第3話 長官の決断
大和艦橋にいた全員が窓の外を見て絶句していた。自分らは沖縄上陸を企図しているアメリカ軍迎撃のため東シナ海を南西諸島方面に向かって進撃していたはず。しかし、艦隊は見たこともない湾の中に停泊している状態で、陸域には日本とはかけ離れた石かレンガ造りの建物が並ぶ都市が広がっていた。
「これは…」
誰もが思考を整理できないでいる中、伝声管を通じて防空指揮所の見張員から報告が上がってきた。
「こちら防空指揮所。第二水雷戦隊、第一航空戦隊は全艦存在し、大きく損傷した艦はなく、大和を中心とした輪形陣のままです。艦隊周囲をざっと確認しましたが、我々はどうやら三河湾に似た地形の中にいます。また、左舷に見える町の岸壁には多くの人が集まっているのが見て取れます」
「三河湾だと? 我々は沖永良部を目指していたはずだぞ!?」
「それに、あの町はどう見ても豊橋や田原ではない」
森下参謀長が困惑したような声を上げるが、伊藤長官は双眼鏡を覗きながら陸地に広がる町並みを眺めながら言った。そこに、山口通信長が困った顔で近づき、有賀に声を掛けてきた。
「艦長、どうにも不思議なんです」
「不思議とは?」
「一切の無線電波が入って来ないのです。それだけではありません。ラジオの電波も受信できないんです」
「通信アンテナが破損したのか?」
「いえ、そうではありません。矢矧や天城とは通信できます。しかし、その他の電波が、どの周波数帯全てが受信できないのです。何というか…いうなれば、電波が無いとしか言いようがないのです」
「そんなバカなことがあるのか?」
山口通信長の報告を聞いていた伊藤長官は、とにかく現状把握が必要だと感じ、命令を下した。
「艦長、どうやら我々はのっぴきならない事態に巻き込まれたようだ。まず、各艦異常がないか確認するように伝えてくれ。それと、水偵を発艦させて航空偵察を行ってもらいたい。とにかく情報が必要だ」
「長官、艦隊をここに留めるには危険ではないでしょうか。外海に移動させた方が良いかと考えます」
「森下君の意見には同意するが、状況が全く分からない中移動するも危険だと思う。それに、電波が受信できないという件も気になる。何より、我々には燃料や食料の余裕がない。幸い、彼らには敵対行動の意志はないようだし、状況が把握できるまでここに留まろう。それと、何があってもこちらから攻撃してはいかん。これは徹底させてくれ」
「長官がそう判断されるなら、致し方ありません。わかりました」
伊藤長官の命令を受けた有賀艦長は各部署に指示を送った。
「通信長、第二水雷戦隊司令部と天城、葛城に通信。全艦この場所に錨泊。艦の損傷及び乗組員の安否調査を行うように伝えろ」
「ハッ、直ちに」
「副長、大和艦内の様子を確認してきてくれ」
「了解!」
「飛行長に伝達。零式水偵直ちに発艦。航空偵察を行え」
「ハッ。直ちに伝えます」
有賀艦長は命令を下すと防空指揮所に周囲の警戒を怠らないように伝え、艦橋から前甲板を見下ろした。前甲板では兵が錨を降ろす作業をしている。次に機関室に繋がる艦内通話機に近づくと機関長に蒸気ボイラーの運転状況を問い合わせた。機関室からはボイラー、発電機とも損傷はないとの事であったが、燃料の残りは約4千トンと満載の6割ほどに減っていると報告があり、その点が気がかりだった。
一通り指示を出した有賀艦長は羅針艦橋の上にある防空指揮所に上った。指揮所ではすることが無くなった黒田砲術長始め射撃指揮所の要員も降りていて、見張員と一緒に双眼鏡で周囲を観察していた。有賀に気付いたその場の全員がサッと敬礼する。
「艦長」
「ご苦労さん。何か見えるか?」
「いいえ、青い空と白い雲以外は何も…」
