第2話 第二艦隊 異世界に現る
「ベアトリーチェ様! ベアトリーチェ様! 起きてください!!」
ドンドンと激しく扉を叩く音に、強制的に眠りから覚醒させられたのは、トリアイナ王国王女ベアトリーチェ。彼女は布団を頭から被って抵抗を試みる。
「うう…、もう少し寝かせて…。この所ずっと夜遅くまでヴァナヘイム帝国への対応協議が続いてて眠いのよ。おまけに、昨夜は凄い嵐で風雨がうるさかったでしょう。怖くてよく眠れなかったの。脳みそが死んじゃってるのよ。お願い…あと10分…。10分でいいから…」
ベアトリーチェの懇願も空しく、王女付きのメイドが合鍵で扉を開けて慌ただしく入って来ると、ガバッと掛け布団を剝ぎ取った。
「きゃあ、何をするの!? 無礼ですよ!」
「そんな事より、外を見てください!」
メイドはカーテンとテラスに続く大窓を開くと、青ざめた顔で外を指さした。強制的に起こされたベアトリーチェは不機嫌な顔を隠そうともせず、備え付けのスリッパを履いてベランダに出た。
トリアイナ王国はこの世界の大洋であるテーチス海に浮かぶ島国である。最大の島トリアイナのほか、4つの大きな属島と多数の有人・無人島からなっている。また、トリアイナから東に数千キロ離れた場所にロランド大陸、西に約一千キロ離れた場所にパルティカ大陸があり、南方にはシルル諸島と赤道を経てオスマニア大陸が存在している。
トリアイナ王国の首都トリアイナは島最大の湾であるビスケス湾に面した、人口約60万人の港湾都市である。ビスケス湾の海岸線は約80キロメートルもあり、最大水深は50mを超える。さらに、テーチス海とは2つの半島で仕切られており、静穏で泊地として最良の港であるだけでなく、風光明媚な観光地としても人気がある。
王国のシンボルである王宮は、トリアイナ市の郊外の標高100メートル高台に作られており、建物からは整然と整備された市街と、大型船から小型船まで行き交う美しい湾を見渡せる。ベアトリーチェは、自室のベランダからこの景色を眺めるのが大好きだった。
「うっ、眩し…」
ベアトリーチェの目に朝日が入って眩しさに目が眩んだ。思わず腕で朝日を遮り、ゆっくりと瞼を上げて外を見た。どうせ、またクジラでも迷い込んで、メイドが大げさに騒いでいるのだろうと思いながらビスケス湾を見た。しかし、ベアトリーチェの目に入ったモノはいつも見慣れた風景や迷い込んだクジラなどではなかったのだ。
「な…なに…あれ?」
トリアイナ市の沖合数キロの海上に浮かんでいたのは、見たこともない船の一団だった。小さな(といっても王国の大型船よりも大きい)船が数隻並び、その沖側に一際巨大な船が浮かんでいる。その船はまるで山のように大きく均整の取れた美しい姿をしていて、大きな台形の箱に長い筒が付いた、不思議な造形の建造物が3つ置かれている。さらに、巨大な船と並んで平たい台のような船が2隻続いている。
「一体、どこの船なの。いつ現れたの。あんな船見たことない…」
「わかりません。日が昇って明るくなったら、アレがあったんだそうです」
テラスから市街を見下ろすと、波止場に大勢の市民が集まり、突然現れた船を見て騒いでいる。いや、騒いでいるというよりパニックになっているようだ。
「こうしちゃいられないわ!」
「あっ、姫様!」
ベアトリーチェは寝間着姿のまま部屋を飛び出し、走って謁見室に向かった。廊下ですれ違う使用人や警備兵がギョッとした顔をするのも無視して謁見室に飛び込むと、父である国王フェリクス三世と母である王妃マグダレナ、長兄アーサー、次兄ジェフリー、妹のディアナ、王国宰相オービル等らがベランダに出ていて、不安そうな顔つきで海の方を眺めていた。
「お父様!」
「おお、リーチェか。なんだその恰好は」
「えっ!?」
その言葉に改めて自分を見ると、下着の上に透けた寝間着を着ただけの格好で、見事な巨乳や女性らしい腰回りが丸見えだった。慌てて追いかけて来たメイドがガウンを差し出した。ベアトリーチェはガウンを羽織りながら改めてフェリクスに問いかけた。
「お父様、あの船はどこから来たのですか? まさかヴァナヘイム帝国がもう攻めて来たのですか!?」
「落ち着け、リーチェ」
「アーサー兄様。ですが、あれは一体何者…」
「わからん。突然あの場所に現れたのだ。ただ、ヴァナヘイムの船では無さそうだ。当然我が国のものでも、西のイザヴェル国のものでもない。見ろ、あの旗を」
アーサーは単眼鏡を手渡した。ベアトリーチェは右目で覗いてみる。どの船も鋼鉄で出来ていて、複雑な何某かの機械が所狭しと置かれており、白い服を着た人達が船縁からこちら側を眺めている様子が見て取れた。兄に言われた通り単眼鏡を旗に合わせてみる。その旗は白地で中央からややズレた位置に赤い丸が描かれ、赤丸から四方に赤い線が伸びている。初めて見る絵面だった。
「変わった模様ですね。初めて見る旗です。どこの国なんでしょう…」
「わからん」
「あ、見てください!」
