第16話 嵐の前
ヴァナヘイム帝国との戦いに向け、様々な作戦行動が決定された事を受け、艦隊及び艦隊乗組員はその日に備え猛訓練に勤しんでいた。特に良質な重油及び航空ガソリンが潤沢に手に入った事で、艦船及び航空燃料問題が解決されたのは大きかった。
一方で、入渠ドックの問題があった。トリアイナ王国の艦船に比べて大型である帝国海軍艦艇を整備点検できるドックがないのだ。これについてはイヴァレーア市近郊の海軍基地を拡充し、国中の作業員を総動員して急ピッチで建造してはいるが、駆逐艦クラスで2か月程度、大和や空母用の大型ドックは完成までには数か月はかかるとのことで、その間は洋上で対処するしかなかった。
そのような中、爽やかな風が吹く新緑の季節のある日、艦隊への補給品手配の業務が終わって時間のできた伊達中尉は、イヴァレーア市郊外の丘陵にある展望公園に来ていた。展望公園は標高約100m程で、市街全域と港湾施設、遠くまで広がる海が一望にできる。伊達はその素晴らしい景観に感嘆の声を上げていた。
「美しい風景だ。子供の頃、親に連れられて家族で深沼の海水浴場に行ったことがあったな。あの時見た仙台湾も美しかったが、目の前の海も負けず劣らず綺麗だ」
「そういえば美沙のやつ、はしゃぎすぎて溺れかかって母さんに怒られてたな」
その時の情景を思い出して笑みをこぼした伊達の耳に汽笛の音が入ってきた。音の方向に視線を向けると、天城と葛城が第四十一駆逐隊の冬月と涼月の護衛を受けて沖に向かっていくところだった。その後に矢矧に率いられた第二水雷戦隊が単縦陣で続いている。
「訓練に出るのだな」
伊達は大和に目を移した。大和には王国の輸送船が横付けしていて、様々な物資の補給をしている。
「大和は大食らいだからな。補給するのも大変だ」
主計兵は艦の経理や被服、烹炊等を担当する兵種である。本来、海軍経理学校で専門教育を受けた士官や下士官、兵がその任に就くが、長い戦争で多くの人材が失われたため、補填として召集された一般教育者も充てられていたのだった。
伊達もまた召集された兵の一人で、もともと海軍予備員(海軍兵籍を有し、戦時等有事の際には召集されて軍務に服するが、平時は民間において船舶職員等に従事する者のことで、一度も現役として軍務に服することなしに予備役にある点が特徴)であったため、召集時に士官として任命された。ただ、大学院では宇宙物理学を専攻していたため、経理には疎かったことから、専ら補給部門の士官としての業務を命じられていたのだった。
(一時足りなくなった学費を稼ぐため商船に乗っていたから、周りの勧めもあって海軍予備員となったんだ。大和に配属された時はどうなるかと思ったが、まさかこんな事になるとは想像してなかった。しかし、ここでも戦いが生起しようとしている。大和乗組員として俺も行かねばならない。死ぬのは怖くない。だが、ここで死んだらどこに行くのだろう。両親や美沙の所に行けるのだろうか…)
水平線の向こうに消える天城と葛城を見送りながら、伊達が東京大空襲で失った家族を思っていると、不意に背後から声がかけられた。
「伊達様」
「ん? この声…」
声を掛けて来た相手は、ラフな外出着姿で、手提げバッグを持ったベアトリーチェだった。
「ベアトリーチェ様。どうされたのです、こんな場所に。何か御用でしょうか」
「いえ…その…。伊達様に…ちょっと…」
「私に?」
「はい…あの…。伊達様はお昼は食べられましたか」
伊達は腕時計を見ると、時間は正午を少し回ったところだった。
「もうこんな時間か。昼食はまだです」
「そうですか、良かったぁ~。うふふっ」
「はあ。何が良かったんですか」
「実は伊達様とお昼をご一緒したくて、お弁当を作ってきましたの。えーと、オニギリっていうんですか? 炊いたお米をにぎにぎしたもの。日本人はオニギリが大好きなんですってね。だから私、大和の烹炊員さんに教えてもらって作ってきました。あの~、一緒に食べていただけます?」
「どうして私と?」
「え…えっと…その、伊達様は第二艦隊の補給のため、日々様々な場所で関係者と折衝されてますでしょう。頑張っているなぁって思ってて…その…、何かお礼できないかなあって…。私、こんな事位しかできなくて。私の手作りなんで味は保証できないですけど…。あの、ご迷惑でした?」
迷惑だったかも知れないと思ったベアトリーチェはしゅんとした顔になってしまった。伊達は一瞬戸惑ったが、彼女の好意を素直に受けることにした。それに、彼としてもベアトリーチェとずっと仕事をしてきた。その中で、同じ時間を過ごすのは好ましいとも思うようになってきたのだった。
「では、お言葉に甘えてもよろしいでしょうか」
「ハイッ!」