有賀艦長は陸地に見える町並みを見た。海面に反射する陽光に照らされた建物がキラキラと輝いている。日本の素朴な風景も良いが、この景色はそれに負けず劣らず美しいと思った。どこか欧州の古い都のように見える気もする。美しい町並みに見とれていると。艦の後方からエンジン音が響き、「バシッ!」という火薬が爆発する音と共に零式水上偵察機がカタパルトから飛び出すのが見えた。零式水偵は艦の上空で旋回すると陸に広がる街に向かって飛んで行った。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
水偵が戻る間、各艦から損傷無し、人員の損害無しとの報告が司令部に上がり、伊藤長官らを安堵させた。特に空母艦載機に損傷がなかったのは幸いだった。
水偵が飛び立って約2時間後、偵察を終えた零式水偵が戻ってきた。さらに1時間後、撮影してきた写真が出来上がったとのことで伊藤長官を始め主だった者が作戦室に集まった。その中には第二水雷戦隊司令官古村少将と矢矧艦長原大佐、各駆逐艦長、空母天城艦長宮崎大佐、葛城艦長川畑大佐の姿もある。
作戦テーブルの上には十数枚の写真が並べられ、零式水偵の搭乗員から偵察結果の説明を受けていた。
「では何か? ここは日本ではないというのかね」
「そうとしか思えません。我々は高度5千まで上がって地形を確認しましたが、日本列島の地図とは合致する地形がありません」
ざわざわと出席者が騒めいた。伊藤長官は難しい顔をして写真を眺め考え込む。有賀艦長は搭乗員に、他に気付いたことはないか聞いてみた。
「我々は海岸線に沿って飛行しましたが、ここはかなり大きな陸地みたいで、端に達することは出来ませんでした。また、沿岸から離れた内陸部には2千メートル級の山々の連なりが見えました」
「さらに、海岸線沿いには比較的大きな都市、内陸部の所々には町や耕作地が確認できました。これらの町は街道で繋がっております。また、鉄路で結ばれた町も一部ありましたが、自動車の類は全く見られませんでした」
「ふむ…。町の様子はどうだ? 軍の施設等はあったか?」
「はあ。低空飛行で目の前の町を観察した結果ですが、建物は石かレンガ造りがほとんどで、街並みは比較的整然とした感じです。ただ、人々はどう見ても日本人…というか、アジア人ではなかったです。どちらかというと白人系だったように見えました。高台の建物は城のようで、身なりの良い人達が我々を望遠鏡で見ているのが確認できました」
「あと、可愛い女の子が手を振ってくれたので、振り返したら喜んでました」
「そのような報告はいい! 余計な事は言わず、必要な事のみ報告しろ!」
「す、すみません」
飛行長に怒鳴られた偵察員が恐縮して謝罪した。手を振っている女の子は写真にも撮られているが、確かに美少女である。若い搭乗員がはしゃぐのも無理はない。
搭乗員は軍施設関係の偵察結果を報告した。郊外に軍事施設らしきものはあったが、戦車や装甲車両の類は見えず、歩兵しか確認できなかったこと。しかも、歩兵は狙撃銃らしいものを手にしていたと報告した。
さらに、海軍基地もあったが、海防艦クラスの小型戦闘艦艇が数隻係留されているのみで、それ以上の大型艦は基地内にも沖合にも見当たらなかったと説明した。
「あと、この湾と外海の境界に二つの半島がありますが、どちらの先端部にも沿岸砲台らしきものが1基ずつありました」
伊藤長官と森下参謀長は沿岸砲台の写真を見た。石造りのトーチカから口径30センチクラスの砲身が沖に向かって突き出ている。参謀長は写真をテーブルに戻しながら水偵搭乗員に労いの言葉をかけた。
「状況は分った。疲れただろう、下がって休んでくれ」
「ハッ!」
三人の水偵搭乗員はサッと敬礼すると、回れ右をして作戦室から出て行った。
