵艦は乗員を収容した後に自沈させている。
「矢矧と朝霜は大分手酷くやられたな。磯風と浜風も中破といったところか」
「古村司令を始め、第二水雷戦隊の司令部は磯風にて指揮を執っておりますが、艦隊として戦える状態にはありません」
森下参謀長が矢矧を見ながらボソッと呟き、山本先任参謀が被害状況を聞き取った報告書を読みながら答えた。伊藤長官は2人の話を黙って聞いている。矢矧は第3砲塔が全壊し、艦橋周辺の構造物が粗方破壊されて吹き飛び、第1砲塔の電路が切断されて旋回不能の状態となっている。朝霜は第2、第3砲塔が爆砕され、砲塔があった場所はただの甲板になり、煙突や魚雷発射管も全壊しており、両艦とも大破といっていいほどの損害を受けて動いているのが不思議なくらいだ。
大和も主砲や機関と言った主要部は損害が無かったものの、12.7センチ高角砲や25mm対空機関銃といった非装甲部にはかなりの被害をだしていた。しかし、戦闘そのものは継続できる状況である。
「先任参謀、我々にはまだやるべきことがある。そうだな」
「その通りです。敵の大輸送船団を撃滅し、侵攻部隊の息の根を完全に止めなければなりません」
伊藤長官の問いに山本先任参謀が澱みなく答える。
「払暁とともに葛城から稼働可能な天山全機を発艦させ、輸送船団に魚雷攻撃を仕掛けます。航空攻撃で敵が混乱した隙に大和と冬月、涼月が突入して砲雷撃を加えて叩き潰す。なお、輸送船団には数隻の突撃艦が護衛についてますが、これは航空攻撃で沈めます」
「国の全艦艇を集めた敵侵攻艦隊を失った今、輸送船団に大きな被害を出せば、ヴァナヘイム帝国がいかに大国であっても相当な打撃となるはずです。再起するにも十年単位での時間が必要でしょう」
司令塔から艦橋に上がってきたアルゲンティ大将が山本大佐の言葉を引き継いだ。伊藤長官は頷くと、凛とした言葉で命令した。
「これより作戦の第2段階に移行する。第二水雷戦隊は溺者救助が終わり次第、天城を護衛してトゥーレ島へ帰還せよ。大和及び葛城、第41駆逐隊は敵輸送船団を補足、撃滅する。艦隊進路175度、最大戦速!」
「面舵一杯、進路を南に取れ。機関増速、最大戦速!」
「おもぉかぁぁじ!」
有賀艦長が命を下すと大和は機関の唸りを上げて動き出した。
艦橋に上がったベアトリーチェは、伊藤長官の側に近づくと深々と頭を下げて礼を言った。
「伊藤様。大和の戦いぶり、お見事でした。これでトリアイナは救われます。本当に、本当に感謝してもしきれません」
「ベアトリーチェ様、戦いはまだ終わっていません。礼を言われるのは、艦隊が帰還した時です。その時に改めて礼を承りましょう」
「そうですね。申し訳ありませんが、よろしくお願いします」
ベアトリーチェは艦橋の外に目を向け、水平線の向こうに沈む太陽と帝国艦隊の落日を重ね合わせた。同時に、大和を始めとする異世界の艦隊と出会え、縁を結ぶことができた事を改めて神に感謝したのだった。