ディアナが何かに気付いて指を差した。全員がその方向を向くと、浮きのような太い足を2本ぶら下げ、胴体に翼を持ったモノを載せた鉄骨が旋回しているのが見えた。やがて「バシン!」と空気を切り裂く音がしたと同時に、翼を持ったモノが打ち出された。それは空を飛び、大きな船の上をぐるりと旋回すると、リズミカルな音を響かせながら、トリアイナ市の方に向かってきた。市民の喧騒が一層大きくなり、王宮のテラスまで聞こえて来る。
「あれは…飛行機械ですか…」
「そのようだな。初めて見る形だ。ヴァナヘイムのドローム(円盤型飛行機械)とは全く異なるもののようだ」
「兄上、あの飛行機械は先端の羽を回して飛んでいるようです。どういう仕組みなのか分かりませんが…」
ジェフリーの言う通り、あの飛行機械は先端の羽を回して飛んでいるようだ。速度はそれほど早くない。一通り市街地上空を飛んだ飛行機械は、王宮上空に接近してきた。全員で見上げると飛行機械の乗員もこちらを見ているのに気が付いた。物怖じしない性格のディアナが「おーい!」と叫んで手を振ると、飛行機械の乗員も手を振り返してきた。
「わっ、手を振ってきた。おーい、おーい!」
ディアナが両手を振って飛行機械を見送る。飛行機械は王宮上空でぐるっと旋回すると、トリアイナ市から離れて海岸沿いに飛び去って行った。
「あれは偵察機のようだな」
「父上、どういたしますか」
「どうすると言ってもな。相手の正体が分からんのでは、うかつに接触もできまい」
「………。(これは神が遣わした奇跡かも)」
アーサーやジェフリーが対応をどうするか、フェリクス三世に方針を求めるが相手がどこの国から来たのか不明である上、敵か味方かもわからない状況では判断がつかない様子だ。それは兄二人も同様なようで黙りこくっている。
「……接触しましょう」
「いきなり何を言うんだリーチェ!?」
「わっ、いいアイデア!」
その場の全員が驚いた顔でベアトリーチェを見た。ディアナだけは何故か楽しそうな顔をしている。
「もしかしたら、あれは私達の困難な事態…いえ、国の存亡に関わる現状を憂慮した神が救いの手を差し伸べて来たのではないでしょうか。現状彼らの正体も不明ですし、いつまでもこのままにしても仕方ありません。ならば、積極的に接触してみるのもありだと思います」
「しかし…危険ではないか? もし、ヴァナヘイムの同盟国だったら…」
「もしそうであれば、とっくに攻撃を受けているはずです。しかし、攻撃をしてくる様子はないじゃないですか」
「ふむ…。リーチェの発言も一理ある。あの飛行機械は明らかに我々を偵察していた。ということは、彼らもまた現状把握に努めている…という事かも知れない」
「そうだよ。きっと困ってるかもしれないわ。手を差し伸べてあげれば、わたし達の味方になってくれるかも!」
アーサーとディアナがベアトリーチェの意見に賛同の意を示した。フェリクス三世は思案した結果、彼らと接触することを決めた。
「よし、ここで眺めていても仕方ない。彼らと接触しよう。どうせ、この国の運命は風前の灯火。ヴァナヘイム帝国の奴隷国家に成り下がるか滅亡するかしか残されていない。なら、リーチェが言う神の奇跡とやらに縋ってみようではないか。仮に敵だったとしても、協力が得られなくても、それはそれで仕方ない。我々にはどうせ滅びるだけの未来しかないのだ。それが神の意志だと言うのなら潔く諦めよう」
「お父様…。ご決断下さってありがとうございます」
フェリクス三世は頷くと宰相のオービルに海軍の砲艦を1隻用意すること、ガウェイン軍務大臣と連絡を取り、彼らと接触する人選をするように命じた。オービルが謁見室を出て行ったのを見て、フェリクス三世は子供達に向き直った。
「さて、彼らとの接触の際、信用を得るためにはそれなりの身分の者が行く必要がある。そこで、お前達の誰かにも行ってもらおうと思う」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
少し時間は遡る。海の割れ間に飲み込まれた第二艦隊、旗艦大和の艦橋では全員が気を失って倒れていた。明るい日の光が艦橋内に差し込み、周囲を明るく照らす。やがて、一人、二人と気が付いて起き上がり、有賀艦長も目を覚まして体を起こした。
「う、う…うむ…。一体何が…あった…」
ぼんやりする頭を振って周りを見回すと、伊藤長官と森下参謀長が倒れているのが目に入った。
「長官、伊藤長官、しっかりしてください! 参謀長、眼を覚ませ!」
有賀艦長は伊藤長官を抱き起して声を掛けると、ほどなくして長官と参謀長も目を覚ました。そこに、ふらふらとした足取りで能村副長と茂木航海長など、主要メンバーが集まって来る。
「皆無事か。怪我人はいないな」
「大丈夫のようです。艦長、我々は一体何に遭ったのですか?」
「…わからん」
能村副長が困惑した顔で聞いてきたが、有賀自身も良く状況が理解できていないため答えられない。とにかく状況を確認しようと、ふらつく体で艦橋の窓に近づいて外を見た。そこには予想もし得ない風景が広がっていたのだった。