「一体、我々はどこにいるのでしょう?」
「……。日本本土や沖縄近海でないことは確かだ」
第二水雷戦隊司令官の古村少将の問いに森下参謀長がボソッと呟くように答えた。
「アメリカ軍の姿は影も形も無い。空襲を受けた様子は無いし、無線通信も傍受出来ない」
「日本本土からの通信も同様だ」
「影も形も無くなったのは、我々の方かも知れん」
「長官?」
「見たまえ、この写真を」
全員が伊藤長官の指し示した写真を見た。
「城の写真が何か…?」
「旗だよ」
「旗?」
城の最上部に旗立てがあって1枚の旗が写っている。写真はモノクロだが、実際は真ん中に黄色い斜め線を挟み、両側を濃い青で染めた斜め三分割の色彩に、三叉槍が描かれている見たこともないものだった。
「これはまた独創的な…」
「国旗ですか。それにしても、こんなの見たことありませんな」
「これを見てください」
参謀の一人が1冊の資料をテーブルに置いた。それは世界各国に関する資料で、その中から国旗一覧のページを開いた。その中には斜め三分割の旗もあるが、写真の旗と合致するものはない。
「もしかしたら、我々は別の世界に飛ばされたのかも知れん」
伊藤長官が小さな声で言った。誰もがその発言に驚き、疑問を呈するが…。
「まさか…」
「そんなはずが無い!」
「いくら何でも、突飛すぎます」
「アメリカ軍の陰謀では…」
古村少将が騒ぎ立てる駆逐艦長らを手で制すると、伊藤長官に根拠について聞いた。
「長官、そう思われる根拠をお話しいただけないでしょうか」
「うむ…」
「我々は呉を出港後、九州の坊ノ岬沖から欺瞞航路を取って甑島列島を隠れ蓑にし、日没を待って沖縄に展開するアメリカ艦隊を迎撃するために進軍していた。ここまではよいな」
「はい」
「当時の天候はやや雲が多かったものの、海も風も穏やかだった。我々は沖永良部までは敵に発見されず、艦隊は順調に航海していた。しかし、突然急激な気象の変化に見舞われた。いや、変化とは言い表せない異常な状態に陥ったのだ」
「…………。確かに、あれは異様でした」
「艦隊が異常事態に翻弄される中、海が割れ、艦隊が飲み込まれていくのを見た。聖書に書かれたモーセの海割りを見たらきっとこの様な光景だったろう。そして気付いたら、この場所にいたのだ。しかも、ここがどこか分らない」
「無線通信が艦隊各艦としか出来ないのも不思議です。逆探も沈黙したままですし、もしかしたら、この世界には電波が無いのかも知れません」
山口通信長が首を傾げながら自分の考えを述べた。本当に自分たちは別の世界に飛ばされたのか? 元に戻る術はあるのか? 何より、我が艦隊が消えたと知った軍令部や大本営は…。古村少将を含め、その場にいた全員が、信じられないといった表情をし、顔を青ざめさせた。
「そ…それで…。我々はどうすれば…」
誰かが震える声で言った。伊藤長官は腕組みをして考え込む。誰もが長官の発言を待っていた。
「我々は最後の戦いに赴く途中で、燃料も食料も十分に搭載しているわけではない。どこからか補給を受ける必要がある。そして、元の世界に戻る可能性も現時点では不明だ。ただ、あのような事象が頻繁に起こるとも思えない」
「では…どうするのです。まさか…」
「そのまさかだよ、参謀長。あの城にはきっとここの代表者かその関係者が住んでいるに違いない。何とか接触できないだろうか」
伊藤長官の発言に驚いた森下参謀長が何か言おうとしたとき、伝令員が慌てたように作戦室に入ってきた。
「か、会議中失礼します。見張りから、船が1隻近づいて来ると報告がありました!」
その場の全員がどよめく中、伊藤長官は静かに頷いた。
「向こうから来てくれたか。さて、どんな相手なのか…、楽しみだな」