両手に持った手提げバッグを伊達の方に差し出したベアトリーチェが、頬を染めて明るく笑った。伊達は近くのベンチにベアトリーチェを誘った。二人並んで座ると、ベアトリーチェはバッグから弁当箱を出して二人の間に置いた。蓋を開けると唐揚げやソーセージ、卵焼きにサラダ、果物と様々なおかずが入っている。続いてバッグからふたつの包みを出してひとつを伊達に渡した。
包みを開くと中から現れたのはおにぎり。流石に海苔は無かったのか、黒ゴマ塩をまぶしたものと、高菜を混ぜ込んだものが描く1個ずつだった。
「あの、これは? ゴマはともかく、トリアイナに漬物なんてありましたっけ」
「ふふっ、実はオニギリの味付けとか、中に入れる具とか全然分からなかったので困ってたら、大和の烹炊員さんが分けて下さったんです。皆さん親切でお優しくていい人達ばかりですね。凄く丁寧に教えて下さりました」
「そうですか(ドスケベどもめ…)。でも、そこまでしてくださって有難いです」
伊達は早速黒ゴマのおにぎりを頬張って、そして驚いた。
「う…美味い!」
「ホントですか!?」
「はい。米の美味さもそうなんですが、塩加減と握り具合が最高です。本当に美味い」
「よかったぁ~。初めて作ったので少し心配だったの~」
「ははは。ベアトリーチェ様は料理の才があるのですね。私はまるっきりなので、料理上手な人を尊敬してしまいます」
「あ、あの…あまり褒めないでください。照れてしまいます…」
思わず伊達に褒められた事で恥ずかしくなったベアトリーチェは、照れを誤魔化すためおにぎりにかぶりついた。
「~~~ッ!? 何これ、す…すっぱい!」
「はははは! 本当にすっぱそうですね。この具は「梅干し」ってものですよ。おにぎり定番の具材です」
「そーなんですか!? 日本の方々は不思議なものを食べるんですね。トリアイナにはこんなすっぱいもの、シトロン(レモンの近似種)位しかありませんよぉ~」
「あはははは!」
「もう。あんまり笑わないで!」
伊達に笑われて真っ赤になったベアトリーチェは、ぷんすかしながらおにぎりを口に入れ、梅干しのすっぱさに顔をしかめる。ころころ変わる表情が可笑しくて伊達は大笑いしてしまった。いつしかベアトリーチェも笑い始める。ベアトリーチェの心遣いが嬉しくて、家族を失ってから凍り付いていた伊達の心が少しずつ溶けていくように感じるのであった。一方、ベアトリーチェも伊達の笑い顔に心癒される思いがしている。
(ヴァナヘイム帝国からの宣戦布告で、誰もが明日へを見通せず、どの顔からも笑顔が無くなった。でも、彼らが来てから希望が生まれ、国民全体が一致協力して帝国に立ち向かおうとしている。伊達様は偶然の産物とおっしゃったけれど、私はそうは思わない。これは神様の意志なのだわ。帝国の横暴に立ち向かう人々へ神様が授けて下さった力。運命の出会いなのだわ。そう、彼との出会いもまた運命…)
「ん? どうかされました。自分の顔に何かついてますか」
「えっ、いや…何でもないです!」
ベアトリーチェは伊達の顔をじいっと見つめ、彼に対する感情がただの好意ではない事に気付いてしまった。
(……好きになってしまったかも…)
美人だが男勝りで国事優先、学生の頃から気の強さが災いして男っ気が無く、国王や王妃が持ってくる縁談の話も興味がないと悉く断り続け、ついには諦められてしまったベアトリーチェ。彼女は生れて24年目にして初めて恋というものを知った。おにぎりを頬張りながら、男っ気が無いことをいつもからかって来る兄二人の顔を思い出す。
(兄様達には知られないようにしよう。絶対にからかわれるに違いないんだもん)
心に固く誓うのであった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
作戦会議において、新たな敵の出現と航空攻撃の重要性を再確認した第一航空艦隊は日々猛訓練に励んでいた。戦闘機隊は4機1組の小隊による編隊戦闘を徹底して訓練し、乱戦になって小隊が分離しても2機1組の編隊空戦を行うよう指導されていた。また、彗星隊は重りを付けた木製の模擬爆弾を使って急降下爆撃の精度を、天山隊は水平爆撃の命中率を上げる訓練を行っていた。天山隊は水平爆撃と併せ、航空魚雷による攻撃訓練も実施していた。
ディアナ王女は相変わらず天城に乗り込んでいて、すっかり乗組員のアイドルと化していた(宮崎艦長は渋い顔だが)。発艦の際に艦橋デッキから手を振る可愛らしい姿に、若い搭乗員達は何が何でもあの笑顔を守りたいと心に固く誓って飛び立つのであった。おまけに王女付きとして数人の若い女性メイドも従っており、その子らもまた搭乗員の心の励みになっていた。
なお、女っ気の皆無な葛城乗組員からは嫉妬と怨嗟の声が上がり、絶対に天城の連中には負けないと、ある意味良い競争心が生まれていたのだった。
その間、彩雲による航空偵察も続けられていて、イヴァレーア市郊外の飛行場から連日マルティア諸島方面に飛び立っている。伊達が丘の上公園を訪れていた同じ日、飛行場に隣接した急造の掩体壕で整備兵によって点検整備を受けていた自機の様子を見に菅谷中尉が訪れていた。
「よお、どうだ。整備状況は」
「菅谷中尉、ご苦労様です」
彩雲の整備をしていた整備兵が手を休めて敬礼をした。菅谷中尉も敬礼を返す。彩雲はエンジンカバーが外され、発動機の誉が下ろされて分解点検を受けていた所だった。整備班長の曹長が帽子のつばを指でクイッと上げながら発動機を見た。
「そうですね。ここでは良質な機械油(軽油・灯油)が手に入るし、トリアイナ科学技術院とやらで潤滑油も製造できているので、発動機の調整は問題ないですね。ただ…」
「何か問題があるのか?」
「部品の消耗は如何ともし難いです。とりあえず、補用機を分解して部品取りをしてますが、限度ってのもありまさぁね。天城から予備の旋盤や発電機など、使える道具を運んできて作れるものは手作りしてますが、何とか部品の補給はできんものでしょうか」
「今直ぐは厳しいな。王国の産業省で各艦に積んである仕様書や実際の部品を参考に図面を起こして、工作機械を作ろうとしているが、時間がかかりそうだ」
「しゃーないですな。無いモノ強請りしてもしょうがない。出来ることをしましょう。よーし、みんな、気合を入れろよ。飛行機がちゃんと飛ぶかはオレらの腕一本にかかってる事を忘れるな!」
「おおーッ!!」
「よっしゃ!!」
整備員は曹長の激に気勢を上げた。
「頼むぞ、曹長」
「ははは、大船に乗ったつもりでいてくださいや」
整備員は発動機や機体の整備にとりかかる。菅谷も点検をするため操縦席に乗り込んだ。点検を始めて数時間が経過して昼時となった頃、整備曹長が皆に声をかけた。
「おーい、休憩だ。昼めしにしよう」
「もうそんな時間か…」
操縦席から降りた菅谷は整備員達と一緒に食堂に向かった。食堂に入ると既に大勢の整備員や搭乗員、トリアイナ人の技術者達がワイワイ言いながら食事をしている。菅谷も食事を受け取りに、顔見知りとなった調理のおばちゃん(トリアイナ人)に声をかけると、おばちゃんは菅谷に気が付いて近づいて来た。
「ああ、菅谷さん。あんたに届け物があるよ」
「届け物? 俺に?」
「これだよ」
おばちゃんはにやにや笑いながら花柄の可愛らしい手提げバッグを菅谷に差し出した。あまりにも菅谷とこの場の雰囲気に似つかわしくない物に周囲が興味深そうに覗き込んでくる。
「一体誰から?」
「ディアナ様だよ。朝食堂に来てね、お昼にアンタが顔を見せたら渡してほしいって。頬を赤らめながら頼んできてさ、本当に可愛いよね、あのお姫様は。あはははっ」
「ディアナ様が…。うーむ、どうして俺なんかに」
「何言ってんのさ、このニブチン。さあ、さっさと退いて。後の人の邪魔だよ」
「あ、ああ…」
バッグを受け取った菅谷は空いてる席に移動して座った。すると両隣に小山飛行兵曹と田上一等飛行兵がどっかと座った。
「なんだ、お前ら」
「中尉。さあ、バックを開いてください」
「場合によってはただでは済みませんよ」
「お前らは虫か? どっから湧いて出たんだ、ったく…」
菅谷はバックをテーブルに置いて中から包みを取り出した。包みを開くと中から出て来たのはサンドイッチだった。それも、タマゴサンドやハムを葉野菜とトマトで挟んだハム野菜サンド、衣をつけて揚げた肉を挟んだカツサンドなどバリエーションも豊富だ。
「おおー、これは美味そうですな」
「お、これは手紙ですか。中尉充てですね」
田上一飛が封筒を菅谷に手渡した。菅谷は中から便箋を取り出して読んでみた。書かれていた内容は、夢だった飛行機械に乗せてくれた感謝と礼、空の不思議な話を聞かせてくれて嬉しかったこと、帝国艦隊の高射砲による攻撃を受けても冷静に対処した姿が恰好良くてドキドキした事などが書かれていた。そして最後に書かれていた文章は…。
「…………。(ディアナ様が俺を…)」
手紙を畳んで懐にしまった菅谷はため息をついた。とりあえず、サンドイッチを食べようと手を伸ばしたが、サンドイッチが無い。
「あ…あーっ! お前ら勝手に食いやがったな!!」
「ごちになりました!」
「美味し! 実に美味しッ!!」
「こ…この野郎…」
ディアナ手作りのサンドイッチを小山と田上が全部平らげてしまい、がっかりするとともに、結局給仕の列に並び、哀れみの視線を送るおばちゃんから昼食を受け取る羽目になったのだった。
「どっと疲れた…」




